第21話 国津罪1
七畳の居間の中央には大きな丸い卓袱台や古い食器棚と神棚、大きなテレビと石油ストーブが置かれている。なんとなく懐かしいと感じてしまうのは日本人の本能みたいなものなのかな。玲威もキョロキョロと辺りを見渡している。
「玲奈は良い子なのに。どうして、誘拐されてしまったの」
盆に茶器を載せて玲奈のおばあちゃんが戻ってきた。卓袱台の上のポットでお湯を急須に入れながら、何度も物憂げな溜息をついている。こんな時はどんなフォローをしてあげればいいのか、なんて寄り添ってあげれば良いのか判らない。センセはずっと黙って難しい顔をしているしで、まったく役に立ちそうになかった。
――センセは本気で探す気があるの?
どうもセンセは慎重すぎるというか、煮え切らないというか、私たちのことを心配する気持ちは判るけど、もっと色んな方面から考えて気になる所は片っ端から足を使って探して欲しいものだった。
――私はまた大事な人を亡くすの?
そんなのはご免だ。まっぴらだ。私は玲奈と約束をしていた。武士として、友人として玲奈を守るって。自分で守ると言ってこの様なのだからまったく私も役立たずだ。
募る苛立ちを遮ったのは、「玲奈さんを最後に見たのはいつでしょうか」黙りこくっていたセンセがいつの間にか湯気立つ湯飲みを手に持ちながら聞いていた。
「昨日の夜……、ええと、深夜に出掛けていったのを覚えています。玄関の音がしましたから。たぶん帰ってきたのは、夜明け前でしたね。私は聞いたんですよ。こんな夜更けまで何処に行っていたのって」
視界の端で一瞬だけセンセが驚いた顔をしたのを見逃さなかった。眉間が寄っている。もうおばあちゃんの話を聞いていない。思考がいつものようにふわふわと、ううん、深海の静寂と闇に沈んでいっているようだった。
「凄く疲れた顔をして、天国って何処って言ったのよ……、あの子。もう、ほんとどうかしちゃったんじゃないかって、何かあったんじゃないかって、凄く心配してたの。今朝は玲威ちゃんと会う約束があるからって家を出たのが最後に見た玲奈ちゃんです」
「あのぅ、玲威に会うって何時くらいに家を出たの?」
「いつものニュース番組を見ていたから、6時半くらいだったわね。ええ、間違いないわ」
ここから元山駅を使っても松戸運動公園までそう時間は掛からないはず。ざっと計算しても玲奈が松戸運動公園に到着するのは8時前だ。約束の時間より1時間前の到着は早すぎる。あそこら辺は暇を潰す場所もない、住宅街に囲まれた運動場なのだ。
それより玲奈が誘拐されたのは今朝家を出てから運動場に着くまでの、もしかしたら到着していて玲威を待っている間に誘拐されたということになるんだと思う。
「これ、玲奈姉さんが昨日送ってきたメールなんですけど」
玲威が携帯電話のメール画面を見せてくれた。『明日、9時に松戸運動場に集合ね。たぶん面白い友人とも会えると思うんだ』この内容に私は首を捻った。
――面白い友人?
「その面白い友人って私のこと……、かな」
「間違いないと思うよ。藤井さんは東儀さんのことずいぶんと気に入っている様子だったし、キミの趣味を知っているなら予想も付けられる」
思考の果てから帰還したセンセは、「玲奈さんの部屋からもしかしたら手掛かりが見つけられるかもしれません」おばあちゃんをジッと見ると、「私も刑事さんと探してみたんですけど、それらしきものは……、でも、私たちでは見つけられなかった何かをお友達なら見つけられるかもしれませんね。ええ、ええ、お願いします」彼女もしっかりと頷いた。
私と玲威はセンセと一緒に玲奈の部屋にお邪魔した。玄関から正面に伸びる廊下の一番手前の右手に居間がある。向かい側は台所のようで冷蔵庫なんかも型落ち物であるとデザインから想像できた。浴室やトイレは台所から繋がっていると玲威がさっき教えてくれた。玲奈の部屋はその通路の一番奥にある突き当たりの右手にある。
襖の向かい側に玲奈の、私の知らない彼女の生活があるのだ。なんだかドキドキしてきた。センセの言うとおり、誘拐に繋がるヒントのようなものが残されていれば大きな一歩になる。
「ここが玲奈の部屋……」
五畳の和室。綺麗というよりかは物が無い簡素な部屋。まず目立つのは窓際に付けてある勉強机だ。ノートや教科書が並んでいる。脇には鞄が掛かっている。本棚には小説が何冊か、その中に、「センセの小説もあるよ」見知った作者名があってセンセを呼んだ。
「おかしいな、まだ買ってないって言っていたんだ」
「買ったんでしょ?」
「それはありえないよ。彼女が深夜に抜け出している時間に俺は神社で彼女と話したんだ」
「えぇ!? 玲奈が会っていた人ってセンセなの? どうしてそういう大事なことを言わないの! っていうより、二人で何してたのさ!?」
「違う、違うよ。彼女が本来約束していたのは別の人だ。たまたま散歩していたら会っただけだから、それ以降は判らない」
それえだけ答えてセンセは玲奈の机の引き出しに手を掛けた。
「玲威も聞いてないよね、玲奈の彼氏とかそういう話って」
「うん……。聞いてない」
あれだけメールでやりとりしているなら恋の話題も一つくらいあったって不思議ではないが、どうやらそういった色恋の浮かれた話はないようだ。パッと見ただけでも一日に五件はやりとりをしていた。むしろ逆にどういった話題で毎日それだけのメールを続けるのか気にもなる。
玲威もクローゼットの下段に頭を突っ込んで懸命に手掛かりを探しているのだ。引き出しをかき回していたセンセは、今は壁に寄りかかってしばらく携帯画面と睨めっこしたあと、ぼんやりと天井を眺めだした。
センセは放っておいて私も探さなきゃ。
一冊一冊小説のページをパラパラと捲りながら本棚を覗き込んで、メモ紙とかそういう上手く隠せそうなヒントを探る。しかし何も無い。
「やっぱり、姉さんの部屋には何もないみたい」
「これだけ探して見当たらないなんて……。無事かな……、玲奈」
「私もう少し探します。お二人はもう帰られた方が」
確かにこれ以上、お邪魔していても迷惑だ。センセはいつの間にか、手元の小説に目を落としている。私はセンセに向かって大きく溜息をついて、「探す気が無いなら帰ろうよ!」ちょっと棘のある言い方をしてしまった。
こんな事態なのに呑気に小説を読めるセンセの、ええと、モラルとか人間性とかそういったものに幻滅していた。一人の人間の命が掛かっているのによくもまあ落ち着いて読書なんてできるものだ。微動も動く素振りを見せないセンセにいい加減カッとなって、思いっきり頬を平手打ちしていた。
――いい加減にしてよッ!
「こっちは本気で親友の心配をしているのに、なんで、どうしてそんな関係ないみたいな顔で小説読んでんの!? 信っじらんないよ!」
センセはどうして私が怒っているのか判らないというように眼を大きく見開いて、打った頬をスリスリと手を当てている。
「えっ、なに。何があったの? 東儀さん、キミいま俺を殴ったの?」
「平手打ちしたの!」
「だから、どうして」
センセは私が平手打ちしたことに怒り返すことなく、ただその理由を求めている。
「センセが天井眺めてたり、呑気に小説なんか読んでるからでしょ!」
「え、ああ、これね。これは玲奈さんの小説だよ」
「誰の小説とか関係なくって! ああ、もう!」
「勘違いしないで欲しいな。東儀さん、これはもしかすると犯人からのメッセージかもしれないよ」
そう言って見開いているページを此方に向けると、文章の中に黒く塗りつぶされた箇所が幾つもあった。センセの原稿用紙を塗り潰していた血の痕とまったく似た状態だ。
「東儀さんには言ってなかったけど、暗号の解き方が判ったんだ。まあ……、俺の実力じゃないんだけどね」
見開きのページだけを閉じて照明に掲げる。黒い点と重なっている隣ページの文字が浮かび上がった。
「ええと、既に、し、遅い、時?」
「時既に遅し」
私は背筋から総毛立った。ゾワリと全身を奔る悪寒のような不快感。このワードだけで私の脳は警鐘を激しく鳴らし始める。
――時既に遅し……、なにが?
何が遅いのか。
考えたくない。
――考えるな。
違う。
――否定しろ!
別の件についてだ。
――ええと……。
間違っても。
――間違ってろ!
玲奈は。
――玲奈は。
死んでいない。
――死ぬもんか。
「そしてこっちの小説、栞が挟んであるこのページにも」
同じように黒く塗りつぶされている箇所があった。
センセは同じようにページを合わせて私に見えるように照明に掲げる。
「なんて……、なんて書いてあるの」
私にはもう考えるだけの余裕が無い。黒い点がいっぱいだ。ごちゃごちゃとしている。点と文字が、見るだけで、怖い。
私の身体を支えるように抱きしめてくれた玲威が、「大丈夫ですか?」不安そうにその黒灰の眼で、印象的な色で私を見る。
「うん」
それだけしか返せなかった。
「全てはここに。それとこれは住所かな。俺はこれから久内刑事に連絡を入れて、現場に行ってくる。東儀さん、キミは」
「沙穂さん、お願いします。ここにいてください。今日だけ泊まってくれませんか」
「それは、うん、いいけど」
私も行きたい。私はそう言ってセンセに付いていこうとするはずなのに、それが言えなかった。「玲威さん。東儀さんを一日よろしくね」優しく微笑んだセンセが一礼して部屋を出る。玄関の方でセンセの話し声が微かに聞こえる。私をよろしくお願いしているようだ。
私はちょっと疲れているのかもしれない。
ここ最近の事件のせいだ。今日だって気分転換も兼ねての展示会だったのに。センセに
ジャンル違いだなんて言っていながら、事件が気になってしかたない様子だったセンセ。アパートで見つけた事件に関する資料の山。情報を警察に流すだけでなく自分から首を突っ込んでいく彼の矛盾に自覚はあるのだろうかと問いただしたくなる。
この一ヶ月も経たない短い期間で私の知らないセンセを知った。
――センセって剣術できるのかな。
ふと道場で見せたあの構えが脳裏に呼び起こされた。大きく右足を体幹の外側へと運び、センセの身長が私を大差ないくらいに落とした腰。
私は玲威から離れて記憶に残っているセンセの構えを取ってみる。
たしか上段の構えはこんな感じで、「
「ほぅかた? なにそれ」
「誰かに教えてもらったの?」
「教えてもらったというか見様見真似。センセがこの間、道場でこの構えを取ってたんだけど、実戦剣術には不向きなんだよね。だって、こんなに大股になって腰をドスンとここまで落としてたらいざという時に動けないし」
「だってその構え、人の首を落とす為に編み出されたものだから。小山内家が祭儀で扱う
「祭儀?」
彼女の口から小山内家がかつて罪人とされた人柱の首を跳ねる神職の家系だと知った。跳ねた首を血液で満たした壺に浸して一年間奉納し、頭部を粉々に砕いてから川に流していた蛮行が戦前の頃まで行われていたという。
小山内家のこれまでのやり方にケチを付けた奉像と名乗る人物が首切り指南をしたという。しかしあまりに負担の掛かる構えであること、明治から継がれた型を現当主が改良し、娘の玲威と玲奈に受け継がせたらしい。
――じゃあ玲奈の構えはお父さんが改良した構えなんだ。
「奉像家は斬首に太刀を用いていたそうですが、小山内家は直刀に慣れ親しんでいたので、現代でも祭儀では直刀を使用しています」
「そもそも形状からして違うんだし、業を教えてもらってもやりにくかったんじゃない?」
「ええ、お父さんは奉像に小山内流の型を合わせたみたい、です」
首切りに型なんてあるのは知らなかった。その奉像という首切り役人が我流で身に付けた業なのだろう。そこまではいいとしてこの後が全く以て納得できなかった。
太刀の業を直刀で執り行うのは経験が無いから想像でしか語れないが、きっとやはりそうとうに難しいはずだ。現当主が今まで受け継がれてきた業に手を加える理由までは判る。その手を加えた結果が片手面の応用というのは納得がいかない。だって、人の首を切るというのに片手で振り下ろしては威力が大きく削がれるのは必至。これではまったくの不合理この上ない。
その点について聞くと、「一連の作法の中に首を切るという項目があるだけで、ただ首を刎ねてしまえばいいというわけではないの。祭儀の起源、隻腕の大罪人が自分の罪を相手に押しつけ、首を落とす。片手で首を断つ理由がそういうこと。そして、その前後の大罪人の葛藤や後悔こそが神への供物となる。時代の流れに伴って本来の形を少しずつ変えていったのよ」ちょっと言っている意味が判らなかった。
「自分の侵した罪を無実の人に被せて首を刎ねる。一言で説明するなら身代わり……。それこそが小山内家が現代まで続けている祭儀。決して表沙汰にしてはいけない秘儀の正体」
背筋がまたブルリと震えた。
「じゃあ、祭儀に出席する人達って」
「表沙汰に出来ない悪事を現代まで働いてきた信心深い名家。それと、首切りの業を伝授した、見届け人としての奉像家。彼等は自分たちを
「日本神話だっけ? うーん、あまり詳しくないんだよなぁ」
玲威はちょっとだけ笑った。私の無知が可笑しかったのではないことは明らかで、「本当に馬鹿げている集まりなの。お父さんも……、奉像の人も……、みんな」次には悲しそうに笑った。最初の笑いは自嘲だったのかもしれない。
「奉像家と小山内家ってまだ親交があったりするの?」
「祭儀には必ず奉像の当主も顔を出します」
そこまでベッタリとした付き合いなら小山内家のあれやこれやと、藤井家の、つまりこの家の住所を知っていても別段おかしくはない。センセはそれを知っていて黙っていたのかな。センセの口から一度もそんな実家の話を聞いたこともない。ただ構えが似ていたとだけとも考えられる。
玲奈はどうだろうか。いや、それはない。センセは降旗と名乗っているのだから、本名だと信じ込んでいるはずだ。
作家としての顔をもつセンセの二面性、『東儀さんは俺のことを知っているの?』センセの言葉を思いだした。
私は知らなかった。
相手の上辺だけしか知らない。
村瀬さんも、センセも、玲奈も、みんなみんな本当の素顔を知らない。生きていく上である程度の汚い部分を隠したいのはきっと生物の中でも人間くらいだ。良く見せたい。好印象を与えたい。相手より優位な人間でありたいという浅ましい側面。
そんな欲深い人間の中で玲奈だけは、藤井玲奈という一人の少女だけは自身の醜悪な一面を打ち明けてくれた。それなのに私は上辺だけを演じ続けていた。きっと見抜かれている。あの灰色の眼は、あの時に微笑んでくれていた色は、事実を直視しない綺麗なだけの私を嘲けり笑っていたのかもしれない。
――謝りたい。
彼女の誠意に。
――話したい。
本当の醜い私を。
――受け入れて欲しい。
私もまた同じ人間であるということを。
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