第85話 涙を流せるほどの情熱をかける

もう夏も終わるが、毎年の高校野球。負けたチームの選手のほとんどは、涙を流しながら甲子園の土を持ち帰る。彼らの涙は、単純な悔し涙ではない。おそらく小さなころから懸命に野球を続け、彼らにとっての一つのゴールを迎えたから、様々な思いが沸き上がって、その思いが目からあふれたものだろうと思う。


数年前、高校生クイズをTVで観ていた。どんどん勝ち上がり、選抜された高校が絞られてくると、お互いに心のつながりができてくるようだ。対戦型で勝負をすれば、どちらかが勝ち、どちらかが敗れる。もちろん勝者は喜び、敗者は涙を流すのだが、敗者は勝者に、自分たちの大切な何かを渡し、「私たちの分まで頑張ってほしい」と思いを託す。そして勝者は次の闘いに向かう。そして次の闘いに負けたときはやはり涙を流す。それは「自分たちが敗れて悔しい」というよりも、「思いを託してくれた彼らの気持ちに応えられなかった」と言って涙を流している。


先日の次男坊の塾での懇談。教室長の先生が、「勝つにつけ、負けるにつけ、何かに全力で取り組んで涙を流すことができる、というのはいいことだよ」とおっしゃっていた。ああ、先生、よくわかっていらっしゃると大きくうなずいた。大きな塾であれば、もちろん一部の生徒だろうとは思うが、彼らにとって一世一代の闘いを、「受験生」として挑んでいるわけである。全力で頑張り、努力が報われることもあれば報われないこともある。けれど、たぶん勝っても負けても、ゴールにたどり着いたときにはやはり涙が流れるのだろう。教室長はたくさんその場面を見てきたのだろうと思った。


別のところでも書いたが、私の高校時代は「ギター」と「恋」に集約される。ギタークラブは、高校3年生の6月に行われるコンクールを最後に引退、という事になっていた。クラブの先輩でもあり、非常勤講師として私たちの高校に赴任されていた先生は、「君たちの学年はここ数年で技術的には最も高く、最もきれいな音を出せる力がある」とおっしゃってくれていた。ところが、私たちが高校3年の時、その先生は別の高校に赴任され、また長年顧問をしてくださっていた「音楽には全く詳しくない」が、「生徒の心をまとめる」力のあった先生も他校に転任となり(公立高校の悲しいところ)、僕たちの学年の心が一つにまとまらなかった。コンクールに選んだ曲は難曲で、その時、コンクールに出る2,3年生で20人近くいたが、各パートは2人程度という曲だった。指導してくださった先生も、時間を見つけては覗きに来てくださったのだが、みんなの心のずれは埋まらない。時には、一部のメンバーが活動に来なかったりしたこともあった。そんな状態では、個々の技術が高くても曲としてはまとまらない。コンクールで金賞を取ることは私たちには結構難しく、私たちを勧誘してくださった先輩も金賞を取ることはできなかった。なので、私は本当に金賞を取りたかったし、後輩たちにも僕たちと一緒に金賞を取ってもらいたかった。しかしながら結果は銀賞(参加賞)だった。その翌日、3年生の引退の会を持ってもらったが、私は、色々な悔しさや、悔しさだけでない思い、色々なことがあふれて泣きじゃくってしまった。後輩たちも涙してくれた。

それだけでいい。その経験をできたことが、私の高校生活での一番の収穫だと思っている。


医学部医学科受験の時も、医師国家試験受験の時も、試験後、心の調子を崩して病院を受診するほどに努力したが、あのように涙を流すことはなかった。


長男坊も次男坊も、涙を流せるほどに打ち込める何かを見つけてくれればいいな、と思っている。

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