第11話 皇女様は猫が好き

 猫がいた。

 縞模様しまもようだったり斑模様まだらもようだったり無地だったり。

 黒かったり白かったり、そのふたつの色が混ざっていたり。

 とにかく、いろいろな種類の猫がいた。


「お、おおぉ……」


 そんな毛玉たちは、地面に差した陽だまりに身を寄せって丸まっている。

 すやすやと寝ていたり、ふにゃぁと大きく欠伸あくびをかましていたり。

 その光景を見つけてしまったリタは思わず天を仰いだ。


「ああ、楽園エデンはここにあったのですね……!」


 同時にリタは固まった。

 身動みじろぎのひとつ、物音のひとつが、この楽園を崩壊させてしまうのではないかと。

 そんな危惧を思い浮かべたからだ。

 ちなみにエイトールはこの場にいない。

 さっき自分達の前を横切った鹿を見て『よし、あいつを今晩のメシにするぞ!』とか言って追いかけていってしまった。


「まさか愚森ぐりんの中に、こんな素晴らしい世界があるなんて……」


 森の奥へと進み、とある場所をさかいに虫の気配はなくなった。

 否――正確にはいなくなったわけではないが、森の入り口にいたほどの異常な量は見られなくなった。

 おそらくあの虫たちは、文字通り愚森ぐりんでの門番の役割を果たしているのだろう。

 と、そんなことを考えていると、一匹の子猫がリタの足元に歩み寄る。


「ど、どうしたのですか、ネコちゃん?」


 おそるおそる声をかけると、子猫は一度だけ顔を上げてリタの顔を見た。

 なーあ、と可愛らしい鳴き声。

 そしてそのままリタの足元に歩み寄り、すりすりと頬を擦り付ける。

 限界だった。


「あぁあああああああああ――っ!!」


 リタの奇声に、寝転がっていた猫たちがビクッと跳ねる。

 穏やかな静寂を破壊した赤毛の少女は、そのまま足下の子猫を抱きかかえた。

 それを優しく胸に押し付けながら、自身もゴロゴロと地面を転がり――。


「ああ、もう! どうしてあなたたちはこんなにも可愛いのですか!」


 服が汚れることも構わずに、何度も何度もゴロゴロと地面を転がる。

 抱き寄せられた子猫は戸惑いながらも、なーあと鳴いて、すりすりとリタの薄い胸に顔を擦り付けた。

 可愛い。

 可愛すぎて死ねる。


(さてはこの子たち……私を萌え殺すために用意されたオフェーリア派の刺客なのではないですかっ!?)


 そんな明後日の方向に思考を飛ばしながら、リタは悶えるように地面を転がる。

 それを新しい遊びか何かと勘違いしたのか、他の猫たちも集まってきた。

 耳元からにゃあにゃあと呟かれ、自分も猫になった気分である。


「にゃーあ? にゃーあ?」


 顔を擦り寄せてくる猫たちに、ネコ語で話しかける。

 キョトンとした目で首を傾げられた。

 可愛い。

 興奮して、再び地面をゴロゴロと転がってしまう。

 どんっ、と何かにぶつかった。

 木の幹にでもぶつかったのかと顔を上げる。


 ――呆気に取られた表情のエイトールと目が合った。


「…………」

「…………」

「……あー、その、うん、あれだな、うん」


 エイトールは目を泳がしまくりながら言葉を探している。

 その肩にはぐったりした鹿を担いでいた。


「ようやくこいつを捕まえたからさっそくメシにしようと思うんだが」

「あの、エイトール、これはですね……」

「そっちの茂みの先で解体してるから、気が済んだら手伝ってくれよ」

「違、その、ダメです、優しくしないで……」


 リタの懇願も虚しく――。

 何も見なかったことにしたエイトールは茂みの先へと消えていった。

 そしてひとり残されるリタ=プルーム。

 正確には、その周りには不思議そう顔をしたたくさんの猫たち。

 にゃーにゃー、にゃーにゃー。


「………………」


 プルプルと身体を震わしたリタ。

 その顔が真っ赤に燃えていく。

 己の中の羞恥が臨界点を超えた瞬間、リタの喉から絶叫が走った。


「いやぁあああああああああああああああああああああああっ!!」


 今度は別の理由でリタは地面をゴロゴロと転がる。

 なんだなんだと猫たちがそれを追いかける。

 にゃーにゃーと耳元で鳴き声が響く。

 うるさい黙れぜんぶお前たちのせいだ。

 心の中で責任転嫁せきにんてんかを叫びながら、ゴロゴロと地面を転がる。



 茂みの向こう側。

そんなリタの絶叫を聞いていたエイトールは、頬を赤らめながら――。


「ああ、クソ。なんだよあれ、可愛すぎるだろ……!」


 普段あまり隙を見せないリタの無防備な一面に。

 人知れず、悶えていたとかなんとか……。


 ***


 オフェーリア派の筆頭騎士グリス=グラス。

 鍛え抜いた武の力のみで平民から帝国騎士の地位にまで駆け上がり――。

 ついには騎士爵を授かり、ひとつの騎士団の団長にまで昇り詰めた男。

 その男は今、半壊した馬車の中にて眠る魔術師の遺体を眺めていた。


「ルミエラ=パーチェム。最後まで、おのが主のために戦った魔術師よ」


 優しい寝顔のようにまぶたを閉じた魔術師を見て、グリスは黙祷もくとうを捧げた。

 たとえ敵であろうとも、誇りある戦士には敬意を払う。

 それこそが、グリス=グラスの騎士としての在り方だ。


「団長! 斥候せっこうが戻ってきました!」

「うむ、報告しろ」


 グリスは振り返り、膝をついた騎士に言葉を促した。


「林の中にて血痕けっこんを確認。鮮血魔石ブラッドストーンの解析によるところ、リムスフィア殿下のもので間違いないと」

「事前の報告の通りだな。それから?」

「血痕の近くでは戦闘の痕跡が……しかし、不可解な点がいくつか……」


 言い淀む斥候の騎士。

 グリスは眉を僅かにしかめる。


「不可解……? 具体的に報告しろ」

「……リムスフィア殿下を追跡中に何者かが乱入し、どうやら騎士たちと戦闘になったようです」

「報告にあった謎の少年だろうな。何が不可解なんだ?」

「何もかもが。残った足跡から推測される歩幅。踏み込みによる地面の陥落。殴りつけたらしき岩や木の幹の破壊痕はかいこん……その全てが規格外、とても人間の手によってなされたものとは思えません」

「……ならば少年の正体は、魔力で強化した魔術師なのではないか?」

「帯同した魔術師によると、戦闘場所で魔力が行使された痕跡はないと」

「……」


 その報告にグリスは押し黙る。

 情報が少なく自ら現場に出てきたは良いものの、得られた報告によって逆に謎が深まるばかり。

 しかし重要なのはその謎の解明ではなく、目的を達すること。

 オフェーリアを皇帝にする――。

 ひいてはリムスフィアの身柄の拘束、あるいは殺害だ。


「リムスフィア殿下はどこに?」

「はっ。痕跡を追いかけたところ、近くの小屋で休息を挟んだのちに林の奥……愚森ぐりんに向かわれたのかと」

「……愚森ぐりんだと?」


 グリスはすぐに頭の中で帝国の地図を広げた。

 確かに、愚森ぐりんを抜ければ帝都への近道になる。

 ――が、たったふたりで森を抜けることなどできるはずがない。

 無謀な逃避行に眉をグリスは眉をひそめる。


愚森ぐりんに行ったんならもう放っておいてもいいんじゃないっすか? 死んだも同然でしょう?」


 と、軽い口調で団長であるグリスに声をかけるのは鎧を着崩した女性騎士。

 長い茶髪の間から覗く瞳は、猛禽類もうきんるいのように鋭かった。


「楽観はするな。謎の少年とやらの素性が分からぬままでは安心はできない」

「へぇー、団長さまは随分と心配性で」


 その無礼な物言いに斥候せっこうの騎士が文句を口にしようとする。

 が、グリスが手を掲げてそれを制した。


「ルイーダ。お前は騎士を何人か連れてリムスフィア殿下を追え。見つけたら殺して構わん」

「えー、アタシがっすか? 団長は?」

「オレは万が一に備えて森の出口に騎士団を展開しておく」

「ズルっ! やだなぁ。愚森ぐりんとか虫がいっぱいいるんでしょ?」


 文句を言いながらも、茶髪の女騎士――ルイーダはグリスの近くに歩み寄る。

 その耳元の顔を寄せ、小さな声で――。


「速さを重視するなら騎士を使い捨てることになりますけど、それでもいいっすか?」

「……構わない。が、イタズラに騎士の命を減らすなよ」

「わかってるっすよ。んじゃ、さっそく行ってきます」


 そう言って、ルイーダは何人かの騎士を連れて林の中に入っていった。

 その背中を見送りながら、グリスは思う。

 騎士ルイーダ=ペトレータは礼儀こそなっていないがその剣技は超一流。

 謎の少年とやらがどれほどの力を持っていようとも、まともな対人戦でルイーダには敵わないだろう。


「帝都近くの森に騎士団を動かす。急げ」

「はっ!」


 グリスは斥候せっこうの騎士にそう指示を出した。

 逃げ場はないぞ、と。

 敵対する皇女と、それに手を貸す正体不明の少年に告げるかのように。

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