第13話 追跡

美山のマンションを出ると、


N駅へと向かった。


駅前には巨大なツリーが飾られていた。


写真の中で


美山の妻が着ていたエプロンには、


natural breathと書いてあった。


駅ビルの中にも同じ名前の店がある。


美山の妻が


そこで働いているような気がして、


確かめてみたくなった。


フロア案内から店名を探し出すと、


エスカレーターで上の階へ移動した。


ガラス越しに確認してから


店の中へ入ると、


写真の人物が慌ただしく動き回っていた。


膝まである長いエプロンに白いシャツ。


細身のパンツ姿で軽やかな身のこなし。


化粧っけはないが肌艶は良く、


目尻の皺が年相応の色気を発していた。


後ろ姿は30代くらいに見える。


ネームプレートに苗字の一致。


肩書きは店長と記されていた。


照れくさいと感じるのはおかしいけれど、


美山の妻を見た瞬間、そう感じてしまった。


ついさっきまで浴室に隠れていたのに、


今度は自分から姿を現すなんて変だ。


今朝の出来事は


制服と営業スマイルで隠されていた。


慰謝料や親権といった


深刻な悩みを抱えているようには見えない。


吹っ切れているのだろう。


妻の存在を確かめると、


この場所にいる意味が


急にわからなくなってしまった。


目的を達成した後、


次の行動まで考えていなかった。


店内を一周すると、


客を装ったまま店を出た。


性別による役割分業が根強く残る中で、


子育て期間中に


柔軟な働き方が出来ない女達は、


一度職場を離れると、その後の社会復帰は


パート労働や万年人手不足の


介護職くらいしか残されていなかった。


そんな中、正社員として働く美山の妻は、


とても凛々しく進歩的に見えた。


私は結婚・出産・育児という言葉を聞くと、


ストレス反応を示してしまう。


家庭の役割りを執拗に求められ、


高度なまでに保守的な印象が強いからだ。


美山の妻は最後まで


私の頬を叩くことはなかった。


私の姿はあくまで客としか映っていない。


店を出てから暫くの間、


胸の奥が揺らいでいた。


自分の思いを複雑にしたかった訳ではない。


心が扱いにくい形となって、


自分本来の思考を離れて、


何処かへ行ってしまったような気がする。


今朝の電撃訪問を受けて、


私の心に何かが


忍び込んでしまったのだろうか?


関係に見切りをつけたかったのか、


感情を露骨に乱したかったのか、


美山の妻と会って


どうするつもりだったのか、


結局のところ自分でもわからなかった。


修羅場を免れたことで、


精神的なゆとりが


生まれてしまったのかもしれない。


女が結婚するということは、


その国の社会と結婚するようなものだから、


様々な形で不平等を


受け入れなくてはいけなくなる。


この社会は女を幸せにはしない。


このまま


美山の気が向いた時にだけ接していれば、


互いにとって心地よい関係でいられる。


何かが変わる時というのは、


少しずつ変化を遂げるのではなく、


ある日を境に突然変わるのだ。


東海地方最大のターミナルであるN駅は、


他の都市同様西と東で雰囲気が変わった。


巨大シェルターのような地下は、


主要な商業施設へと繋がっていて、


電車の乗り換えや


悪天候の時の移動がスムーズだ。


四方八方から電波が飛び交い、


組織化した空間に


エネルギーが流動している。


イヤホンを耳に突っ込んで歩いていると、


人の気配が薄まる。


N駅は二本の路線に対して


行き先が多方面に繋がっていた。


時刻表と電光掲示板に記された文字を見て、


目的の列へと並ぶ。


同じホームに


別の行き先の乗客が並ぶことは、


日常的な光景になっていた。


健康な人でも


歩くのが困難な程込み合うホームで、


G駅へ向かう電車に乗り込んでゆく。


車窓から見える市街地は、


帯状に続く民家が


途切れることなく広がっている。


高圧電線の真下にある家。


マンションに囲まれるガスタンク。


細切れの緑地、高架下の汚れ。


そこに西洋建築を模した建物や、


大型商業施設などが割り込んでくる。


街の景色に一体感が感じられないのは、


分割が細かすぎるせいだろうか?


ディティールは全体に作用しておらず、


島国の恩恵を受けているようにも


見えない。


空に濃密な雲が垂れ込めている。


反射を繰り返しながら届く光が、


湿気の多い大気を抜けて、


波長の短いものが散乱し、


景色を濁らせる。


街には輪郭のぼやけた影が出来、


強力なカオスが迫ってくる。



































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