第14話 宴のあと

空気が鼻の粘膜を刺激する。


冬の夜はコンクリートの建物が、


一層無機質で冷たく感じられる。


自販機が不自然な明るさで


道端を照らしている。


夜、出歩くことが多い私は


無意識のうちに夜の光景を記憶していた。


以前、雨宿りのつもりで入った劇場で、


いつもなら観ないタイプの作品を


観たことがあった。


こういう作品は意外とよく覚えていて、


何かの拍子にふと思い出すことがある。


仕事でも


似たようなことが起きる場合がある。


待ち合わせに指定された場所は、


繁華街から近い場所にある料亭だった。


これから会う男は枝元 孝という


総合商社に勤務する50代の男だ。


よく指名を受けていたが、


同伴するのは今夜が初めてとなる。


ドレスの上からコートを羽織り、


ヒールのかかとを響かせて歩く。


中途半端に栄えているから、


暗闇が不完全だ。


途切れ途切れの明かりが


わびしさを引き立てる。


料亭の入り口付近に枝元の姿が見えた。


小走りで駆け寄ると、


枝元の他にも男が二人いた。


同じ会社の人間だという。


私達は簡単な自己紹介を済ますと、


料亭ののれんをくぐった。


私の姿を一目見た女将は、




「うちは代々続いている料亭でして」




と言葉を濁した。




「娘です」




枝元が咄嗟に嘘をついた。


それによって店に上がることを許された。


磨きあげられた廊下を歩きながら




「綺麗な娘さんじゃありませんか」




妙に気を遣ったことを言う女将に対して、


枝元は笑っていた。


その笑い方に


冷やかしの類は入っていなかった。


含み笑いのようにおとなしく、


内にこもるような笑い方だった。


二階にある座敷に通されると、


上座、下座といった言葉が飛び交い、


男達は着席した。


枝元は繁々と和室を眺めながら、


何かを思案している様子だった。


部屋の隅にカラオケの機械があった。


フカフカの座布団に腰を下ろすと、


この部屋でどんな時間を過ごすのか


段取りが気になった。


そこへお冷やとお通しが運ばれてくると、


私達は一斉にナフキンを膝の上へ広げ、


お通しを箸で突っついていた。


湯葉と冬瓜のゼリー固め。


使用されている食材の名前を、


私が一つずつ答えてゆくと、


枝元は一つ答える度に


ご名答と言って喜んだ。


本当に合っているかどうかはわからない。


お通しを食べ終える前に、


人数分のビールが運ばれてきた、


互いのグラスに注ぎ合い乾杯をすると、


アルコールを胃に流し込んだ。


ビールを運んできた仲居に料理を頼むと、


そこから奇妙な宴が始まった。


カラオケの機械を作動させると、


この界隈の定番である


ご当地ソングが流れ出した。


曲の途中で


からすみとなまこ酢が運ばれてくると、


卓上には高価な珍味が並び、


宴の雰囲気を盛り上げていた。


皆くだらないことを言い合って酒を飲み、


頬を上気させている。


話を合わせながらグラスを口に運ぶと、


飲み口についた口紅が寒々しく見えた。


カラオケを歌う男が、


こちらにマイクを向けてきた。


慌てて歌の歌詞を口ずさむと、


次は枝元の方にマイクを向けた。


私の隣で珍味を食べていた枝元も、


口ごもりながら歌った。


普段、


美園で飲んでる姿しか知らない私にとって、


枝元のこうした姿は新鮮だった。


帰り際に男達は女将に


ごちそうさま、また来るよと告げると、


Yシャツの襟を正して


のれんをくぐって外へ出た。


外では昔の歌を大合唱しながら歩く人々や、


ネクタイをだらしなく緩めた中年の男が、


路上でゴルフのスイングに勤しんでいた。


枝元は私に


東北に転勤になったことを告げた。


初めて聞く話だった。


飛び回るのが当たり前の仕事ではあるが、


最初で最後の同伴となった。


西日本で過ごす最後の夜。


本来ならばこの後、


美園に移動する所だが、


私達は最寄り駅の改札口で別れた。


枝元と別れた後、


街の喧騒に浸っていたい気分だった。


G駅の北口にある


駅前広場の階段に立つと、


金の銅像が見える。


この街も完成しないプラモデルのように、


形を変えてきた。


ぎゅうぎゅう詰めの街を眺めていると、


建設中の余白が見える。


青い照明に縁取られたU字型の


歩行者用デッキを歩いていると、


極端なまでに歩幅の狭い男が目に入った。


その歩き方は病気の類いではない。


意識的に遅らせている。


男はだいぶ若く見えた。


学生服が似合いそうな、


あどけない表情をしている。


まだ未成年なのだろう。


男の足元に何かが落ちた。


定期入れだ。


それを合図に高齢の女が近づいて来ると、


男は定期入れを拾い上げた。


その瞬間、女が何かを手渡した。


男はそれを受け取ると足早に去ってゆく。


二人は他人のまま人混みに紛れた。


ほんの数秒気配を交わし、


あっという間に見えなくなった。


小市民でもインターネットの闇サイトで、


違法薬物が簡単に手に入る今、


受け渡しに現れるのはパートの主婦だ。


フルタイムでは雇ってもらえない


高齢の女達が、


罪を背負って薬物を渡しに行く。


女達は働き方がわからない訳ではない。


世の中に出て役に立つ教育を


受けてこなかっただけだ。


だからこそ金に困らない老後を


送りたいと思っている。


貿易の自由化は


密売の自由化でもあった。


違法薬物を歓迎し、


市場に広げる為の自由。


しかしそれは自由ではなく、


放任といった方がしっくりくる。


今や繁華街だけにとどまらず、


住宅街や駅前の雑踏に紛れて、


堂々と売り買いしている。


受け渡しに現れた女は、


薬物を手渡した手で、


家庭では料理を作り


配膳しているのだろうか?


国が持て余す物質的な豊かさと、


そこで暮らす人々の貧しさが、


雑多な景色の中で悲劇的に薫った。




































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