第141話 嫉妬深い彼女

「視線が多すぎる……」


 放課後となり美羽を迎えに行っているのだが、廊下に居る人だけでなく通り過ぎる教室の中からも、悠斗への様々な視線が向けられている。

 朝からそうだったが、今日は一日中視線に晒されっぱなしだ。

 いくら覚悟しているとはいえ、流石に疲労を感じる。

 おそらく悠斗と美羽が付き合った事が、一年生の中で一番熱い話題なのだろう。

 とはいえ人の話題とは移り行くものだ。一時の辛抱だと思いつつ、平静な表情を取り繕って歩く。

 大した距離でもないの妙に長く感じ、ようやく美羽の教室に着いた。

 

「さて、行きますかね」


 昨日も開けた扉に手を掛けて、短く深呼吸してから思いきり開ける。

 やはりというか、教室内の視線が一斉に悠斗へと向けられた。

 昨日よりも驚きが少ない代わりに興味や不快そうな視線が多く、溜息をつきたくなる。


「悪い、美羽は居るか?」

「あ、えっと……」

「いるよー。すぐ行くー」


 視線に堪えて昨日も尋ねた男子生徒に確認を取ろうとすると、聞き慣れた幼げな声が彼の言葉を遮った。

 女子の人だかりの中から、帰り支度を終えた愛らしい恋人が顔を出す。

 人の事を言えないが、今日は一段と大勢の人に囲まれて大変だったらしい。

 悠斗の傍まで来た美羽の表情には、抑え込んではいるものの疲労が色濃く表れている。


「おまたせ。迎えに来てもらってごめんね?」

「気にすんな。彼氏の役目だろ」

「えへへ。ありがとう」


 学校でようやく話せたからか、美羽が安堵と喜びの見える緩んだ笑みを浮かべた。

 悠斗からすればいつもの美羽に近いのだが、昨日見たとはいえクラスメイトは美羽の表情に慣れていないようだ。ざわりと教室内が騒がしくなる。


「帰ろう、悠くん」

「その前に、今日一緒に昼飯を食べてた人達は誰だ?」

「うん? あそこに居る人達だけど……」


 美羽が訳が分からないとばかりにきょとんと首を傾げ、先程まで姿を隠していた人だかりを示した。

 少し遠いが、悠斗の意思を示すにはもってこいだ。

 大きく息を吸い込み、真っ直ぐに彼女達を見つめる。


「今日は聞きたい事があったみたいだからいいけど、明日から美羽と一緒に昼飯を食べたいんだ。いいか?」


 残念ではあるが予想していたので、今日は美羽と一緒に昼休みを過ごせなくても構わない。

 しかしこれが何日も続かないように、釘は刺しておくべきだ。

 過ぎた事を怒るつもりはなく、笑みを浮かべながら告げると、彼女達が大きく頷いた。


「ご、ごめんね! そうだよね、一緒にご飯食べたいよね!」

「……私は注意したんだけどなぁ」

「抜け駆けしないでよー! あんたもノリノリだったじゃない!」


 悠斗の要望が効き過ぎたようで、彼女達が一段と騒がしくなる。

 威圧的な言葉を口にしたつもりはないのだが、ここまで恐縮されるとは思わなかった。

 この様子なら今日のようにはならないと確信し、彼女達に苦笑を向ける。


「そんなに気にしないでくれ。美羽には美羽の付き合いがあるし、束縛するつもりもないからさ」


 恋人だからと美羽の友達付き合いを縛りはしない。

 美羽には立場があるのだから、これから悠斗だけを構う訳にいかないのは分かっている。

 やんわりと励ませば、彼女達の顔が輝いた。


「ありがとう、芦原!」

「優しい彼氏さんだねー、美羽」

「……むぅ」


 どうやら、悠斗は彼女達に好意的に受け止められたらしい。

 先程とは一転して、彼女達が笑顔で美羽に話題を振る。

 すると、隣から唸り声が聞こえてきた。


「美羽?」


 美羽を不機嫌にさせるような事など言った覚えはない。

 しかし悠斗を見上げるはしばみ色の瞳には、不満がありありと表れている。


「悠くんは誰にだって優しいんだ。ふーん」

「は、え? な、何だよ」

「あんなに笑顔を振りまいて。沢山の女子と話せるのがそんなに嬉しかったの?」

「いや待て。美羽だって分かってるだろ?」


 悠斗が彼女達に敵対しても何も良い事はない。

 下手をすると、悠斗と別れろと言われる可能性すらある。

 もちろん伝えた考えは事実だが、それでも万が一があっては困ると穏やかな対応を心掛けたのだ。

 聡明な美羽なら悠斗の考えを理解出来ているはずなのに、なぜか思いきり唇を尖らせる。


「分かってるけど、悠くんは私の気持ちを分かってない」

「いや、分かってるぞ? でも、ここは納得してもらうしかないじゃないか」


 おそらく、悠斗が他の女子に笑顔を向けたせいで美羽が嫉妬してしまった。

 その感情は嬉しいし、今すぐにご機嫌を取りたいが、ここは美羽が過ごしている教室なのだ。

 昨日大勢の前で抱き合ったので今更ではあるものの、再び燃料を投下したくはない。

 言い聞かせるように説明しても、美羽の顔からは不機嫌な色が抜けなかった。

 それどころか更に感情を昂らせてしまったようで、美羽が悠斗の腕を掴んでぶんぶんと振る。

 

「うー! むー!」

「分かった分かった。俺が悪かったよ」


 子供っぽく不満を訴える姿に頬が緩みそうになってしまったが、ここで笑う訳にはいかない。

 これ以上不機嫌になると、本当に怒られそうな気がする。

 態度だけは呆れつつ負けを認めると、美羽の顔から少しだけ怒気が抜けた。


「悠くんは優し過ぎるのが問題だよ……」

「俺はこの状況の方が問題だと思うけどな」

「この状況?」


 ようやく冷静になったようで、美羽が無垢な顔で首を傾げる。

 まさかとは思うが、ここがどこか忘れていたのだろうか。

 思い出させなければと、周囲へと視線を巡らせる。


「落ち着いたなら、是非とも周りを見てくれ」

「周り? …………ぁ」


 美羽がゆっくりと視線を滑らせて教室内を見渡した。

 小さな呟きが聞こえてきたので、本当に状況を忘れていたらしい。

 幸いな事に哲也はいないが、美羽が嫉妬した姿は教室に居るクラスメイト全員に見られており、様々な視線が向けられている。

 女子からは微笑ましい視線を、男子からは呆れの視線をだが。


「美羽が可愛すぎるぅ!」

「意外と嫉妬深いんだねぇ」

「あんな態度取られちゃあ、割り込む隙なんてないな」

「疑ってたのが馬鹿らしくなったぜ」

「あ……。ぅ……。はぅ……」


 沢山の呟きに美羽が忙しなく体を揺らし、頬だけでなく耳まで真っ赤に染めた。

 最終的に考えるのを放棄したのか、お願いをするように悠斗へと潤んだ瞳を向ける。


「ゆーくぅん……」

「……帰るか。それじゃあ、お邪魔しました」


 この空気を放っておくと、明日も美羽が大変な事になるはずだ。

 とはいえ悠斗には何も出来ないし、今の美羽では解決出来ないと思うので、この場は撤退に限る。

 美羽の手を掴んで挨拶を響かせ、教室を後にした。


「まあ、なんだ、結果的に俺達が付き合った事を証明出来て良かったな。でも明日も同じように騒がれると思うから、頑張れよ」

「……ガンバリマス」


 悠斗と美羽が付き合った事が話題になったとはいえ、信じない人はいる。

 しかしあれほどのやりとりをしたのだから、少なくともあのクラスの中に悠斗と美羽の関係を疑う人はいないはずだ。

 前向きに考えつつも忠告すると、美羽が羞恥に染まった声で頷くのだった。

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