第19話 クラス替え
私立聖煌学院。
創業七十年の歴史を誇る由緒正しい女子高等学校として、その名を馳せる名門校。
場所は都心部に位置し、大きめの野球場約二個分の敷地面積を有する。都内に建つ女子校にしては、なかなかの面積だ。むしろ広すぎる。
校門を跨いだその先には、校舎までの道が続いている。敷地内に入ってからもそれなりの距離を歩かされるので、徒歩通学組には少々辛い。
お金持ちのお嬢様が通う学校ということもあり、自家用車で通学する生徒も一定数いる。もちろん、自転車で通う生徒も。
聖煌学院は学生寮も併設されているので、通学の手間に関しては寮生組が最も楽をしていると言っても過言ではない。
現在の時刻は七時半を過ぎたあたり。一般的な登校時間よりも早めだからか、まだ生徒の姿はあまり見えない。
今日は始業式なので、部活の朝練もほとんど休みなのだろう。
通路を歩いている間、二、三台のリムジンが横を通り過ぎた。毎朝高級車で登校なんて、良いご身分だ。
「神坂さんはお嬢様なんだよね。車で登校したりしない?」
「ドライバーを雇っていないから」
「何で?」
「必要ないのよ。……使用人は最小限でいいの」
そういえば、神坂さんは杏華さんと二人暮らしなんだっけ。
三世帯が同居しても余りある広大な高級マンションの自宅に、住み込みのメイドが一人しか雇われていないのだから、本当に必要最低限の使用人だけで充分だと思っているのかもしれない。
「てことは、今日みたいにいつも電車通学なんだ。満員電車、辛いよねぇ……」
「混雑する時間帯は避けているから。あいにく、あなたの想像するような状況には出くわしたことがないわね」
朝の満員電車の混雑具合といったら、それはもう戦場の如く荒れ狂っている。
心を無にしないと、とてもではないけどあの空間には居られない。
そんな殺伐とした車内にもし神坂さんが放り込まれたら、なんて考えてしまったけど、お嬢様が公共の交通機関を利用して、大衆の波に飲まれるというあまりに不釣り合いな状況が想像できなかった。
朝の七時という早めの登校は、ラッシュ時を少しでも回避するための対処でもあったのか。さすが、抜かりない。
「仮にそんな事態が起きたとしても、あなたがどうにかしてくれるのでしょう?」
「どうにかって……」
他人との接触が免れない満員電車の人混みから、神坂さんを守れと? そんな方法があるのなら、通勤通学ラッシュに苦しむ人々はとっくにいなくなっている。
体が押し潰されるどころか、ルール違反で一発で首が飛ぶんですが。
それをわかっていて私に無謀な期待をしているというのなら、もはやパワハラだ。
やっぱり半径二メートルの距離を保つのは必須……でも、満員電車だと近くにいなければ様子がわかりづらいし、最悪、痴漢なんかに巻き込まれてしまう可能性もある。
何かいい方法はないかと考えていたら、ふと神坂さんが立ち止まった。
「……っと、あぶな……」
前方不注意で危うくぶつかりそうになったけど、すんでのところで急ブレーキ。即座に二、三歩後ろへ下がる。
辺りを確認すると、いつの間にか校舎の昇降口まで来ていた。
神坂さんは昇降口前に貼り出されている掲示物に目を向けている。
私も横から覗いてみた。どうやらそれは、クラス替えに関する案内のようだ。
しかし、一般的なクラス表とは違って情報量が圧倒的に少ない。
「どれどれ……」
まるで辞令のような書式で何名かの名前が記載されており、その中に自分の名前を見つける。名前のすぐ横には『1年C組 → 2年E組』とシンプルにクラス替えの指示が記されていた。
「E組……普通クラスに降格か」
この学院では、基本的に進級してもクラス替えは行われない。
ただし、現状より上級または下級のクラスに転向したいと自ら志願すれば、場合によっては個別試験を受け、その結果如何でクラス移動が可能だ。
また、著しく成績が悪かったり、教師からこのクラスのレベルに適当な生徒ではないと判断されれば、本人の意思とは関係なく移動される。
こんな場所にクラス替えの案内を貼り出すなんて、上のクラスに昇格するならまだしも、降格なら公開処刑も同然ではないか。
元々選抜クラスのC組だった私は、特待生資格を取り消されるほどの成績不良と不真面目な授業態度により、もれなく下級クラスへ移動となったわけだ。
退学処分を下されてもおかしくないような怠惰ぶりを晒してしまった中、チャンスを与えてくれた顔も知らない理事長さまには頭が上がらない。
「神坂さんは何組だっけ」
「……A組よ」
「特進クラスじゃん。頭いいんだね」
「首席入学したあなたに言われても、純粋に喜べる気がしないわ」
「可愛げないなー。本心なんだから、素直に受け取ってよ」
称賛が嫌味に聞こえてしまったのか、捻くれた態度を取られてしまった。
もちろん皮肉を込めたつもりはなく心の底から出た感心だったのだけど、彼女には響かなかったらしい。プライドが高いのか何なのか……。
それに、首席で入学なんて今となっては幻のようなものだ。確かに中学時代は成績が良かったかもしれないけれど、そんな優秀な頭はとっくにどこかへ捨て去られた。
今でも夢なんじゃないかと疑ってしまうくらい、最初で最後の大成だったと思う。
もう一度首席を取れと言われても、絶対に無理だという自信がある。
もう用はないと言わんばかりに掲示物から目を離し、神坂さんはスタスタと校舎の中へ向かって行った。
クラス替えの案内に自分の名前がないか、確認したかっただけなのだろうか。
特進より上のクラスはないし、よほどの成績不良でないと降格することもない。
生徒の九割以上はクラスが変わらないんだし、わざわざ確認せず素通りしても良かったのでは……?
変なところで真面目なのだと、彼女の新たな一面を知った瞬間だった。
第二学年の教室は、本校舎の三階にある。
エレベーターが設置されているのでそれを利用する手段もあるけれど、神坂さんは階段で行くらしい。
三階って微妙な場所だと思う。歩きで行こうと思えば行けるし、面倒であればエレベーターも使える。
私だったら楽して後者を選ぶ。朝から疲れたくないし。
けれど、今の私に選択権などない。神坂さんが階段を選ぶのなら、それについて行くのみ。
これから毎日この階段を登るのかと若干憂鬱になりながらも、私たちは目的のフロアに到着した。
「同行するのはここまでで結構よ」
2年A組の教室前で立ち止まり、私に振り返る。クラスも別々だし、登校時のお供はここまでのようだ。護衛ということで一応気を張ってはいたけど、特に何事もなく終わった。
「今日の予定だけれど、午後に行われる入学式に私も出席することになっているから」
「入学式に? 在校生代表、みたいな?」
「そんなところ」
一般の在校生なら午前中で帰れるのに、午後まで残らなければならないとは。何か仕事を任されているのだろうか。
ただでさえ始業式だけでも退屈なのに、入学式も参加だなんて。
しかし、なんとなく神坂さんなら、嫌な顔せずに式の最後まで平然としている姿を想像できてしまう。
「学院にいる間は、基本的に携帯で連絡をとること。必要な時には電話するから、必ず出るようにね。
下校時間は日によってまちまちだから、帰るタイミングになったら都度連絡するわ。それまでは好きに過ごしていい」
「りょーかい」
登校時だけでなく、下校時も一緒に帰って家まで送ることになっている。
私がすでに帰り支度を済ませていたとしても、何らかの用事で神坂さんが居残りすれば、それが終わるまで待たなければならない。
「では、また後で」
「うん、じゃあね」
手を振ったけど華麗に無視されてしまった。腕時計を確認すると、ホームルームまでまだ三十分以上もある。
神坂さんはそれまで何をしているんだろう。彼女の様子を窺おうとしたけど、無闇に他クラスの教室を覗くのはお行儀が悪い気がしてやめた。
私も、自分の教室に向かうとしよう。
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