第19話 人神の使徒

 それはとても綺麗な、鈴が鳴るような声だった。


「人神の神殿においでになるのは、はじめてですか?」


 振り返ると、白い神官服を着た少女が立っていた。

 他の神官の服とは違い、装飾のない真っ白な神官服だ。


「あ、はい。初めてだけど……」

「そうでしたか。それでは、礼拝の仕方もわかりませんよね」


 そういって、その少女神官は笑顔を浮かべる。

 神像の前で突っ立っている俺を心配して声を掛けてくれたらしい。


「気持ちがこもっていれば、どのように礼拝してもよいのですが……一般的にはこのように」


 少女神官は礼拝の仕草に入った。


「両膝と両手を地面につけてから、ゆっくりとおでこを地面につけるのです」

「なるほど」

「さ、やってみてください」


 そういって、少女神官は優しそうで無邪気な笑顔を浮かべた。

 そんな少女神官と俺を、信者の皆さんが温かい目で見守っている。


 この空気で「いや俺は信者じゃないので」などと言えるわけがない。


 俺はゆっくりと、礼拝の仕草をとる。

 人神に礼拝したことを知れば、フレキは怒るかもしれない。


 だが、こんなことで死神は怒らないだろう。

 死神と人神は敵対しているわけではないのだ。


「もうちょっと、手はこちらに……」


 後ろから抱きつくような形で、その神官は文字通り手取り足取り教えてくれる。

 神官は柔らかく、初めて嗅ぐ良い匂いがした。

 そして、それ以上に、不思議な、これまで感じ取ったことのない感覚を覚えた。


「人神もおよろこびでしょう」


 俺が礼拝を終えて立ち上がると、少女神官は笑顔でそう言ってくれる。


「色々とありがとう、助かった」

「いえいえ、これも神官の勤めでありますので……おや、聖印をお持ちではないのですね」

「あ、えっと、まあそうなんだが……」


 とがめられたと思って、なんと言い訳しようか考えていると、

「私の聖印を差し上げますね」

 そういって、少女神官は、自分の首から聖印を外し、俺の首にかけてくれた。


「もらっていいのか?」


 聖印は寄進をしたら貰えると門番は言っていた。

 金を払ってないのに、もらっていいのだろうか。


「あとで、偉い人に怒られないか?」

「大丈夫ですよ。もちろん怒られません。大事にしてくださいね」


 少女神官は優しく微笑んだ。


 そのとき、建物の奥から神官が三人ほど走って来るのが見えた。

 その神官たちの神官服は、他の神官より装飾が豪華だ。

 きっと、地位の高い神官だろう。


 その神官たちの表情は厳しかった。


「あっ」


 そんな神官たちをみて、少女神官はすこし表情を曇らせた。

 やはり叱られてしまうのだろうか。


「な、なにをなさっておられるのですか!」


 豪華な服を着た神官たちは少女神官に敬語を使う。


「みつかっちゃいました」


 そして、決まりが悪そうに少女神官は微笑んだ。


「こちらにいらっしゃるならば、おっしゃってください」


 その豪華な服を着た神官たちは、少女神官の前で、両膝と片手を地面に付く。

 人神への礼拝の仕草を途中でとめたような状態だ。


 神官たちのその仕草に、信者たちも困惑している。


「おい、そこの少年、早く頭を下げなさい」


 豪華な服を着た神官の一人が、俺に向かって小声で叱るように言う。


「その必要ありません。皆さんもお立ちください。ここは神に祈りを捧げる場所ですから」

「ですが、使徒さま。そのようなわけには」


 神官がそういったことで、信者たちにもざわめきが広がる。

 そして、一斉に、神官たちと同じ仕草をとる。

 恐らくそれが、人神の使徒に対する礼拝の仕草なのだろう。


 信者の大半は使徒に会えた喜びで、感涙している。

 それほど、人神の使徒というのは大きな存在のようだ。


(使徒か……初めて見た)


 俺は初めて見る別の神の使徒をまじまじとみる。

 確かに、少女神官からは、普通の生き物とは別の気配を感じた。

 先ほど、少女神官に触れられたとき、覚えた違和感は使徒だったからなのかもしれない。


「私に礼拝する必要はありません。私はただの無力な娘なのですから」

「いえ、使徒さまは、人神さまの地上における代理人。どうか我らの信仰の心をお受けください」

「皆さま、ここは人神の神殿です。礼拝の対象はどうか人神へ」


 そういって、人神の使徒は俺を見る。


「ごめんなさい。おどろかせちゃいましたね」

「いや、気にしないでくれ」

「…………それほど驚いていないのかしら」

「いや、驚いているけど……」


 そういうと、人神の使徒は優しく微笑む。


「私はリリィ。あなたは?」


 人神の使徒に自己紹介される理由はわからないが、名乗られたら名乗らなければ失礼というもの。


「……俺はフィルだ」

「いい名前ですね。きっと、フィルさまとはまた近いうちに会える気がします」


 なぜか自信ありげに、リリィは言う。


「使徒さま、どうかこちらへ」


 神官たちが、俺と引き離すように、リリィを取り囲む。


「はい。……フィルさま。どうか仲良くしてくださいましね」

「あの、使徒さま……」


 俺はリリィの聖印を手に持って、声を掛ける。

 使徒の聖印など、信者でもない俺がもらっていいものではないはずだ。


 だが、リリィは

「……大切にしてくださいね」

 そういって、にこりと笑うと、神官たちに囲まれて、神殿の奥へと歩いて行った。

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