第36話 追及者(後編)
どんよりとした曇り空の、静かな平日の朝。夜明けが過ぎてもまだ太陽は見えない。今にも一雨来そうであり、早くから起きた人間は不安そうに空を見上げている。
そんな空にも似た緊張感を漂わせながら、二人の男が歩いていた。
彼らはマンションの一室の前で止まり、チャイムを鳴らす。ややあってから扉が開くと、姿を見せた人物に小さな驚きをもって迎えられた。
「あ、この前の……」
「ええ。この前のしがない公務員ですよ」
訪問者は会釈をしつつ、飄々とした声を発した。
くたびれた服装の壮年男性、警察官の羽生だ。後ろには若い部下も控えている。
「いやあ。朝早くからすいませんねえ。捜査にご協力願いますよ。立ち話で結構なんで」
柔和な笑みで告げた羽生。
彼に反し、家主は警戒と不信を混ぜたような顔になる。それから疑問の形で拒否を示した。
「……今更何を協力しろと? あの日あった事は全て話しましたよ」
「いやあ、それがですね。こちらで何度検証してみても、おかしな点があるんですよ」
「おかしな点、ですか?」
「ええ。非常におかしな現象が」
疑問の声を受け、羽生はしっかりと頷く。
それから改めて彼らの仕事を説明し始めた。
「私達人類はエンカウントにいつまでも振り回されてはいません。魔界、魔物。それらの情報を世界中と連携して収集し、データベースに保存しています。どれだけの攻撃で魔物が倒せるか、あちらでの体がどれだけの力を持っているか……それらを検証する為に。だから断言します」
世界が、エンカウント課が、変化に対応すべく集めてきた情報。続けていた抵抗の軌跡。
そこから明らかになった事実を、羽生は語気を強めて告げた。
「お聞きした情報だけでは、店長さんが亡くなるなんてあり得ないんですよ」
口調も表情も決して威圧的ではない。だが眼光には底知れぬ迫力があった。大柄でも筋肉質でもない姿から、見た目以上の重圧が発せられる。
それは事実上の挑戦だった。
目前の相手は気圧され、身をすくませる。
それでも沈黙はせず、反論した。例え虚勢にしか見えなかったとしても、あくまで強気な態度で。
「……だ、だからって俺とは関係ないでしょう! いやそれに、そんなの信用出来ない!」
「なにをそんなに慌ててるんで?」
「いっ、いや。誰でも疑われたら慌てるに決まってる!」
「ふむ、あなた勘違いしていますね。私は別にあなたを疑ってはいませんよ。……ところで」
慌てる家主とは対照的に、羽生はとぼけた調子で話す。あご髭を撫でつつ、まるで世間話のように軽く。
そのまま彼は静かに滑らかに、懐にスッと入り込むように、切り込んだ。
「以前働いていた店は、レジの金を盗んでクビになったようですね?」
「……っ、確かに、そうでしたが。それが」
「この店でも繰り返したでしょう。その上、店長さんはクレジットカードをなくし、不正利用されていたそうです。これもあなたですね?」
「それがバレたから、殺したと? 話が飛躍し過ぎじゃないですか?」
「ええ、確かに。ですが、トラブルがあった事は認める訳で?」
「あ、ああ。あったさ。だからって俺には、いや誰にも無理だろう! 何人も見てたんだから!」
「ええ。誰も店長さんに近寄ってはいません」
家主改め容疑者――あのコンビニの男性店員の言い分は正当に認められた。
ただ、その上で追及の手は緩まない。余裕を持って、またも別方向から放たれる。
「おっと、そうだ。トラブルと言えば」
「今度はなにか?」
「エンカウント直後に店長さんと言い争っていたとか」
「っ、ええはい、その時店長とお金の件で揉めていました。それは認めます。でも殺した証拠にはならないでしょう?」
「その時、女性の店員さんが仲裁されたようですが、気を逸らせておいて……コッソリ矢を盗みましたね?」
確固たる語調から分かる。その問いかけは形だけの確認で、かつ標的への牽制だった。
みるみる男の顔色が変わる。病的に青白く、呼吸すら乱れていた。最早無言の肯定でしかない。
だが頭はまだ冷静に回っていた。動揺の表れた声であっても、論理的な反論をする。
「……や、矢を盗んで、吹っ飛ばされた店長に投げたとでも言いたいんですか。確かにそれなら俺にも可能かもしれない。でも机上の空論だ。ずっと隠し持つのも、当てるのも、そんなの出来る訳がない!」
「あなたは遊撃として動き回り、皆さんは魔物に注目していました。袖でも鎧の隙間にでも隠し持てば不可能ではないでしょう。だだ確かに……矢を投げて命中させる、なんてのは難しいでしょうね」
「だろう? そんな無茶な暴論で犯人扱いするなんて、だから警察は……」
「だから、練習をしていた」
その短い言葉には、静かな声であるのに鋭さと威圧感があった。それもあってか、店員の男は文句を言いかけたままの、口を開けた状態で固まる。
そんな容疑者を見据える羽生は、獲物に狙いを定めた狩人のように、淡々と言葉の矢を浴びせかける。
「ご友人方から証言はとれています。一ヶ月程前から、戦闘の幅を広げる為に弓矢使いの方から矢を借りて投擲を試していた、と。最近では腕前もかなりのものだったようですねえ。命中率も高く、威力も申し分ないとか」
疑っていない。
そう言った羽生の言葉は真実だ。単なる決めつけでなく、捜査の結果、根拠を持って、確信していたのだ。
当人もそれを理解したのか、酷く見苦しく狼狽えている。それこそ逞しく頼りがいのあった彼とは別人の様相で。
そしてお決まりの文句を口にした。
「しょ、証拠は……俺がやったって証拠はあるのか!?」
「ありませんよ。そもそもエンカウントでは物理的な証拠は残りませんしね」
予期していなかった、しかし求めていた否定の言葉。
覚悟をしていたのだろう男性の顔にも明るい色が戻る。しかし、その安堵は一瞬にも満たない時間で消え去った。
「ですが……言いませんでしたか? エンカウント課がどういう存在か」
前置きには自らの仕事への自負が込められていた。
羽生はあくまで静かに、しかし容赦なく追い込みをかけていく。
「たかが証拠が残らない程度で屈する訳にいきません。だから私共は状況証拠を積み上げる訳です。一つずつ、一つずつ、真実に手が届くまで。……さあ、お話を続けましょうか。次はとりあえず、店長さんが投げられた時点で一度退かずに、他の皆さんに戦闘を促した理由でも」
にこやかな顔でそれに反する固い意志を語り、
まるで飲みに誘うような気軽さで疑惑を問いかける。
チグハグなようでいて、一本の筋が通っているようにも感じられた。まさに形の無い水や風のよう。柔軟で堅牢な強かさがあった。
この男に追及され続ける。その想像は心を折るに充分な悪夢だったらしい。
男性店員の返答がそれを明確に表していた。
「う、うぅ……どけぇっ!」
醜く喚き、羽生に突進する。やはり何かしらスポーツをしていたのか、姿勢が整っていて力強い。人間一人軽々と吹き飛ばしそうな勢いがあった。
だがその先には、素早く前に出てきた羽生の部下が立ちはだかっていた。
そして対処はより速やか。
走り来る男の手を掴み、捻りながら足を引っかける。鮮やかに投げ、床に転がしてしまった。
「ぐふっ!」
激しく押し出された苦しげな息。背中を打ちつけ痛みに悶える男に、上から羽生の飄々とした声が降ってくる。
「さて、何故突然逃げようとしたのか……その理由をじっくり教えて頂きたいものですねえ。という訳で、場所を変えましょうか。行き先はきっと、あなたのご想像通りですよ」
「お疲れさん。今回は色々と走り回らせちまったねえ」
「……いえ。これくらいの苦労、当然です」
「そうかい、なら……そろそろ、墓参りにゃ行けそうかい?」
三日月の見える晴れた夜。
暗くとも殺風景ではない屋上で、羽生は若い部下――潮山千次へわざと深刻にならないような口調で尋ねた。
それに彼は短い沈黙すら挟まず、即座に首を横に振る。
「無理ですよ。俺はまだ自分を許せてません」
「そうかい、厳しいねえ。おれからすりゃあ、とっとと行ってもらいたいもんだがね。お前さんは前より大分清々しい顔になってる事だし」
「……そう、ですか。だったら、この道を進み続るだけです。あいつに顔向け出来る俺に戻るまで」
力強く答えた千次は屋上にあったプランターを――そこに咲く花を、険しい顔ながらも愛おしい者を見るような視線で見つめていた。
そんな彼を、上司は我が子にそうするように、優しく穏やかに見守っていた。
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