97 黒鳥居の向こう側 10


††在りし日の……††


 そこは戦場だった。

 大気に満ちる焦げた魔力が空を赤くする。外部魔力を吸引する魔法陣や装置が渋滞し、戦場の周辺は一時的に魔力空白地帯と化している。

 外部魔力を燃料としていた類の魔導兵器や魔法生物たちのほとんどは燃料不足で活動を停止し、ただの障害物と化している。

 だが、内に蓄えた魔力でのみ戦うにしても限度がある。

 外からの供給による回復が行えない状態では長期的な魔法支援には限度があり、戦場は単純な暴力が横行するひどく原始的な様相を呈していた。


 だが、その中にも例外は存在する。


「剣の聖女!」

「…………」


 数多の光翼を展開し、自らが打ち倒した魔導巨人から戦場を睥睨していた剣の聖女はその呼びかけに冷たい目を向けた。


「なにか用か? 瞳の聖女」

「西のヴェダーザ将軍の陣が切り崩されそうになっているわ。あなたなら間に合うから救援をお願い」

「瞳の聖女は仕事熱心だ」

「剣の聖女。こんなときまで斜に構えないで頂戴」

「人を思春期のように言うのは止めてくれないか? 我はただ、休息を必要としているだけだ」

「そんなに魔力を無駄に消費しているくせに、疲れた振りなんて止めて!」

「再展開する方が魔力を消費する。これは合理的な判断だ。それに……」


 そのとき、光翼が動いて無数の羽を射出する。

 神聖魔法・剣羽という魔法だ。


 無数の剣羽が彼女たちの眼前に放たれ、瞬間、何もなかった場所に血の霧が舞った。


「っ!」

「瞳の聖女、お前の目、対策されつつあるな」

「そんな……」

「だが、この距離で我から逃れられると思うな」


 剣の聖女が立ち上がる。

 視覚を騙すことが不可能と判断した敵が姿を見せる。


「そんな……こんなに!」


 百を超える敵兵が現われ、瞳の聖女が絶句する。


「我らの目を先に潰そうというのはいい判断だ。他の聖女たちも出張って瞳のが一人になる瞬間を狙いたかったのだろうが……残念だったな」


 ニヤリと笑う。


「ここには我がいるぞ」

「剣の聖女!」

「邪魔だからさがっていろ」


 そして、百対一の戦いが始まる。


 赤い空は時間の経過を忘れてしまっている。

 どれだけ時が過ぎても、空の色は変わらない。

 過剰な魔力消費が周辺地域の現象の有り様を狂わせている。

 この世界をこの世界たらしめている魔力が足りないのだ。


 世界は間違っている。


「まったく……いつもなら百人程度で苦労することなどないのだがな」


 だが、この間違いを誰も正そうとはしない。

 正す方法がわからない。

 進んだ魔導文明を維持したまま、足りない外部魔力を増大させる方法がわからない。

 わからないまま、外部魔力の占有権というよくわからない言葉を巡って世界的な争いが始まった。


 そんな戦場に立つ者たちの中に、『聖女』と呼ばれる者たちがいた。

 膨大な個人魔力と固有魔法を有する強力な存在。

 それが彼女たちだった。


「剣の聖女」

「ああ。瞳の聖女。無事だったか? まぁ、我が守ったのだから当たり前だがな」

「……ヴェダーザ将軍が討ち死にしたわ」

「そうか」

「そうかじゃないわ。これでフェールメール王国からの援軍が半分は失われたことになる。あの国だけ、被害の割合が多すぎるのよ」

「戦下手だからな、仕方ないだろう」

「そんな簡単な話じゃない。……私たち、恨まれているのよ」

「…………」

「聖女たちはフェールメール王国を守らないって言われている」

「我らの手の数を数えて欲しいものだな」

「失った人間の感情に理屈は通じない。戦争が長引けば長引くほど、私たちの風当たりは強くなる」

「勝手に祭り上げておいて、言うことか」

「そうよ。人なんて勝手なものよ。痛みを伴う道理を受け入れるぐらいなら勝手な理屈を押し通す。この戦争がそれを示しているじゃない」

「…………どうしろと?」

「この戦争はもう泥沼よ。痛み分け以外の勝ちなんて、もうないかもしれない」

「ならどうする?」

「勝つしかないのよ」

「矛盾しているぞ」

「それでもよ。勝つしかないの。私たちが無事に生き残るために」

「……あるいは」

「え?」

「あるいはこの泥沼を永遠に続けるという方法もある。敵がやる気な内は、我らの必要性はなくならないのだからな」

「そんなの……」

「まぁもう、なるようにしかならんのではないかと思っているが……」

「…………」


 剣の聖女は見る。

 瞳の聖女の俯いた姿を。

 現状をなんとかしようと必死に足掻きながら、しかしその目があるゆえに、誰よりも現状のその先さえも見えてしまっているという絶望から逃れようと足掻いている。


「神よ、どうして……」


 剣の聖女は小さく呟く。

 誰よりも神聖魔法を扱えるが、しかしそれでも神の声など聞いたことがない。

 神よどうして、人同士の争いなんて無意味な行為に我らを使わせるのか?

 答えはない。

 答えがないから、剣の聖女は考えることを止めている。


 だが……。


「お前が足掻くというなら、手伝ってやる」

「剣の聖女?」

「古い馴染みだからな」

「……私たち、そこまで年は取っていないわ」

「そうだな」

「そうよ」


 瞳の聖女がかすかに微笑む。

 それを見て、剣の聖女も唇の片端を上げた。





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