最終話 行きずりの雨

事件から半年後。




細い雨がビルの谷間に降り注いでいる。


昨日から降り出した雨は、


日付けをまたいで降り続け、


音楽のリフレーンを


聴いているようだった。


行き交う車のフロントガラスも


雨を広げている。


墨汁の滲みを大空に映し出したような


入梅の空。


湿度でじんわりと湿った足に、


伝線したストッキングが張りついている。


それは私を酷く不愉快な気分にさせた。


夕刻の駅前は人で溢れ、


6月の空の下を


生ぬるい空気が流動していた。


歩道橋から見える電光掲示板には、


一日の出来事が


光の帯となって流れてくる。


「保育所の建設をめぐり行政と住民が対立」


「高齢ドライバーによる暴走 死傷者6名」


都市計画の不在からくる混乱が、


街全体に不協和音をもたらしていた。


夜の世界から抜け出した私は、


最寄駅から電車で15分の所にある


ショッピングモールへの採用が決まると


これまでとは正反対の朝型の生活へと


切り替わった。


馴染みのない時間帯に駅に向かい、


街を行進する足音は、


ヒールからローファーへと変わった。


毎日一人分の食事を作り、


少しずつ社会というものに


自分を密着させてゆく。


夕方から深夜にかけて


働いていた頃と比べると、


健康的な生活を送っていた。


日陰から日向へ移行したみたいだった。


今の私は名前ではなく、


苗字で呼ばれている。


クラブ美園の跡地と気味の悪い樹木は、


朝夕の電車の窓から見ることが出来た。


そこには何の郷愁もなく、


目の前に現れては、


ただ通り過ぎていった。


事件の後、


雑居ビルの廃墟は取り壊しが決定した。


当時の生活の延長線上にあった建物も、


近い将来更地になる。


このまま時代の流動性にのって、


忘れ去られてゆくのだろう。


店で知り合った人達との連絡は途絶えた。


店で起きた出来事は、


私一人の胸にしまった。


今でも美山の本は売れ続け、


書店で本を見かける度に、


あの華やかで空虚な生活を思い出す。


枝元は今も東北の街で、


ご当地ソングを歌っているのだろうか?


皆、煙草のような苦味を残して消えてゆく。


駅前の雑踏の中で、


残像のような記憶が蘇った。


雨粒が重量感を増してくる。


ビニール傘をさす私の足元は、


傘をさすのが馬鹿らしくなるくらい


濡れていた。


湿った空気が充満して、


塩化ビニールの匂いがきつくなる。


歩きながら通りゃんせを口ずさんでいた。


不動産屋の前で


繰り返し流れるピーアールソング。


歩道橋に掲げられた標語と、


大型の野外広告物。


道を塞ぐ自転車と飲食店脇のビールケース。


ここに私を魅了するものはない。


陰鬱な空を背景に、


旅客機が低空飛行をしていた。


何気なく目で追っていると、


幾つかの建物に遮られながら、


機体が見え隠れした。


しばらくの間


そのパターンを繰り返していると、


ある角度に入った瞬間、


突然視界から姿を消した。


そしてそれは、


二度と見えなかった。


(完)


















  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

顔のない死体 谷 久下 @202242ms

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ