第21話 旧知の悪縁

 数人に囲まれて談笑していたその子の横顔を凝視する。見間違い、ではない。

 私の知っている当時の姿と全く同じというわけではなかったけど、面影はある。


 自分の記憶が正しいのかどうか、確認するため改めて声をかけた。


「ねぇ。雪平ゆきひら朱音あかね、だよね?」


 名前を呼ばれた少女――雪平は、友達と楽しげに会話をしていた表情のまま、肩をピクリと震わせて硬直した。


 座っていた自席から離れ、彼女に近付いてみる。

 顔を覗き込んだ瞬間、あからさまな速さで体の向きを変えられた。


 しかし、相手の顔を見た僅かな時間の中でも、彼女が雪平朱音であると確信を持つことができた。

 人の顔や名前を覚えるのが苦手な私がはっきり断定しているのだから、間違いない。


「久しぶりじゃん。高校ここだったんだ」


 なおも顔を背け続ける雪平に違和感を覚えると、周りにいた友人たちが怪訝そうな視線を私に向けてきた。


「……ちょっと、朱音。話しかけられてない?」

「知り合いなの?」

「……えー? 全然知らないよぉー」

「何でしらばっくれてんの。同じ中学だったでしょ」


 一向に目を合わせようとしない彼女から、なんとなく避けられているような気配を感じながらも、顔を見られたくない事情でもあるのかと少し心配になる。


 彼女、雪平朱音は中学時代の同級生だった子だ。

 特段、仲が良かったわけじゃないけど、悪かったわけでもない。


 それでも私は、一応雪平に対して友達として接していたほどには、まあまあ心を打ち明けていたつもりだった。


 一年間全く関わりを持たなかっただけで、交友関係がリセットされる程度の間柄なのかと言われたら、もしかしたらそうなのかもしれない。


 けれど、そう簡単に中学時代の思い出をなかったことにできるほど、彼女との関係が希薄だったなんて認めたくなかった。


「雪平、こっち向いてよ」

「……やばいって。面貸せって言ってるよ」


 違うわ。そんな喧嘩腰に聞こえるような言い方をした覚えはない。

 ただ何気なくお願いをしてみただけなのに。


 小声が小声になっていない声量でコソコソと話す雪平の友人に視線を移すと、皆して一斉に半歩後ろへ下がった。

 ちょっと目を合わせただけなんだから、そんなに怖がらなくても……。


「朱音、何か目つけられるようなことしたでしょ」

「……そ、んなわけないじゃん! こんな人と面識ないしぃ。……一度も関わったことないもん」

「じゃあ何で話しかけられてんのさ……」

「わたしほんとに知らなーい…………人違いじゃないですかぁ?」

「は? 今、朱音って呼ばれてたけど」


 どこまでシラを切るつもりなんだ、この子は。そもそも、顔は確かに雪平だけど雰囲気や態度がおかしい。


 昔は黒髪のおさげだったけど、今はダークブラウンに染まっていて可愛らしくポニーテールにしている。

 高校生になったんだし容姿が変わっているのはいいとして、話し方や振る舞いがなんとも――彼女らしくない。


「つか、さっきからキモいよ。あんた」

「んだとコラ」


 あ、ようやく本性出た。

 慌てた様子で口元を抑えているけど、口調が変わった雪平を周りは驚いた表情で見ている。

 ほんの少し挑発しただけで食い付くその短気さは健在で安心した。


 だからこそ気になる。

 なぜ彼女は、私を避けるような素振りをするのか。


 記憶喪失、なわけないだろうし、気付かないうちに無視したいと思われるほど嫌われていた?

 でも、昔から私に敵対心を向けていたから今さらな感じもするし。


 わざとらしく咳払いをした雪平は、かなり引きつった笑顔で友人に弁明しようとしている。


「……ちょっと、びっくりして滑舌が悪くなっちゃった! えーっと…………な……"なんなのこの人"って言ったの」

「だとしたら舌が回らないにも程があるでしょ」


 キリッと鋭い眼光で睨まれる。やっと目を合わせてくれた。恨めしそうに眉を吊り上げる様相も昔と変わらないみたいだ。

 もう少し弄ってあげれば、いつも通り獰猛な小動物みたいに噛み付いてくるかも。


「……あの。二人はどういう関係な……んですか?」


 思い出したように敬語を付け加えて、友人は不信感丸出しの目で私と雪平を交互に見ている。


 関係か、そうだな……。親密でも険悪でもない私たちの仲をあえて言い表すのなら。


「喧嘩友達?」

「あーッ!! わたし用事思い出しちゃったからさぁ、みんなは先帰っていいよー! ほら、教室出よ! ねっ!」


 私の発言を掻き消すかのように被せ気味に大声をあげた雪平は、友人たちの背中をぐいぐいと押して強制的に退場させてしまった。

 再びこちらに戻ってくると、今度は私の腕を掴み足早に教室の外へ連れ出される。


「……おーい、雪平。どうした?」

「…………」


 返事はない。ポニーテールを揺らしながらズンズン先を歩く彼女の背中は、どうも不機嫌な雰囲気を漂わせているようで。

 私の腕を掴む手に力がこもっていることからも、何かの逆鱗に触れてしまったのだと推察できる。


 しかし、それが何なのかはわからない。

 彼女は昔から私に突っ掛かっていたけど、その原因をいちいち気にしていなかったし。


 人気のない空き教室前の廊下まで来ると、雪平は私の腕を離した。

 くるりと踵を返し、いかにも怒っていますという形相で咎めるような視線を投げている。


「それにしても、気付かなかったな。雪平と同じ学校だったなんて。世間って狭いね」

「そりゃこっちのセリフだわ! 何でよりにもよってお前と……」


 そうそう、これが本来の雪平だ。

 心底嫌そうに唇を噛み締めているけど……なるほどね。彼女がなぜご立腹なのか、その理由がわかったような気がした。


「どうせ素行不良とかでクラス移動になったんだろ?」

「まあ、そんなとこ。特待生資格も取り消しになったし。……あ、私のこと知ってた?」

「知りたくなくても噂が耳に入ってくんだよ。うちの中学から聖煌の首席合格者が出たって教師どもは騒いでたし、こっちでは授業態度が悪いだの何だので悪評立ってるし。お前、どこ行っても目立つじゃねーか」

「あはは……」


 目立ちたくて目立っているわけではないのだけど。

 個人的には慎ましく静かに生活したいという願望はあるし、注目されるような行動をとっているとは思わない。


 中学の頃に比べれば、だいぶ落ち着いてると思うんだけどな。

 進学校という真面目な環境の中だと、そもそも私のような存在自体が異質なのかもしれない。


「移動してくるくらいなら、そのまま退学してくれりゃ良かったのに」

「あいにくだけど、まだ青春を謳歌してないんで最低でもあと一年はいるつもり。それに、私は嬉しいけどな。雪平と会えて」

「ほざけ。あたしは顔も見たくなかったよ」


 今にも舌打ちしてきそうな勢いで詰め寄ってきた雪平に、グイッと顔を近付けられる。


 いつもの怒り顔……なんだけど、私を睨む瞳に一切の慈悲はなかった。

 心の底から本気で嫌悪しているかのような眼差しに、思わず私も真顔になる。


「……おい、二色」


 ドスの効いた声が耳に響く。


「今後一切、金輪際あたしに話しかけるな」

「……なんで」

「お前、この学院で自分がなんて呼ばれてるか知ってるか? "不良"だよ」

「へー、シンプル」


 遅刻や早退、居眠りを繰り返すだけで不良と言われるのか。

 けど、成績も学年最下位だし、相対的に見ればそういう言い方はあながち間違いではないかもね。


「そのアホみたいな能天気さにもイライラする……。裏で周りから避けられてる二色と、あたしが知り合いなんてことがバレたら、こっちまで同類だと思われるだろーが」


 やっぱり、私と何らかの繋がりがあるということを友達に知られたくなかったんだ。

 だからよそよそしい態度をとっていた。


 でも、なぜ今になってそんな心配をするんだろう。

 彼女は喧嘩友達だったこともあり、いわゆる"こちら側"の人間だった。


 それこそ、今本人が同じだと思われたくないと言った"不良"と呼ばれる類いの。

 どういうきっかけで、雪平は心変わりをしたのか。


「そんなこと気にしてたの? 他人からどう思われたって、あんたはあんたでしょ」

「うっせー。あたしはもう、昔のあたしとは違う。悪事から足を洗ったし、あいつらとも縁を切った。今は普通の高校生としてうまくやれてるんだ。――だから、その平穏をぶち壊すような真似したらタダじゃおかねぇ」

「雪平……」

「いいか、もう一度だけ忠告する。あたしに話しかけるな、目も合わせるな、視界に入ってくるな」

「そこまで?」


 まさか、同じ空気も吸いたくないとか言い出さないよね? クラスメートなんだし、さすがにそれは無理よ。


「忠告聞かなかったらぶん殴るからな」


 雪平はそう吐き捨て、肩をぶつけながら私の横を通り過ぎた。ぶん殴るって……悪事から足を洗ったんじゃなかったの。


 しかし、なんだかんだ闘争心が旺盛なところは変えられないようだ。

 いろいろ悪態をつかれたけど、そこも含めて私の知っている彼女の一面が見られたことに一安心する。

 同時に、少しも怖くない挑発に口元が緩んでしまった。


「……ほんとは殴る根性なんてないくせに」

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