6

 初めは職業安定所ハローワークのような無機質な斡旋所とイメージしていたギルドだったが、扉を開けて足を踏み入れるとまさかの喧騒が無悪を出迎えた。


 明日のことすら頭になさそうな連中が飲めや歌えやとあちこちで浮かれ騒いでいる。どうやら酒場の役割も兼ねているようで、どいつもこいつもすっかり出来上がっているようだ。


 酔い潰れて突っ伏している奴もいればお立ち台のようにテーブルの上で一気飲みをしている奴もいた。事情を知らなければここが安酒を振る舞う居酒屋と勘違いしても無理はない。


「おい、本当にここがギルドで合ってるのか」


 アイリスに疑問を投げかけると、苦笑いしながら答えた。


「はい。恐らく彼らは依頼クエストを終えて戻ってきた冒険者達でしょう。クエストは個人レベルのものから国がギルドを通して依頼する高難易度のものまで様々あるのですが、冒険者の方々は報酬をその日のうちに飲食で散財する方が多いんです」

「たった一回のクエストで命を落としかねない。だからこそ宵越しの金は持たぬという短絡的な思考の輩が多いんだ」


 冒険者にはそれぞれ格付けが為され、与えられるランクによって紹介されるクエストも制限されるという。


 つまりランクが低ければ低いほど回される仕事も簡単なものばかりで稼ぎも大したことがないうわけだ。


 このイステンブールを拠点にする冒険者程度だと、クエスト一回に対する稼ぎもたかが知れているとガランドが小声で説明した。


「なるほどな……底辺が僅かな泡銭あぶくぜにを考え無しに浪費する。日本とそう変わらない光景だ」



        ✽✽✽



 当然と言えば当然のことだが、無悪自身に堅気の仕事シノギの経験はない。


 物心つく前から犯罪に手を染め、十代半ばで「これほどの不良は見たこともない」と、少年課の老刑事に言わせしめるほどの少年がまともな社会生活に溶け込めるはずもない。


 数年後にヤクザの盃を頂くことは無悪自身を含め、周囲の人間もなんら不思議な未来予想図ではなかった。


 初めて裏社会のシノギを手伝ったのは、まだ盃も正式に貰う前の十代の話――当時少年院ネンショーで知り合った男に「金を稼ぎたい」と漏らしたところ、出所後に頼りになるという「先輩」を紹介された。


 年齢は十も離れておらず組にも属していないという。連日連夜高級クラブに出入りしては豪遊していると高らかに自慢していた体は、溜まりに溜まった脂肪のせいで全身が水死体のように醜く膨れていた。

 一言で言えば、ただただ醜いに尽きる。


 くだらない自慢話もそこそこに、男の口から「金が欲しいんだったら、ちょうど人手が欲しい現場がある」とシノギを紹介され、時間と体力ばかり持て余していた無悪は特に悩むことなく申し出に二つ返事で即答した。


 無悪が任されたのは、堅気の派遣会社では到底受け入れられないようなブラックな業務内容と、相場の半額という格安の料金で仕事を請け負う派遣会社の現場監督だった。


 勿論派遣業に必要な免許は発行されていないモグリの会社だ。


 従業員は「社宅」という名のプレハブに押し込められ、家賃――食費――遊興費――様々な名目で僅かな給与からピンハネされた挙げ句、手元に残るのは雀の涙ほど。


 そのような劣悪な環境下で働かされていたのは、主に十日で三割トサン十日で五割トゴといった超暴利の闇金に手を出すような、まともな精神状態ではない人間ばかりだった。


 車の運転は自己流で覚えていたので現場までの送迎は無悪が任されていたが、どいつもこいつも後部座席で死んだ魚の眼のような濁りきった目で、ただただ虚空を眺めていたのが印象的だった。


 休憩もろくに取らず丸一日扱き使われた挙げ句、日当数千円程度の給与を稼ぐために体を壊し、適当に名付けられた名目で金を毟り取られる。


 このシノギを紹介した男は寝てるだけでも懐が潤う。二度と日の当たる世界へ這い上がる事が出来ない奴らを目の当たりにしていると、この世の成功者の揺るぎない足元とは落伍者の屍が積み重なって出来た大地ではないかと理解するに十分な経験だった。


 それから十年以上経ったある日のこと――私用の携帯にどこで仕入れたのか、かつて派遣会社のシノギを無悪に紹介した男から連絡が届いた。


 あれから半グレ共を従えた男は、詐欺で類稀なる才覚を発揮しヤクザのお株を奪うほどに荒稼ぎをしていたことを、自らも闇金をシノギの一つとしていた無悪は風の噂で聞いていた。


 しかしその活躍も長くは続かなかったようで、時代の趨勢すうせいには抗うことが出来ずにいつしかその名を聞くこともなくなっていた。現に連絡が来るまで無悪の記憶から抹消されていた存在だった。


「実は相談があるんだ。少しでいいから時間をくれないか」


 そんな男からの突然の呼び出しに素直に応じるほど、無悪も暇人ではない。

 何も答えずにその場で通話を切っても良かったのだが、かつては裏社会で名を馳せた男が今現在どのような暮らしぶりをしているのか――この目で確かめてみたいという好奇心が勝った。


 

「すまんな、突然呼び出して。今や飛ぶ鳥を落とす勢いのお前のことだ。本当なら断られて当然の誘いに応じてもらって助かるよ」

「随分としおらしくなったな。態度もそうだが……見た目も随分と痩せたんじゃないか。まさか健康に目覚めたわけでもあるまい」


 昔はちょっとした世間話ですらホテルオークラの喫茶店で一杯が当たり前だった男は、まるで大病を患ったかのように全身から肉が削げ落ちていた。


 何年着古しているのかも判別がつかないヨレヨレのシャツを羽織り、居心地悪そうにソファに浅く腰掛け、負け犬が見せる卑屈な目で無悪の機嫌を窺っている。


 無悪の堅気ではない雰囲気が周囲の客の注目を集めた。


「いやいや……これまでの不摂生が祟って少しばかりガタが来てるだけだ。お前さんはまだ若いから判らないだろうがな」


 そう呟いてコーヒーカップを口元へと運ぶ指先は震えていた。どうやら不健康だけが理由ではなさそうだった。


「裏稼業なんて続けたところで明るい未来はやってはこない。俺は痛い目を見たよ」

「下らないな。所詮敗者の言い訳に過ぎない。まさかそんな恨み節を聞かせるためにこの無悪斬人を呼び出した訳じゃあるまいな」

「……そのことなんだが。頼むっ、何でもいいから仕事を紹介してくれないか」


 テーブルに額をつけ、薄くなった頭頂部をこれみよがしに見せつけられていた無悪は――想像通りの展開だな、と足を組みながら紫煙を燻らせていた。


 男の窮状は事前に調べさせたので把握済みであったが、その凋落ぶりは大して面白くもなかった。

 

 こんな人間にもかつては妻子がいて、死屍累々の上に築いた順風満帆の人生を歩んでいた。だが、そこまでの男だった。


 シノギが一旦空回りしだすと、立て直すことが出来ずじまいだった。そのタイミングで実刑を喰らったのも多大な影響を与え、生活の質を落とすことなどあり得ないと癇癪を起こした妻に愛想をつかれて離婚をする。


 血を分けた家族と引き離されたことをきっかけに転落の人生が始まるのだが、そこから先は興味もなかったので詳しくは聞いていない。


「仕事ならいくらでもあるが、さっきから気に入らねぇんだよ」

「は?」

「人に物を頼む態度じゃねえだろって言ってんだよ」


 燃える穂先で床を差し、「土下座しろ」と告げると、男のやつれた顔の底から屈辱の色が浮かび上がる。


「どうした、早くしろよ」


 男は言われたとおりに見窄みすぼらしい土下座をし、「どうか私に仕事を紹介して頂けないでしょうか」と震える声で懇願した。周囲から向けられる視線が無悪と男の間を往復する。


「そこまで言うんだったら紹介してやるよ。せいぜいしっかりと働くことだな」


 それから男に紹介したという仕事は、無悪がかつて任された派遣業だった。


 この不景気の時代、当時よりさらに格安の料金で仕事を請け負う企業は比喩ではなく山のように存在した。


 恐らく病気がちの男では長くは保たないだろう肉体作業ばかりが充てがわれるだろうが、知ったことではなかった。


 ある日の朝刊の片隅に、都内で変死体が発見されたという記事が載っていたが無悪にとっては取るに足らない日常の一コマだでしかない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る