第15話 冗談抜きで怖い

 兄は、みるみるうちに真っ青になっていき、冷や汗をだくだく流して、ついには持ってる双眼鏡をドサッと落とす。

 僕は、兄の変貌ぶりを恐れながらも、兄に話しかける。


「な、何だったの?」


 兄はゆっくり答えた。


「わカらナいホうガいイイいイいいイイ」


 すでに兄の声では無かった。


「……!」

「ひヒヒ……ヒヒひひ……ヒヒひひひひヒヒヒヒひ」


 兄は奇妙な笑い声を上げながら、そのままヒタヒタと家に戻っていった。

 僕は、兄を真っ青にしたあの白い物体を見てやろうと、落ちてる双眼鏡を取ろうとしたが、兄の言葉を聞いたせいか、見る勇気が無い。

 しかし気になる。

 遠くから見たら、ただ白い物体が奇妙にくねくねと動いているだけなのだ。

 少し奇妙だが、それ以上の恐怖感は起こらない。

 しかし、兄は……。

 いや、見るしかない。

 どんな物が兄に恐怖を与えたのか、自分の目で確かめたい。

 僕は、落ちてる双眼鏡を取ってレンズに目を近づけた。


 その時、祖父がとても焦った様子でこっちに走ってきた。

 僕が「どうしたの?」と尋ねる前に、祖父がものすごい勢いで「あの白い物体を見たのか! お前、その双眼鏡で見たのか!」と迫ってきた。

 僕は「い、いや……まだ……」と少し戸惑って答えたら、祖父は「よかった、よかった……」と言い、一気に力が抜けたように地面にへたり込み、その場に泣き崩れた。


 僕は、わけの分からないまま、家に戻された。

 帰ると、みんな泣いている。

 僕の事で?いや、違う。

 よく見ると、兄だけ狂ったように笑いながら、まるであの白い物体のようにくねくね、くねくねと乱舞している。

 僕は、その兄の姿に、あの白い物体よりもとてつもない恐怖を覚えた。




 そして家に帰る日、祖母がこう言った。


「こいつはここに置いといた方が暮らしやすいだろう。あっちだと、狭いし世間の事を考えたら数日も持たん……。うちに置いといて、何年か経ってから、田んぼに放してやるのが一番だ・・・」


 僕はその言葉を聞き、大声で泣き叫んだ。

 以前の兄の姿は、もう、無いのだろうか。

 また来年実家に行った時に会ったとしても、それは兄ではないのだろうか。

 何でこんな事に……! ついこの前まで仲良く遊んでたのに、何で……!

 僕は必死に涙を拭い、車に乗って、実家を離れた。

 祖父たちが手を振ってる中で、変わり果てた兄が、一瞬、僕に手を振ったように見えた。

 僕は、遠ざかってゆく中、兄の表情を見ようと双眼鏡を取り出す。

 レンズの中で、兄は確かに泣いていた。

 表情は笑っていたが、今まで兄が一度も見せたことがないような、最初で最後の悲しそうな笑顔だった。

 そして、すぐ曲がり角を曲がったときにもう兄の姿は見えなくなったが、僕は涙を流しながらずっと双眼鏡を覗き続けた。


「いつか……元に、戻るよね……」


 そう思って、兄の元の姿を懐かしみながら、緑が一面に広がる田んぼを見晴らしていた。

 そして、兄との思い出を回想しながら、ただぼんやりと双眼鏡を覗く。


 ……その時だった。 見てはいけないと分かっている物が、間近でひらひらと揺れていた。




「……田んぼでくねくね動き続ける白い物体はね、精神的におかしくなった人とか身体的な障害がある人をそうやって放置して死なせるような、地方の儀式だったんじゃないかって考えられてるの。もちろん、それを見てしまった人たちはショックで同様に気が変になってしまったとも言われてるんだよ」


 十日市が目を伏せて説明を付け足す。


「……」

「あれ? 城ケ崎君? 遥、ちゃん?」


 俺たちはページを見つめたまま絶句していた。

 ……いや怖すぎだろ! こっわ! こっっっっわ! 鳥肌やべぇよ鳥肌! もうディフォルトの肌が鳥肌になっちゃうくらい鳥肌立ってた。

 目の前の春川も、自分の腕を抱きしめてもう真っ青な顔でぶるぶる震えてる。これさ、今から妖怪に合うかもってときに、良くないんじゃないの? 絶対悪影響だろ。


「怖い……もうヤダ……」

「ご、ごめん遥ちゃん……。怖かった? ごめんね?」

「ううぅ……」

「か、帰れそ?」


 いや、絶対無理だろこれ。もしコイツが妖怪に憑りつかれてたり人につけられてたりしなくても、この後一人で夜道とか歩けねぇよ。少なくとも俺は無理。

 しかし残酷なことに、時計を見れば完全下校時刻がすぐそこまで迫っていた。

 気持ちは分かるが帰るしかない。


「い、行こっか……」

「………」

「おい、震えてねぇで行くぞ。・・・行くしかねぇんだ。このままだと学校に取り残されちゃうぞ。そっちの方が怖いだろ」

「……ひっ!?」


 ただでさえかなり青ざめていた春川の顔からさらに血液が失われ、もう青チャートとかガガガ文庫とかそういうレベルの青になっていた。ガガガ文庫は本屋とかで探すとき青すぎて一瞬で見つかるから便利だよな。・・・何の話?


「だいじょぶ、私たちもいるから!」

「……んぅ……」


 春川はしぶしぶ立ち、部屋の端に置いていた鞄を掴んで、とぼとぼと部室を出る。

 それに続いて俺と十日市も部室から退出する。

 十日市は鍵をさっと取り出し、部室のドアをかちゃりと施錠した。部長っぽいところは初めて見たと思う。

 窓を見れば、外はすっかり夜の帳が下りてしまっていた。夜の帳が下りたら合図だというが、俺のところにそんな合図は来てないんだけど。




 下駄箱を通過して、ガラス戸の玄関から外に出る。

 夜空を見上げると、いくつかの星がぽつりぽつりと淡く輝いていた。


「城ケ崎君、おまたせ」


 十日市が春川の手を引いてこちらにやってくる。

 十日市は春川を気遣ってにこにこしているが、隣の春川はもう何というかげっそりとしていた。なんなら「手をつないで歩く」というよりも「手を掴まれてどこかにつれていかれる」と形容した方がふさわしいくらい。


「おい、お前よ、……大丈夫か?」

「……がが、がんばる……」


 春川の声は何とも弱弱しく、ぶるぶる震えて怯えきっていた。計測したらもうそれは凄い振動数だろう。多分そこら辺の電マとかローターよりも・・・って、この状況で真っ先に下ネタが浮かんでくる俺最強すぎる。最恐。さっきのくねくねよりも俺の方が怖いまである。


「うん、まぁ、無理すんなよ」


 気休めだと分かっていても、これくらいは言っておかないと。


「………」


 春川が無言で十日市の腕にきゅっとしがみついた。

 やはり当事者ともなれば、あんな怪談を読んでしまった後では俺なんかよりも余程怖いのだろう。

 小動物のように震え、心配そうにきょろきょろと辺りを見回すその様子は、なんかこうぎゅっと抱き締めてやりたくなる。抱き締めて、ヤりたくなる・・・ほら、俺最強だろ?


「遥ちゃん……。ごめんね、私のせいで……」

「いや、もう、ホント、あれだから……」


 言わんとするところは分からなくもないが、文としては何を言っているかサッパリだった。

 英語に直したら「But, it has already really been that....」で「しかしそれは本当にすでにあれでした」。もっとわからん。


「さて、行くか……」


 ついに俺たちは校門を出て、闇夜の中に踏み出した。

 闇より出でて闇より黒く……。その穢れを禊ぎ祓え……。

 ここで悪いお知らせ。

 さっきから全く関係のないどうしようもないことを考えまくることで、心の底からぶくぶく持ち上がってくる恐怖を紛らわしてるけど……もう限界みたいです。












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