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 かつて鬼道会がシノギの一つとして本格的に株の運用に手を出し始めた頃、国内最大手の証券会社に勤める男を幹部の一人が好待遇でヘッドハンティングした。


 大卒で盃を貰う組員も珍しくなくなっていた時代だったとはいえ、最終学歴が中卒で九九もままならない連中が大半を占める極道の世界において、〝東大卒〟、〝ハーバード大卒〟という華々しい経歴は腕っぷし一本で伸し上がってきた男達の嫉妬と注目を一身に集めた。


 誰よりも頭が切れたのは疑いの余地がなく、年々警察デコスケの監視の目が厳しくなっていたシノギで荒稼ぎし、一年目から組内部の誰よりも多額の上納金を納めていたことで上層部から大変可愛がられていたのだが、天狗になった男には天罰が降りかかる。


 とある企業の秘匿扱いされていた内部情報を聞きつけた男は、自らの裁量では動かすことの出来ない額の金額を組の金庫から勝手に持ち出し投資に全額回した挙げ句、大金を注ぎ込んだ株価は大暴落したことで鬼道会に大損害を与えてしまったのだ。


 後で判明したことだが、男が掴まされた情報はわざわざヘッドハンティングをしてきた幹部が、自らの椅子ちいを奪われかねないと危惧して描いた画であることが判明する。


 結果的に大損害を与えた落とし前として、小指エンコを詰めるよう求められた男はあろうことか雲隠れをし、激怒した幹部連中の指示の下、男を処分するよう任された無悪が捜索にあたった。


 日本国内で一、二を争う鬼道会が本気で身柄ガラを捜索すれば、ネズミ一匹見つけることなど造作もない事。


 信州の山奥に構えていた別荘に籠もっていた男を追い詰めると、進退窮まった男は身勝手な釈明を口にしだした。


「いいか、これまで俺がいくらの利潤を組に捧げてきたと思ってる。お、お前らみたいな溝鼠が運んでくるちゃちな金額なんか目じゃねえんだぞッ! そこんところわかってんのかッ」

「ああそうだな。ヤクザは生まれだとか育ちとか小さいことは関係ねぇ。組にどれだけの金を納めることが出来るか――それが評価と価値に繋がることは否定はしねぇよ。そういう意味じゃ、お前は確かに鬼道会の稼ぎ頭だったことは間違いない」


 椅子に手脚をロープで括り付けられ、顔面が左右非対称の抽象画よろしく変形させられた男は、この期に及んでみっともない言い訳を延々と繰り返す。


 無悪の肯定とも取れる反応に微かな活路ひかりを見出したのか、自らの泥舟に無悪を取り込もうと、ある提案を持ちかけてきた。そもそも処分の命令が下った時点で男の運命は決まっていたのだが、あくまで聞いてやるフリをして先を促す。


「無悪、お前も俺とともに組を抜けて海外に出国しないか」

「ほう。日本を見限るというわけか」

「そうだ。実はドバイで新たに投資顧問会社を設立する計画があるんだが、なんならそこの共同経営者にしてやってもいい。もういい加減うんざりなんだよ、鬼道会の石頭の連中には。ただの一度の失敗で俺を捨てるだと? あんな奴らが幅を利かせている組織に明るい未来なんてものは永劫訪れることはない。今時盃だとか上納金だとか、小さな枠の中で古臭い慣習に囚われてる奴らなんか切り捨てて俺んとこにこい。お前にも甘い汁をたんと吸わせてやるぞ」


 先がないという点では同意してやる。確かに年々ヤクザの世界に足を踏み入れる若い衆は減少していたのは事実だった。

 だが、それとこれとはなんの関係もない。


 自らの責任から逃げて裏社会に足を踏み入れたというのに、幼稚な身勝手さを振りかざす人間は無悪が最も唾棄だきするものの一つであることを愚かな男は知らなかった。


 致命的だったのは、「親を裏切れ」という説得方法。掛け値なしの地雷を踏み抜いた人間の未来は完全に閉ざされた。


「もういい。お前のような屑の代わりなどいくらでもいる。死を受け入れて祈りでも捧げていろ」


 その手脚じゃ、祈りも捧げられないか――嗤い捨て、グロックの引鉄に指を添えると男は一転して気が触れたように喚き出した。


「ややややめろッ! この、この俺が誰だと」


 会話の途中で男の首は大きく後ろに傾く。パンと乾いた音が男の虚しい命乞いを掻き消した。 



       ✽✽✽



 その場から離れても良かった。

 むしろ残ったところで貴重な時間を消費するだけであって、メリットなど一つもない。


 日本の夕暮れと同じように太陽が傾いて緋色に燃え始めたころになると、ようやく大人二人が埋まるほどの穴を素手で掘り終えたガキを回想を交えながら眺めていた。


 両手の爪がひび割れ、血が滲んでいるにも関わらず墓石代わりの石を山賊を埋めた土饅頭つちまんじゅうの上に立てかけると、近くで積んできた名もなき花をそれぞれ添える。


 こうべを垂れて祈りを捧げていた。数分間はそうしていただろうか。ようやく顔を上げたガキは振り返ると、静かに口を開いた。


「僕の命を救ってくれた恩はしっかリと返すつもりです。ですが……なにも彼等を殺さなくても良かったのではないでしょうか。きっとあなたなら、彼等を生きたまま無力化することだって容易だったはずです」

「おいおい、死ぬより酷い目に遭いそうだったっていうのに、よくもまぁそんな甘ったれたことを言えるな」

「この人たちも、きっと止むに止まれぬ理由で山賊に身をやつしていたんだと思います。夢とか希望とか、幼い頃は彼らにだってあったはずなんですから」

「戯言ばかり抜かすな。いいか、どんな選択をしようがそいつの勝手だが、その結果生じる責任を自ら背負うことが出来ない奴はな、ハナから生きる資格さえないんだよ」


 性善説を信じてやまないガキとそれ以上口を利く気分にもなれなかった。

 気まぐれに付き合うのもこれで最後だと視線を外し、今度こそその場を離れようと歩きだすと後ろを小鴨のように小走りで着いて離れなかった。


「邪魔だ。失せろ」

「先程も伝えましたけど、お礼に一宿一飯の恩を返させてください」


 こちらの言葉を無視すると先を歩き始め、頼んでもいないのに先導を始めた。


「この先のエペ村には僕の家族が住んでるんです。ですから是非お礼をさせてください。いえ、嫌だと言っても連れていきますから」

 

 そう宣言すると、土埃と血で汚れた手で人を殺めたばかり無悪の手のひらを、躊躇なく掴んできた。他人と手を繋ぐ――記憶にない行為だった。


「そういえば、まだ自己紹介をしてませんでしたね。僕のことはアイリスとよんでください」

「……ふん。無悪斬人だ。別に名前は覚えなくて構わない」


 アイリス――日本語で菖蒲しょうぶの花とは、男のくせに随分と女々しい名前だなと心で嘲りながら、一宿一飯の提案に肯定も否定もしないまま予期せぬ形でエペ村まで同行することとなった。




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