第11話 音の大洪水

美山が待つ車に乗り込むと、


私達は自然と唇を重ねた。


男と肌を合わせると


独特の友情関係が生まれる。


何気ない会話のやり取りが、


複雑な場所へと入り込んで広がってゆく。


美山は私のことをみーちゃんと呼ぶ。


初めて来店した時から


ずっとこの呼び方だ。


そのことについて


しみじみ考えたこともなかった。


美山にとって女とは、


感性の世界に属している生き物なのだ。


仕事とは違った時間を


意識的に持たなければ、


人生はあっという間に過ぎていってしまう。


どうしてキスをするのか?


思いきって野暮な質問をぶつけてみた。


美山は顔色一つ変えず、




「ルージュに惹かれて」




と広告のキャッチコピーみたいな


ことを言った。


その後も私達は恋人同士のような


雰囲気を続けたが、


派手な喧嘩をした後のように気まずかった。


ラブシーンを重ねるだけでは


綺麗にはなれない。


嘘が上手くなるだけだ。


関係は常に前へ進んでいて、


前の段階に戻ることはない。


赤信号で止まる度に、


美山は私の太ももに手を置いた。


不自然に曲げられた指。


私達はまだお互いの歪んだ感情を


理解出来ていない。


N市の街が近づいてくると、


助手席からの眺めは壮観だった。


広範囲に渡る夜景が目の前に広がっている。


地震が多く塔の文化が育たない為、


高層ビルの存在は際立って見えた。


世界市場を意識した経済的潜在力は、


毎日パーティーでもしているような


雰囲気が街中に充満していた。


これを活気というのか。


騒がしい生活がひしめき合い、


街から夜の匂いが漂ってくる。


美山の案内で訪れた店は、


入り口に屈強なドアマンが立つ


クラブだった。


内部の照明が外観を彩り、


外からでも中の様子を感じることが出来た。


外と中の境界が曖昧で、


そのまま街へと


繋がっているみたいだった。


美山は顔パスで通過すると、


連れの私も入店が許可された。


中へ入ると、


そこは理想的な現実逃避の場所だった。


私は美山の後ろに続いて、


螺旋階段を廻りVIPルームを目指した。


薄暗い階段の手すりに掴まって、


二階へ上がると、


フロア全体を見渡せる席があった。




「おじさんは踊りません」




早々と宣言すると、


鞄の中から箱に入った銘菓を取り出した。


何が始まるのかと思いきや、


周囲にいる人に声をかけ、


小分けになった銘菓を配り出した。


予測不能な美山の行動に苦笑いしながら、


スマートフォンの画面を覗くと


時間を確認した。


その後に美山の腕時計を見ると、


時刻が正確に刻まれていた。


何故かそのことに安心すると、


革のソファーに腰を下ろした。


この場所からは


下で踊っている人達がよく見える。


スーツ姿の浮かれ者。


不思議な色のカクテル。


惜しみなく注がれる音と光。


職業不明の人々が集まって、


同じ光を浴びている。


肌の色も髪の色も


似た色に染め上げてゆく。


照明によって絶えず表情を変えるフロア。


無数の影が伸びては揺れる。


大きなうねりのように見えて、


コマ送りのようにも見える。


手の届かない距離を近くに感じたり、


耳をつんざく爆音が


全身に強い衝撃を与える。


曲の途中で照明が切り替わると、


昼間のような白い光が空間を包み込む。


思わず目を閉じると、


瞼の裏がチカチカした。


一つ前の残像が消化しきれていない。


どんな切っ掛けだったかは


覚えていなかった。


私と美山は男性トイレの個室にいた。


一つしかない個室に入ると、


美山は煙草に火をつけた。


ライターの短い音が鳴る。


煙を吸い込む美山の表情には


哀愁が漂っていた。


私達は温かい便座の上で交わった。


フロアの音が壁を隔てて


くぐもって聞こえる。


水の中にいるみたいだ。


至近距離にいるはずの美山の声さえ、


別次元から聞こえてくる。


男性トイレから出てくると、


再び音と光にまみれた。


音に混じって会話の断片が聞こえてくる。


ここでは常識的な会話は滑稽に聞こえた。


美山はここでも


果物の盛り合わせを頼んでいた。


盆の上に


空っぽのグラスを乗せたウエイターが、


軽やかな身のこなしで、


人の狭間をすり抜けてゆく。


照明の加減で


ブラウン系のアイシャドウを塗った


女の目元が気だるく見えた。


酷くおぼつかない記憶。


店を出ると、


火照った体に夜風が心地よかった。


美山が車を取りに行っている間、


何気なく夜空を眺めていると、


星が滑らかに移動した。


流れ星だ。


短い軌道を辿って空の下に落ちた。


打ち上げ花火の


火の粉みたいな落ち方だった。


車の急ブレーキやサイレン、BGM。


街が作り出す音が、


空に吸い込まれて消えてゆく。























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