私は断然先輩がいいですね

 あの衝撃的なキスから数日。

 俺はあの柔らかい唇の感触が頭から離れなくて、学校の授業もまったく身が入らなかった。

 気持ち悪いと思われるかもしれないが、思春期男子の生理現象なのでどうしようもない。 

 一方の椎名は泥酔して当時の記憶がないのか、いつもと変わらぬ態度で接してくる。

 まるで一人で悶々と悩んでいる俺が馬鹿みたいだ。

 もういい。あのことはいい加減忘れよう。

 あれは椎名が酔った勢いでやったことで、大した意味などないのだ。

 深く考える必要はない。 


 などと決意したところで心機一転、今俺は部活動に向かう為、放課後の校舎を歩いていた。

 正確には部活ではないのだが、細かいことは気にしない。

 部室に辿りつくと、俺が一番乗りだった。

 仕方なくスマホでもいじりながら待つこと数十分。

 ようやくもう一人のメンバーが姿を見せた。


「お待たせー」


 などと間延びした声と共に現れたのは、クールビューティを絵に描いたようなショートヘアの女子生徒。


「ずいぶんと遅かったですね。なにしてたんですか?」

「ちょっと立ち話してたら長くなった」

「誰と話してたんですか?」

「知り合い」

「どんな話を?」

「色々」

「……そうですか、最近はどうでした?」

「普通」

「…………」


 壁打ちテニスのように素っ気ない返事。

 だがこの人を知る人間ならば、いつものことだと理解している。

 染井愛乃そめいよしのさん。

 いつも気怠そうでやる気のない態度をとっているが、これでも俺が所属する部の部長で一つ年上の三年生だ。

 高校生離れした大人びた美貌、どこかミステリアスな雰囲気を漂わせていることから、校内ではちょっとした有名人である。

 交際を申し込んでくる男子も少なくないが、返事は例外なく即却下である。


「嫌」「無理」「消えて」


 最短記録は告白する前、男子が「あの、ちょっと話したいことが……」と言った瞬間だとか。

 そのあまりにも冷たすぎる言葉に、男子は決まってその場で凍りついたように動けなくなることから、ついたあだ名が「キラースノー」。

 どうでもいいけど、マリオの敵キャラに出てきそうな名前だと思うのは俺だけだろうか。


「ところで、今日呼び出したのはどういった用件ですか?」


 部員が全員集まったところで、俺はそう切り出した。


「別に。でも定期的に集まらないと新聞部としての役割が果たせないし」

「集まっても果たしていないような気がするんですが……」


 俺達の所属する新聞部は、俺と染井さんのたった二名で成り立っている。

 去年はもっと部員がいたのだが、卒業したりやめたりしていなくなってしまったのだ。

 新入部員を勧誘しようにも、染井さんはやる気がないし、このままでは廃部の恐れがあると危惧していた。


「染井さん、そんなことしてたら本当に廃部になりますよ。せめて話題になりそうな記事を書いて、入部希望者が増えるようにしないと」

「じゃあ八神がなにか面白そうなネタ見つけてきてよ」

「いや、急にそんなこと言われても……」

「ほら、例えば誰かと誰かが内緒でキスしたとか……」

「ブッ!? ななななななに言ってんですか! そんなことあるわけないじゃないですか!」

「なに慌ててんの?」

「べべべ、別に慌ててなんかいませんよ!」


 偶然なんだろうが俺にとって実にタイムリーな話題で、一瞬染井さんに椎名のことを知られたのかと思った。


「変な八神……いつものことだけど」

「ははは……」

「そういえば今度、男子テニス部が全国大会に出場するらしいから、八神インタビューとかしてくればいいんじゃない」

「え、染井さんは行かないんすか?」

「絶対嫌。汗臭い男達なんかに近づきたくない」

「でも男子テニス部といえばイケメン揃いで女子に大人気じゃないですか」


 そう、我が校のテニス部員は、まるで某テニヌ漫画に出てきそうな美形が多いことで有名だ。


「だからなに? 大して親しくもない男と会話するなんて考えただけでも吐き気がする」

「俺も男ですけど?」

「親しくない男って言った」


 それって染井さんの中で俺は「親しい」部類に入るってこと?

 部活以外ではほとんど会う機会はないのに。

 相変わらずよくわからない人だ。




 染井さんと別れ、ようやく帰宅の途につこうと校門を出たところ。


「はあー、それにしてもマジびびったぁ。でももしあのことが学校中に広まったら大変なことになるよな……」

「なにが大変なんですか?」

「うわっ椎名!? いきなり脅かすなよ!」


 背後から突然、椎名に声をかけられた。


「お前まだ下校してなかったのか」


 現在の時刻は午後五時過ぎ。

 帰宅部の椎名が、こんな時間まで残っているのは珍しい。


「大好きな先輩と一緒に帰りたかったから、ずっと待ってました――って言ったら、ドキッとしますか?」

「ハイハイ、そういうのいいから」

「もー反応薄いですよ」


 ぷくっと頬を膨らませて怒る仕草を見せる椎名。

 あんなことがあった後なのに、なぜ平然としていられるのだろうか。

 俺なんかこうして対面しているだけで、あの夜の出来事を思い浮かべてしまうというのに。


「先輩、どこ見てるんですか?」

「へ? い、いや別に……!」


 自分でも気づかぬうちに、視線が椎名の唇に吸い寄せられていたようだ。

 

「ところで先輩、今日はなんで遅くなったんですか?」

「ああ、部活があったんだよ。普段はほとんど活動してないんだけどな」

「え、先輩って部活入ってたんですか?」

「まあな。去年ほとんどの部員が抜けたから今は俺と部長の二人だけ。その部長がまた人使いが荒くてさあ、男に近づくのが嫌だから俺一人で男子テニス部のインタビューしろって言うんだぜ」

「男……ということはその部長さんって女の人ですか?」

「ん? ああそうだけど」


 気のせいか。椎名の声音が若干変わったような……。


「美人ですか?」

「え、まあ……俺の主観になるけど結構綺麗な人だと思うぞ。男子に告られることも多いって聞くし、それで男嫌いになったらしいけどな」

「ふぅん、美人な部長と二人きりねえ……」


 ……な、なんだろう。

 椎名があからさまに不機嫌な表情をしている。

 俺、なにか気に障るようなこと言ったか?


「男嫌いなのになんで先輩とは一緒にいても大丈夫なんでしょうかね?」

「さあ長い間、同じ部にいると慣れてくるんじゃね。卒業した部員の先輩の中にも男がいたし」

「ひょっとするとその人、先輩のことが好きなんじゃないですか?」

「いやいや、ナイナイ」


 椎名がそのような疑惑を抱くのも理解出来るが、俺はすぐに打ち消した。


「この年頃の女子はなにかあるとすぐ恋愛方面に持っていきたがるけど、世の中そんなに単純じゃないんだよ」

「なんで長年経験を積んだ老人みたいなこと言ってるのかわかんないんですけど……。それはそうと、先輩って結構女子に好かれるタイプだと思うんですよね」

「なにをもってそんな意見になるんだ。俺、今まで女子にモテたこと一度もないんだが」

「そうですか? 案外気づいてないだけかも。例えばすぐ近くでずっとアプローチしてるのに、本人だけが気づいてなくてやきもきしてる子とか……」

「んな馬鹿な。そんな奴が本当にいたら、いくらなんでも気づくに決まってんじゃん、はははっ♪」

「いや……確信をもって言えますけど絶対気づいてませんよ」


 なぜか断言された。しかも確信を持った言い方で。


「そりゃもうちょっと顔が良ければ自信持てるんだけどなあ……」

「でも私は先輩のこと格好いいと思いますよ」

「お世辞はいいよ」

「お世辞じゃないですよ。優しくて格好よくて、いざという時すっごく頼りになるし、今こうやって一緒にいるだけでも先輩のことが好きになっちゃいそうな時がありますもん」

「そ、そうか……」


 少々大袈裟すぎだとは思うけど、こう素直に褒められると、なんだか照れてしまう。


「もし学校の誰かと付き合うことになるとしたら、私は断然先輩がいいですね」

「お、おう……そう言ってくれるのはありがたいんだが……」


 この少女は一体どういう意図でこんなことを言っているのだろう。

 好きでもない相手にこんなことを言うなんて。


『私は先輩のことが好き』


 ふと、椎名がかつて遊園地で言った言葉を思い出した。

 あの言葉が本当だとしたら、一連の不可解な行動にも説明がつく。

 だが以前の椎名は思わせぶりな態度をとって俺をからかうのが好きだった。

 全ては俺を騙す為の嘘で、「お前、俺のこと好きなの?」と訊いたら――


「ザーンネン! 全部嘘でしたー(笑)」


 という返答が待っている可能性もゼロではない。

 和美と別れた今、遠慮なくからかえるというワケだ。

 どちらが本当か確かめる為、しばらく様子を見たほうがいいだろう。

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