高校生だから犯罪になりますか

「ベランダに鉢みたいなもの、置いてたりします?」

「ああ、うん。ミニトマトを育ててるよ」

「なら、さっきの音は猫が鉢を倒したんでしょ。がしましたから」

「そっか。この辺、野良猫が多いもんね。じゃあ、鉢を元に戻してくるね」

 よかった。福岡ふくおかくんがそう言うなら、きっとそうなんだろう。それにしても猫の足音が聞こえるなんて、耳が良いなぁ。

 ふぅ、と息を吐き安心する。ベランダに向かおうと立ち上がった時、足を止めさせるように手を握られた。

「ん?」

眞野まのさんは座ってて」

「んん? 鉢を直したら、すぐに部屋に入るよ?」

 敬語が消えた福岡ふくおかくんの言葉。

「猫に引っ掻かれたら、傷の手当てをしなくちゃいけなくなるでしょ。眞野まのさん、鈍臭どんくさそうだし、大人しく座っててください」

「私、鈍臭どんくさい……鈍臭どんくさいかなぁ?」

 腕を組んで、ベッドに座る。右の人差し指を唇に寄せて、首を捻った。

 彼は電子ケトルの外れかけている蓋を、じっと目を細めて見つめる。落下した時に壊れたであろう蓋をよく観察した後、器用に直し始めた。

 先輩によってグチャグチャにされた物が元に戻っていく様を眺めていると、もう心は落ち着いていることに気づいた。

福岡ふくおかくん」

「はい」

 彼は手を止めないまま返事をする。

「ずっと言いたかったんだけど……」

「なんです?」

「前に会った時、酷いこと言ってごめんね。一方的に、その……二度と話しかけないで、とか……言って」

「ああ。全然気にしてないんで」

 あまりの爽やかさに、ポツンと取り残されている気分。

 あれ? 少しくらいは責められると思ったのに。

 拍子抜けをした。だから余計に心の中で焦りが生まれる。怒られたいわけではないけど、頭の中でなにかが納得しないのだ。誰一人も怒鳴らないから。

「え、と……今回のことも、本当に頼っちゃってごめんね。前に連絡先を消してって言ったのに、私は消してないし……。年下の君を……巻き込んじゃったら、ダメだよね」

 消え入りそうな声。しっかりしなきゃと思ってるのに、いつも行動は伴わない。

 絡める指を見下ろした。フルートを支える手。親指にはフルートダコができてる。硬くなっているそこを指でなぞった。

「ダメですよ」

 優しい声色に顔を上げた。

「そんなふうに思っちゃあ」

「でも……やっぱり」

「自分が悪いと思ってるだけじゃあ、なんにも変わりませんよ。そもそも、俺、なんも思ってないですし」

「それでも……」

 ぎゅっと手を握る。

「俺が最後の砦……だったんでしょ?」

 その通りだ。

 もう福岡ふくおかくんしかいなかった。

 福岡ふくおかくんならなんとかしてくれると思った。もしなんとかならなくても、良いとも思っていた。最後の希望でどうにもならないのなら、それが運命だったのだろう。

 私がなにも答えなくても、彼はわかっている様子だった。だから私が答える前に口を開く。

「約束通り、俺がなんとかしますよ」

 幼さが残る顔で、にっこりと笑う。

 その笑顔が心を擽る。その朗らかさが、傷ついた心を穏やかにさせる。

「年齢なんか関係ありません。つらい時は頼ればいい。甘えたっていい。そうやって支え合って生きてくもん……でしょ?」

 電子ケトルを直すと、今度は床を雑巾で拭き始める。

 先輩がいた時は熱かった湯が、今はただの水。怖かったものは福岡ふくおかくんの手で消えていく。

「年齢、かぁ。君からしたら、私は一回り違うんだよ? 三十代の私なんか、おばさんだし。十代の君を頼ったら、嫌じゃないの?」

「嫌じゃないですよ。本当に嫌なら連絡先なんて教えないし、ここまで来ないし。そんなに信じられないです?」

 困ったような顔。私はすぐに否定できなかった。

 信じられないというより、信じたいけど信じるのが怖い。その本心は、今までの彼氏のように『甘え』だとか言われるんじゃないかと、疑ってしまう。

 福岡ふくおかくんは一度手を洗った。

「そっか」

 そう言って、

「じゃあ、ぎゅーって抱きしめましょうか?」

 冗談混じりに言って、両手を広げる。

 わかってる。彼は決して本気じゃない。だから失笑した。

「えー」

「嫌な人を抱きしめたりしないでしょ? それとも眞野さんは嫌な人でも抱きしめちゃうタイプ?」

 そう言われて、脳裏に蘇る映像。

 それは、会社から練習に行こうとする私を、奈良栄ならさか先輩が引き止めた時の記憶だ。たったそれだけの行為で嫌悪感を抱いた。彼に抱きしめられるなんて、絶対にイヤ。勿論もちろん、その逆も。

 思い切り、私は首を横に振った。

「ほらね」と言って、すぐに思いついた表情を浮かべる。

「あ、もしかして犯罪にならないか気になってます? 俺が高校生だから」

「それは、その……まあ、ちょっとそれっぽいことは言われた、かな」

 思い当たる節はある。夏希なつきに高校生に手を出すのは許されないと言われたっけ。

眞野まのさんって真面目ですね」

 片眉を寄せて、彼は笑う。

「しょうがないな」

 私の前までやって来ると、優しく私の両手をとった。嫌な感じは全くない。

「嫌なら嫌って、ちゃんと言ってくださいよ?」

「え、ぇえ? なんの話?」

 福岡ふくおかくんがなにを言っているのか、わからなかった。私の手をどうするつもりなのだろう。

「はい、立ってください」

 彼に両手をグイッと持ち上げられるように、私はベッドから立ち上がった。

 エメラルドのような綺麗な瞳と向かい合う。

 キラキラと輝く双眸が細められ、

「ふわぁっ!」

 ほんの少し力強く引っ張られて、私は彼の胸元に飛び込んだ。

 ティーシャツを通して、彼の体温が頬に伝わる。温かい。久しぶりに感じる人の温もりが心地良い。

 そして耳から入ってくる彼の鼓動を聴いてると、私の鼓動が速くなっていくのを感じた。心臓が飛び出てくるのではないかと思うくらいに心音が大きくなっていく。

 こんなに男性と近いなんて滅多にないから、どうしたらいいのか混乱した。

「え? あ、え」

 ああ、バカだ。

 動揺しているのに、本能というか、欲望に気づいてしまった。

 私も抱き締めたい。苦しくなるくらい抱きつきたい。悩み事なんてどうにでもなれと思えるくらいに、胸元に顔を埋めて、全身で彼を感じたい。

 私が腕を回したら、突き離されるだろうか。拒絶、されるだろうか。

 目をぎゅっと瞑る。

 暫く葛藤した後、恐る恐る彼の背中に腕を回した。

 ぎゅっと、彼の白いティーシャツを掴む。

福岡ふくおかくん……」

 体が固くて、大きい。福岡ふくおかくんは男の子なんだなぁ。私の体なんてすっぽりと入っちゃう。

 包み込まれてるこの感じが、凄く好き。あったかくて、凄く好き。お風呂上がりの石鹸の香りが、凄く好き。

 私は突き放されるまではこのままでいようと思った。

「……」

 突き放されるのを待つ。

「…………」

 ひたすら待つ。

「………………?」

 来ない。なにも来ない。

 不思議に思い、顔を上げてみると、そこには頬を朱色に染め、そっぽを向く福岡ふくおかくんがいた。

 ただでさえ心臓がバクバクな私も意識してしまい、照れてくるもので。私まで固まっていると、福岡ふくおかくんは視線を明後日に向けたまま、遠慮気味に私の頭を右手で撫でた。

「今だけですからね」

 そう言って、もう一度彼は私の頭をそっと胸に寄せ、抱きしめた。

 視線が交わらないまま、暫く体温を確かめ合うように離れなかった。お互いに異性の扱い方がわからないように、不器用な手つきで。

「怖かったですね」

「……うん、凄く心細かった」

「もう俺がいますから」

「……ありがとう。凄く……凄く安心する」

 それが一時だったとしてもよかった。

 恋人じゃないのに抱き合うなんて、おかしな話だけど、福岡ふくおかくんは本当に私が嫌いじゃない、偽っているわけでもないんだなと、やっと思うことができた。

 目を閉じたまま彼の鼓動に耳を澄ましていると、遠くからパトカーのサイレンが聴こえる。どこかで事故か事件が起きているのかなと思っていると、

「ハッ!」

 彼はわざとらしく声を上げた。

 急に体を離され、福岡ふくおかくんはまじまじと私と視線を合わせる。

「今から早く片付けて、家に行きましょ! 時間がないですし」

 素早い動きで、先程拭いたばかりの床を拭いていく。もう拭く必要はないのに。

 それがもう照れ隠しだとバレバレで。なんだか、こちらまで恥ずかしくなった。私は「もう大丈夫だから手伝うね!」と、食器を整えていった。

「…………家?」

 ピタッと手が止まる。

 さらっと福岡ふくおかくん、そう言いましたけど、家って言いました?

福岡ふくおかくん、家って言った?」

「はい、言いましたよ」

「……………………マジで」

 年頃の男の子の家に行くことになるなんて。

 流石にまずくない?

 いやいやいやいや、まずいでしょ。あのお母さんもいるんだよね。気まずいですよね。向こうも。

 体がブルリと震えた。

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