第66話 日差しは強いが秋の気配

8月も中頃になってくると、そろそろ夏休みの終わりが見えてくる。子供の頃は、身の回りにバッタやカマキリ、シオカラトンボやイトトンボ、ギンヤンマ、時にオニヤンマも飛んでいて、虫取り網と虫かごを抱えながら虫取りをしていたことを思い出す。河川敷の方に行くと、背の高い木があって、そこに蝉もいたのだが、何となく人気が少なく、お地蔵さんも祀ってあって、あまりそちらには虫取りに行かなかった。夏休みの終わりころには、夕焼けで赤くなってきた空の下でトンボを追いかけていた思い出がある。


小学校に入るころには、「夏至」「冬至」の意味も分かり、まだこんなに暑いのに、どんどんと昼間の時間が短くなっていることを不思議に感じていた。高校野球が終わり、8月も終わりに近づくと、切ないような夕暮れと、その中をトンボを追いかけていたこと、そして、サボりにサボっていた夏休みの宿題に追いかけられていたことを覚えている。


高校生になり、精神的にも複雑になり、「人を恋する」思いが心の中に目覚めると、8月中旬頃から、午後3時ころから傾き始める太陽の光の中に、これから来る秋の気配を感じて、何とも言えない、物悲しい思いを感じるようになった。医学的には「季節性うつ」とも呼ばれ、春と秋、気候が大きく変わっていくときに心の調子が崩れやすいのは認知されており、おそらく私自身も、「季節性の抑うつ状態」となっていたのだろうと思う。


所属していたギター部では、クラシックギターの独奏曲と、主にバロック時代の曲をギター用に編曲して合奏していたのだが、楽器演奏にはどうしても奏者の心が音に反映してしまう。高校時代には9月に体育祭、その2週間後くらいに文化祭があるのだが、文化祭が終わり、秋も深まってくると、寒くなって指の動きが悪くなる。心の問題と、指が動きにくくなる問題も重なり、冬はどうしても調子がもう一つ、だったような気がする。


朝は6時前に起床しているが、約1日に4分ずつ、日の出が遅くなっている。夏至~7月頃は、午前4時半頃には結構明るかったのだが、今は、5時前でも少し薄暗い。もう少しすると、もっと日の出は遅くなるのだろう。


今日の夕方、所用があって車で外出した。車を止めて、建物に映る日光を見てみると、こんなに気温は高いのに、光の中にはしっかりと「秋」が溢れていた。買い物をして、精算待ちの間に、店の中に差し込んでいる光を見ても、やはり秋の憂いを感じてしまう。


小学生のころ、深夜ラジオに目覚めた私は、オールナイトニッポンや、KBS京都の「ハイヤング京都」、MBSラジオの「ヤングタウン(ヤンタン)」を聞きながら床に着いていたが、毎週金曜日、谷村新司氏とばんばひろふみ氏、そしてアイドル時代の三田寛子さんがDJをされていた「ヤングタウン金曜日」が好きだった。ちょうどそのころ、谷村氏が「22歳」という曲をシングル曲として発表していて、「ヒットチャートの10番以内に入るよう、応援していこう」という雰囲気で、毎週曲が流れていたのだが、その中の歌詞に「あぁ、夏が行く 傷を残して 風はもう秋の気配」というフレーズがあったが、私にとって、「夏が終わったなぁ」と思うのは、秋風が吹いたときではなく、街を照らす太陽に、秋の憂いをかんじたときである。


私にとっては、ちょっと過ごしにくい季節が来たなぁ、と思ってしまう。この時期の猛烈な暑さと、にもかかわらず日差しの中にはしっかり「秋」が含まれていて、いろいろなことを思い出してしまう季節が来てしまったなぁ、と今年も感じている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る