第8話 病む景色

犬の糞の匂いがする。


道路の片隅にブルーネットと


ゴミの分別を記す立て看板が立っている。


私が暮らすアパートのゴミ捨て場だ。


郵便受けから大量のチラシを取り出すと、


階段の数を数えながら二階へ上がってゆく。


玄関の鍵を開ける時、


他の部屋も開くのではないかと思う。


誰もやらないだけで、


アパートの住人は同じ種類の鍵を


使っているのではないかと思う。


今日もそんなことを思いながら、


冷たいドアノブに手を掛けると、


狭い玄関スペースで慌ただしく靴を脱ぎ、


大量のチラシをゴミ箱に捨てた。


六畳一間で繰り広げられる生活は、


一人芝居のようでもあり、


退屈さとの闘いでもあった。


戦後に生まれるという


幸運を手にしたものの、


既に死んでいるような毎日。


忙しいのに充実していない。


薄汚れたレースのカーテンを開くと、


集合住宅の大きな受水槽が見える。


意識の中に絶えず刷り込まれてゆく、


深い混沌。


いつかこうした風景に郷愁や愛着を


感じる日が来るだろうか?


28年生きているのに


未だに馴染めないでいた。


毎日この景色に囲まれて暮らしていると、


仕事の疲れや


ホルモンバランスの変化によって起こる、


精神の回復が遅い気がするのだ。


帰宅した時に部屋が散らかっていると、


疲労感が増すように、


そこにいるだけで何となく


疲れてしまう景色である。


私のこうした考えは


人に打ち明けたことがなかった。


ここでの暮らしはタフでなければ


やっていけない。


全ては気の持ちようだと考えることにした。


客と朝まで過ごした日は、


自宅に戻ってからまとまった睡眠をとり、


そして夕方店に出る。


一日の主軸を


どこに置いていいかわからずに、


疲労は慢性化する。


自分の為になることが出来ない。


カーテンを洗いたい。


必要な知識を学びたい。


やがて何が辛いのか


自分でもわからなくなってくる。


家にかかってくる電話は、


間違い電話と勧誘くらいだから、


殆ど出ない。


独り暮しで億劫なのは、


一人分の食事を準備することだ。


食卓は貧しくて味気ない。


働いた分が手取りになる為、


怪我や病気には気をつけていた。


何日も休んでいられないし、


待ち時間が読めない通院も苦手だった。


こうした構造的な問題に対して


デモが起きないのは、


私達の忍耐強さと諦めがある。


平和なのではなく例外なのだ。


久し振りにテレビをつけると、


ホテルで死亡した女の続報が流れた。




N市のビジネスホテルで、

市内に住む無職の女(50)が

部屋で倒れている所を

ホテルの従業員が通報。

司法解剖の結果、

体内からコカインが入った

ゴム製の小袋が見つかった。

一袋10グラムのコカインが50袋。

末端価格にして300万円に相応する。

遺体に目立った外傷はなく、

中毒死とみられている。

一般的なコカインの致死量は

1.5グラムであることから、

相当なリスクを負っていたことがわかる。

警視庁は女が違法薬物の密輸に

関わっているとみて、

引き続き捜査している。




これらの報道は、


意識の中に沈澱していった。


仮に今、満たされた状態だったとしても、


世の中に対する疑問は持ち続けていたい。


































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