泊めてくれたお礼です

「いやー椎名さんって料理すっごく上手なんだね!」


 椎名に夕食を作ってもらい、すっかり上機嫌な姉。

 食卓に出されたジャーマンポテトを頬張りながら、椎名に対する称賛の言葉を絶えず送り続けている。


「そんな褒めすぎですよぉ。普通にあるもので適当に作っただけです」


 ニコッと満面の笑みで姉に答える椎名。

 なぜだか知らないが、今俺は姉や椎名と共に食卓を囲んでいる。

 もう先ほどから不可解なことが起こり過ぎて、もはや深く考えることは放棄している。


「いやいや本当に大したものだよ。このジャーマンポテトだってその辺のレストランで売ってるやつより断然美味しいし」

「ありがとうございます。そこまで喜んでくれると作った甲斐があります」


 姉の発言は、しかしあながち大袈裟というわけでもない。

 実際、椎名の料理の腕前は相当なものだ。

 弁当を貰った時は、プロの料理人に作らせたものだと疑うほどだった。

 最初は椎名に作ってもらうことに負い目を感じていたのだが、こんな料理を出されては食べないわけにはいかない。


「んん、あぁ美味しい……はぁだめェ……あぁんイイ……やっあ、そこォ……」

「うるっせえんだよ、黙って食えねえのか!」


 すっかり椎名の料理の虜になった姉は、咀嚼する度にいちいち卑猥声な声をあげていた。

 こっちとしては食欲が失せるから是非ともご遠慮願いたい。


「ところで、椎名さんはゆうちゃんと付き合ってるの?」


 自分用に買っていたチューハイを飲みながら、姉が突拍子もないことを言う。


「えーやっぱそう見えちゃいますぅ?」

「おい、いい加減なこと言うなよ」

「もし椎名さんが義理の妹になってくれたら、こんな美味しいものが毎日食べられるのになあ」

「やだぁ、そんなこと言われちゃったら困っちゃいますよぉ……えへへへ」

「じゃあなんで顔がニヤついてるんですかねえ」


 まったく困る素振りを見せていない椎名に軽く突っ込みを入れてみる。

 今更だけど、異性の知人を自宅に招き入れたのは生まれて初めてだ。

 和美と付き合っていた頃にそういう機会がなかったわけではないが、なんとなく姉に会わせるのが嫌だったので、先延ばしにしていた。

 この状況を見れば、当時の俺の判断は正しかったと言える。

 にもかかわらず、数ヶ月前に知り合ったばかりの女子と共に夕食を食べているのだから世の中なにが起こるかわからないものだ。


「先輩、どうしたんですか? さっきから全然食べてませんけど。もしかしてジャーマンポテト嫌いでしたか?」


 椎名が気遣わしげな眼差しで見つめてくる。


「いや、ただこの状況に困惑しているだけだよ。なんで家族でもない赤の他人と晩飯食ってるのかな、って」

「水臭いこと言わないでくださいよ。もしかするとこれから家族になるかもしれないじゃないですかー」

「縁起でもないこと言うなよ!」


 姉の悪ノリに便乗したのだろうが、さすがに冗談が過ぎる。


「もー先輩、過剰反応しすぎですよー。これくらいサラッと流せないとモテませんよ」


 そう言って椎名は近くにあったグラスを手に取って口をつける。

 俺はその光景に違和感をもった。


「あれ? お前そのグラスって……」

「え、なんですか?」


 しかし俺が指摘する前に、椎名は中身を一口飲んでしまう。

 その直後、姉の放った一言で、違和感の正体が判明する。


「ねえ、ゆうちゃん。私のチューハイが入ったグラス、どっかいっちゃったんだけど知らない?」


 多分、椎名が今飲んでるのがそれだよ。

 確証はないがなんとなくそう思った。そしてその勘は当たっていた。


「んにゅー……なんか頭がボーっとしてきたような……」


 もう早速アルコールの効果が表れ始めたようだ。椎名の顔が見る見るうちに赤くなっていく。


「お、おい平気かよ?」


 俺は恐る恐る訊ねた。

 下手すれば未成年飲酒で姉が訴えられるかもしれない。


「ぜぇんぜぇん平気じゃないですよぉ。あれだけ親しくしてきた先輩に赤の他人だって言われて私、すっごく傷ついてるんですからっ」

「え、なんか口調変わってね?」


 しなだれかかってきた。




「しぇんぱぁい、実際のところどうなんですか。私のことどう思ってるんですかぁ?」

「……完全に酔ってるな。ちょっと待ってろ、すぐに水を持って来てやるから」

「あー逃げる気ですか? そうはさせませんよぉ!」


 その言葉を無視して、台所から水を持ってこようと席を立った途端――


「えいっ」

「ちょ――」


 なにを思ったのか、椎名が背後から思い切り抱きついてきた。


「なにしてんだ離れろよ!」

「だーめ、ちゃんと答えてくれるまで放しませんっ」

「なんだそりゃ?」

「ねえねえ私のこと好きですか?」

「さっきと質問の趣旨が変わっているぞ」

「細かいとこは気にしなーい。ホラホラ早く答えないともっと『ぎゅううぅ』ってしちゃいますよー?」

「こいつ、いい加減に……」

「しません。にゅふふぅ……先輩って凄く良い匂いがするぅ……」

「わっ! こら、やめろ。変なところ嗅ぐな!」


 かなり力強く抱きついているせいで、胸の感触がもろに伝わってくる。

 挙句の果てには両手で俺の胸や腹をまさぐったり、首筋に顔を埋めて「クンクン」と匂いまで嗅いでくる始末。

 これ以上は耐えられなくなった俺は、近くにいた姉に視線を送って助けを求めた。


「ああどうしましょう……」


 さすがの姉も、突然の出来事に動揺している。


「これは止めたほうがいいのかしら? でもこの先どうなるか面白そうだから見てみたい気もするし……」

「ってオイこら! 止めんかいっちゅーねん!」


 と思ったらただ面白がっているだけだった。




「うーん先輩……ここはどこですかぁ」

「まだ俺ん家だよ」


 数時間後、俺は酔いつぶれた椎名を抱きかかえて寝室まで運んでいた。

 アルコール度数の低いチューハイをたった一口飲んだだけでここまで泥酔するとは。未成年とはいえ、酒に弱い体質なのかも。

 さすがにこんな状態で帰すわけにはいかないので、今夜は泊めてやることにした。

 椎名の親には「今日は友達の家に泊まるから」と本人を装ってメールを送っておいた。

 色々とやばい気もするが、緊急時なのでやむを得ない。


「ホラ、しっかりしろ。ちゃんと自分の脚でベッドまで行くんだぞ」

「やだぁ、もっと先輩と一緒にいたーい。離れたくなーい!」

「我儘言ってんじゃねえ。何時だと思ってんだ」


 寝室の前まで来たところで必死にしがみついてくる椎名を、強引に振りほどこうとする。

 ちなみに寝室は母のを使わせてもらった。

 家族以外の異性を家に泊める、またもや生まれて初めての経験だ。

 恋人と別れてからのほうが女性との接触が多いのは皮肉でしかない。


「んぅ……女の子を酔わせてベッドに連れ込むなんて、先輩も意外と好きモノですねえ……」

「自分で飲んだクセになに言ってんだ」


 結局、俺がベッドまで運んでやる羽目になった。


「じゃあな。朝起きたら親に電話しとけよ」

「あ、先輩ちょっと待ってください」

「なんだよ?」


 チュッ


 ……え?


 呼び止められて振り向いた瞬間、右頬に柔らかい感触を覚えた。

 気がつくと、椎名の唇がすぐ間近にあった。


「泊めてくれたお礼です。おやすみなさい……」

「なっ……」


 今なにが起こったんだ?

 頬にキスされた。なんで?

 お礼と言ったが、そんなことでキスする日本文化なんて存在しないはずだが……。

 俺はなにがなんだかわからず頭が真っ白になった。

 俺があれこれと頭を悩ませている間、椎名は気持ち良さそうに寝息をたてていた。

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