第3話 騒乱は月明かりと共に

 魔法生物の死骸は放っておくと、他の魔法生物を呼び寄せかねない。

 なのでリタが初級の火魔法で潜り蛇クルーガンの亡骸を焼くことにした。

 ちなみにエイトールは魔法が使えない。

 魔力を持つ人間はこの世界では貴重だ。


「魔法を使うってのはどんな感覚なんだ?」

「……言葉にするのは難しいですね。目に見えないものを他人にも見えるようにイメージする、とでも言いましょうか」

「ふーん」

「おい、質問したならば最後まで興味を持ちなさい」


 そんな雑談を挟んでいるうちに、蛇の死体は真っ黒な炭となった。

 再びの帰路に着くふたり。

 と、そこでリタは何かを思い出したかのように話しかける。


「そういえば、どうしてエイトールはこんなに強いのにグレインたちにされるがままなのですか? 喧嘩になれば勝負にもならないでしょう」

「親父と約束したんだよ。学校で問題を起こしたら即刻帰国だって」

「そうなのですか。ふふっ、無闇に力を振るわずに我慢できるだなんて偉いですね。褒めてあげます」

「……」


 言えない。

 実は我慢できずにグレインたちを海に沈めようとしていたなんて。


「……? なぜそこで黙るのですか?」

「あ、いやっ、別に! そうだ、さっきの話! この宝石ができたらもらってくれるのか?」

「宝石は高価なものですよね? そう簡単にもらうわけには……」

「そこは気にしないでくれ。こいつは俺の初めての研磨作業だからな。たぶん売り物になるようなレベルにはならねぇ。要するに練習用の作品になるはずだ」

「初めてなのですか?」

「なかなか師匠が作るのを許してくれなくてよ。半年弟子入りしてようやくだ」


 下働きと師匠の作業を手伝い続けた半年間を振り返る。

 汗と土に塗れた、優雅とはかけ離れた時間だったが楽しかった。


「初めて作る宝石なんて、思い入れも大きいのではないですか?」

「おう、だからリタにもらって欲しいんだ! 学校では変なやつに絡まれるのを何度も助けてもらったし、そのお礼も兼ねてな!」

「別にそんなこと気にしなくてもいいのですが……」

「あとは単にリタに似合うと思うんだ。俺が作るのは海宝石アクアマリンって宝石でよ、緑がかった青色の宝石でな、リタのその綺麗な赤髪に似合うはずなんだよ!」

「きれっ……ふ、ふーん、そうですか、ふーん」


 リタが頬を赤く染めながら、毛先をくるくるといじり始める。

 急にそっぽを向いてしまったが、その口元はニマニマと嬉しそうだ。


「ま、まあ、そこまで言うのならもらってあげてもいいですよ。私に似合う素敵な宝石を作ってくださいね」

「おう、任せろ!」


 エイトールの爽やかな請け合いに、リタは「ふふっ」と小さく笑う。

 真っ直ぐに夢を追いかけるその姿が素敵だと思った。

 小さな石ころに目を輝かせるその感性を好ましいと思った。

 そして、最後――。


「羨ましいですね。お前のその自由な未来が」

「ん、なんか言ったか?」

「なんでもないですよ」


 こちらを見つめるエイトールの瞳に小さく首を振る。

 妬ましいと思った己の醜い感情は、浮かべた笑顔で無理やり蓋をして――。


 ***


 こつこつ、と。

 窓ガラスを叩く音に、リタ=プルームは目を覚ました。


 寝ぼけまなこを擦りながらベットから起き上がり、カーテンを開ける。

 真夜中のようだが、月明かりのおかげで何も見えないわけではない。

 青白い世界の中、窓ガラスを叩いていたのは一匹のふくろうで――。


「――っ!!」


 それを確認した瞬間、リタの脳は一気に覚醒した。

 微睡まどろみは遠い彼方かなたへと追いやられ、すぐに自分が何をするべきかを把握する。

 クローゼットを開けて、濃い色合いのカーディガンを羽織はおった。

 誰にも見られないようこっそりと外へ出て、ふくろうがいた寮の裏側へと回る。

 そこにいたのは甲冑を着た五人の騎士と、ローブを纏った魔術師らしき女性。


「――お迎えにあがりました、リムスフィア・アルムス=プルミアーナ皇女殿下」


 彼らのリーダーなのか、魔術師の女性が膝を突きながらそう言った。

 リタがごくりと唾を飲む。

 夜風が身体の温度を奪っていくのを自覚した。


「迎え……ということは、皇帝陛下になにかあったのですか?」

「……女帝陛下は今から五日前に崩御ほうぎょされました」

「なっ……!?」


 魔術師の震えた声の報告に、リタは驚愕を漏らした。

 今が夜間でなければ悲鳴をあげていたかもしれない。


「事実、なのですか?」

「間違いなく……。私たちは陛下の遺言を遂行しに、この場に参上しました」


 魔術師の女性は顔を上げる。

 月明かりに照らされたその瞳には涙が浮かんでいた。


「リムスフィア皇女……いえ、リムスフィア女帝陛下。次代の皇帝を無事に帝都まで送り届けること。それが我らに与えられた命でございます」

「――っ!」


 身体が己の意志に反して震えた。

 騒ついた心が思考力を一瞬にして奪っていく。

 騎士たちは動かない。

 新たな皇帝の心が落ち着くまで、じっと膝を着いて待っていた。


「……皇帝陛下の……母上の身体の具合がよくないことは知っていましたが、少なくとも私が学校を卒業するまではつとの話だったと記憶していますが……」

「……おおやけにはされていませんが、陛下は毒を盛られました」

「毒……」


 心臓が再び喚き出す。

 リタは必死に心を落ち着かせるため、大きく深呼吸をした。


「兄様や姉様は? 帝位継承権は私よりも上だと思うのですが」

「第一皇子アルス殿下と第二皇子スルト殿下は女帝陛下と同じと思わしき毒を盛られ意識不明の状態にあります。そして証拠はありませんが、その毒を盛った犯人こそが第三皇女オフェーリア殿下の手のものであったと」

「……なんと」


 リタはどうにか動揺を、その一言で押しとどめた。

 泣いて喚いたところで何も変わらないと知っているから。


「女帝陛下の遺言はリムスフィア皇女を次代の皇帝に……しかし、オフェーリア派の者たちがそれを許さないでしょう。帝位の継承は『玉帝ぎょくていの儀』を帝都にあるブリスタニア教会で執り行わなければ成されません。つまり――」

「それまでの道中、私には暗殺の危険があるということですね」


 魔術師の女性は、こくりと頷く。

 リタは瞼を閉じた。

 皇帝になる。

 国を背負う。

 その重みを考えるだけで眩暈がしてくる。

 でも――。


「オフェーリア姉様を皇帝にするわけにはいきません」


 リタは覚悟を決めて、瞼を開けた。

 長い時間はかからなかった。

 実を言えば、いつかこんな日が来るのではないかと予想はしていたから。


「さっそくですがリムスフィア殿下には我々と共に帝都に向かっていただきます」

「玉帝の儀を執り行うためにですね」


 こくりと頷いた魔術師の女性に、リタは軽く手を振った。


「少しだけ待っていてください。そう時間はかかりません」

「では、私は学校長に話を通しておきます」


 リムロット帝国貴族学校の学校長は、この学校で唯一リタが皇女であることを知っていた人物だ。

 きっと自分がいなくなった後処理を滞りなく行ってくれるだろう。

 そんなことを思いながら、リタは自室へと戻る。

 使い込まれた鞄、壁にかけられた制服、机に散らばった教材類。

 もう二度と戻ることのできない青春に、そっと目を逸らす。

 そうでもしなければ、決意がにぶってしまいそうだったから。


「……せめて卒業はしたかったですね」


 もはや叶わない願いを呟きながら、旅の支度をする。

 必要になりそうなものを鞄に詰め込んで、リタはすぐに部屋を出た。


「リムスフィア殿下。馬車を用意しています。こちらへどうぞ」

「わかりました」


 女魔術師に促されるまま、リタは馬車に乗る。

 小さな窓からは、女子寮とついを成す男子寮を確認できて――。

 そこでふと、リタはとある少年の顔を思い出す。


「ごめんなさい、エイトール。約束、守れませんでした」


 あなたの作る宝石を見てみたかった、と。

 そんな細やかな心残りを、月明かりの中に置き去って――。

 リタは未練を断ち切るように前を向き、それを確認した騎士が手綱を引いた。

 ガタガタと車輪の転がる音が鳴り、一台の馬車が女子寮から遠ざかる。


 こうして、リタ=プルームは学校を去った。

 大切な友人に、さよならの一言も言えないまま――。

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