第144話 彼女との昼食
「最後になりますが――」
昼のチャイムが鳴った後だが、教卓の前に立つ先生の説明が続いている。
早く終わって欲しいと切実に願っているものの、この調子では長そうだ。
相も変わらずこういう時は運がないなと、バレないように肩を落とした。
「では、これで終わります。号令を」
「はい。起立、礼」
「「ありがとうございました」」
「はぁ……」
ようやく授業が終わって空気が弛緩する中、重い溜息を吐き出す。
悠斗のせいではないのだが、美羽をすぐに迎えに行けなかった悔しさに気持ちが沈んだ。
ただ、ここでくよくよしても始まらない。
気持ちを入れ替えて片付けをしていると、ポンと軽く肩を叩かれた。
「タイミングが悪いなぁ。急げよ悠、また東雲が捕まるぞ」
「分かってるさ。というか、蓮も一緒にどうだ? 知らない仲じゃないんだし、美羽も嫌がらないだろ」
美羽と一緒に昼飯を摂る約束をしてはいるが、二人きりとは言っていない。
もちろん見ず知らずの人と一緒は遠慮するものの、蓮ならば美羽も許してくれるはずだ。
しかし、悠斗の提案に蓮が顔を顰めて首を振った。
「勘弁してくれ。カップルが初めて昼を一緒するんだぞ。それを邪魔する程馬鹿じゃねえよ」
「そうか。何か、悪いな」
蓮には蓮の付き合いがあるので毎日一緒に昼飯を食べてはいないし、悠斗と美羽を気遣って引いてくれたのは分かっている。
それでも、今まで当然のようにしていた事が出来なくなったのだ。
何を言えばいいか分からず眉を下げて謝罪をすると、蓮が不機嫌そうな顔になる。
「何謝ってんだ、お前は何も考えずに東雲といちゃつけばいいんだよ。恋人を一番に扱わないでどうすんだ」
「……そうだな。変な事を言ってすまなかった」
綾香という恋人がいる蓮からの厳しい激励に、悠斗の目が覚めた。
表立ってはあまりないが、今の悠斗は悪口を言われているのだ。美羽を第一に扱わなければ、更に立場が危うくなるだろう。
だから美羽を大事にする訳ではないし、もちろん蓮を蔑ろにするつもりはないものの、一度断った蓮を気に掛ける余裕などない。
再び謝罪すれば、蓮が普段のへらりとした軽い笑みを浮かべる。
「それでいいんだよ。まあ、そっちが落ち着いたら一緒させてもらおうかな」
「ああ、喜んでだ。それじゃあ――」
「ごめんなさい。芦原悠斗くんはいる?」
片付けを終えて美羽を迎えに行こうと席を立った瞬間、聞き間違えようのない鈴を転がすような声が聞こえた。
ざわりと教室内が騒がしくなり、教室の前扉に視線を向ける。
そこには、きょろきょろと教室内を見渡す可愛らしい恋人がいた。
「美羽、こっちだ」
「あ、悠くん!」
あまり大きな声ではなかったが聞こえたらしく、美羽がすぐに悠斗と視線を合わせて花が咲くように顔を綻ばせる。
悠斗に呼ばれて、美羽が小動物のような小走りで駆け寄ってきた。
「えへへ、迎えに来ちゃった」
「授業が中々終わらなくてな。本当は迎えに行きたかったんだけど、すまん」
逆の立場になった事に頭を下げるが、美羽が微笑を浮かべて首を振る。
「悠くんのせいじゃないんだし、いいんだよ。それより行こう?」
「あ、ああ」
周囲にはまだまだクラスメイトが居るにも関わらず、美羽が何の気負いもなく手を繋ぎ、満面の笑みを浮かべて悠斗を引っ張った。
普段とは違う美羽の子供っぽい仕草に、周囲の喧騒が大きくなる。
「わー、東雲さんってあんな表情もするんだね」
「嬉しいってのが伝わってくるねぇ」
それなりに茶化されているのだが、美羽には心底どうでもいいらしい。全く関係ないとばかりに関心を向けず、教室の外に出た。
すぐに食堂に向かうと思ったのだが、なぜか美羽がくるりと振り返り教室の中を覗く。
「今日は悠斗くんと二人にさせてね、元宮くん」
「全然いいぜ。楽しんできてくれ」
どうやら美羽も蓮が気がかりだったらしい。蓮への気遣いをこんな時でも忘れない優しさに笑みが零れた。
蓮も蓮で、先程までの会話のようにへらりとした笑顔で悠斗達を送り出してくれる。
「綾香さんが居ないのは残念だけど、今度は三人で食べようね」
「おう、その時はよろしく頼む」
軽い会話を交わして美羽が悠斗の教室から離れ、悠斗を引っ張っていく。
悠斗や美羽、そして蓮からすれば普段と大して変わらない会話だったのだが、周囲の事を考えていなかった。
一段と後ろの教室が騒がしくなり、弾んだ声が聞こえて来る。
「おい元宮、東雲さんと知り合いだったのかよ!」
「ちくしょう! 恋人が居るってのに、神様は不公平だ!」
「何々!? 元宮くん東雲さんと仲良さそうじゃん! 羨ましいなぁ!」
悠斗は昨日クラスメイトに説明したが蓮は傍観に徹していたので、美羽と一緒に飯を食べられる程に仲が良いとは思われていなかったようだ。
蓮へと大勢の人が詰め寄る光景を想像し、くすりと小さく笑む。
後ろから悲鳴が聞こえた気がしたが無視した。
ただ、美羽は気にしているようで、ほんのりと顔を曇らせている。
「元宮くんに悪い事をしちゃったかな?」
「いや、あれくらい平気だろ。気にすんな」
「悠くんが言うなら大丈夫だね」
実際のところ大丈夫かは分からないが、理由はあれど昨日悠斗をフォローしなかった罰だ。
後ろの状況を頭から追い出し、美羽と食堂へと向かうのだった。
「いただきまーす!」
「いただきます」
二人して手を合わせ、悠斗は唐揚げ定食に、美羽は焼き魚定食に箸を伸ばす。
美味しいとは思うが絶品とは言えない料理を咀嚼すると、美羽が真剣な顔で頷いた。
「うん、これなら及第点かな」
「朝言ってたのは本当だったのかよ」
どうやら食堂の飯は美羽に許されたらしい。
本当に料理を採点していた美羽に苦笑を落とすと、小さな唇が不服そうに尖った。
「当然だよ。まあ、作ってくれた人に申し訳ないから半分冗談だけどね」
「でも半分本気って怖いなぁ……」
「それだけ悠くんに良い物を食べて欲しいの。……にしても、視線が凄いねぇ」
蓮と一緒だった昨日とは違い、今日は美羽と二人きりなので凄まじい量の視線が向けられている。
これには視線に慣れている美羽も嫌のようで、小さく苦笑を零した。
ただ、昨日とは違い興味の視線が多いのは助かる。
「これくらいならいいさ。悪口を言われてる訳じゃないからな」
「私が居るところで悪口を言うなら、遠慮はしないよ。それに、こうして悠くんと一緒にご飯を食べてる姿を見れば、嫌でも理解出来るでしょ?」
「頼りになるなぁ」
美羽は単に一緒に昼飯を摂りたいだけでなく、周囲に見せつけて恋人だというのを証明するつもりだったようだ。
それだけでなく、はっきり怒ると宣言する小さな姿に頼りがいを感じる。
悠斗を第一に想ってくれる姿が愛しくて頬を緩めると、美羽が余裕すら見える態度で笑みを濃くした。
「ふふ、悠くんの敵は私の敵だからね」
「……いや、そこまで気負わなくてもいいからな」
おそらく、悠斗の前で美羽を怒らせる人はただでは済まないだろう。
思わず引き攣った笑みを浮かべると、美羽が瞳に期待を込めて悠斗を見つめた。
「代わりと言うのも何だけど、悠くんのおかずも食べたいなー」
「はいよ。ほら」
散々間接キスをしているので、多少心臓が疼くものの焦ったりなどはしない。
あっさりと悠斗の箸で唐揚げを美羽の皿に移せば、今度は美羽が焼き魚を悠斗の皿に移し始めた。
「はい、悠くんにはこっち」
「もう代わりでも何でもないな」
「ふふ、そうだねぇ」
お互いのおかずを分け合うという、これぞカップルのやり取りに美羽と一緒に笑う。
周囲が先程からざわついているが、もう悠斗の耳には入らない。
「ん、焼き魚は食べた事なかったけど美味しいな」
「でしょー? 唐揚げも美味しいねぇ」
人前でも家とそこまで変わらず、美羽と普段通りに過ごせて心が穏やかになる。
美羽と食事をするだけで、それなりに美味しい料理が何倍も美味しく感じるのだった。
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