第三十四話 協力要請・2
副学長が自ら頭を下げる。その意味は十分すぎるほど理解できていたが、それでも即座に承諾はできなかった。
確認しておくべきことが幾つかある。『皇姫殿下たちが安全に学ぶことができる環境』という言葉は、その最たるものだ。
「学園内で、皇姫に危険が及ぶ可能性がある……副学長はそのようにお考えということでしょうか」
ここから先は慎重に言葉を選ばければならない。このひりつくような空気は懐かしくもある――俺が護衛騎士であったころ、他国の護衛と話をするときは、こんな空気になることもしばしばあった。
腹の探り合いはあまり好きではない。フリードも同じだと言っていた――策謀を巡らせるのは軍師や参謀に任せればいいことだと。
「七国同盟が結ばれてから久しく、恒久的な和睦ということは、七国全ての人々にとって疑うべくもない。魔法学園も当然そのように考えている。しかしそれは国家間の問題であり、個人の行動まで完全に統制することはできない」
「皇姫殿下同士のご関係について、魔法学園からは干渉できないということですね」
カノンの質問を受け、マティルダ副学長は頷きを返す。
しかし、皇姫同士での
皇姫が同じ時、同じ場所に集まっているこの状況――各国は、皇姫が何者かに狙われる事態を最大限に警戒しているのだろう。
(その『何者か』が存在するとして、それをここで聞いていいものなのか……)
これは非常に繊細な問題だ。魔法学園が皇姫に害をなす勢力の存在を知っているとして、それが皇姫たちの祖国に伝わると、入学自体が考え直される事態もありうる。
「……悪戯に危機感を煽るべきではありませんが、避けては通れない質問です。皇姫殿下に危害を及ぼす者が、魔法学園に侵入する可能性はありますか」
「この魔法学園が、皇姫殿下の自国の城よりも安全と言うことはできない。それでも、これはもう決まっていることなのだ。それぞれの帝国の指針を預かる人々が会談し、皇帝の承認を得て決定した」
六皇姫――双子の獣皇姫を二人の姫と数えて、七人の姫がこの学園に集まり、同じクラスで学ぶことには大きな意味がある。
「そのために、クラスにも彼女たちの警護に協力する人物がいた方がいい……ということですね」
「本来なら、魔法学園が皇姫殿下の安全を保証するべきで、生徒には学ぶことに集中してもらいたい……しかし、貴君の能力は今年の入学生の中では突出している。『無色』の魔力という特性も寄与しているだろうが、魔力変化の練度については……」
「――マティルダ閣下、それ以上は貴女の沽券に関わります。勇み足はされませぬよう」
メイド服の女性が口を開く――マティルダ副学長に仕えているとばかり思っていたが、その発言は
「……貴君の能力が高いと知って頼み事をしたいというのは、都合がいいとは分かっている。私のことを軽蔑しても無理はない」
「いえ、そんなふうには全く思っていません。むしろ、何も知らされずにいるよりも、こうして話していただけて良かった。この学園を志願して良かったと心から思います」
アルスメリアの魂魄を探すために、直面するだろう問題。それは、他国の皇族の関係者にアルスメリアの魂魄を持つ人物がいる場合、俺の身分では接触することもままならないということだ。
それぞれの国に入国する許可を得て放浪し、手がかりを探す。その方法ではあまりに時間がかかりすぎるため、魔法技術の最先端であるこの魔法学園で、魂魄の行方を探す方法を見つけたいとも思っていた。
特別科に配属されたことで、俺は目的に大きく近づいた。しかし魔法学園で学ぶこと、カノンの護衛という務めを疎かにしてはならないし、魂魄を探す前に周囲の信頼を得なくてはならない。
「皇姫殿下たちと同じクラスに配属して頂けたことは、身に余る光栄です。微力ながら、良いクラスにするために、僕なりにできることをしたい。ですから、先ほどの申し出をお受けしたいと思います」
「ロイド殿……その厚意に感謝する。カノン殿は、それでよろしいか?」
「はい。私も兄に、自分の身を守る方法は教えてもらっています。兄やクラスの皆さんと協力して、安心して学べるように日頃から努めます」
メイド服の女性が音を立てずに手を合わせる。ずっと張り詰めていたマティルダ副学長も安堵したのか、かすかに微笑んで見せた。
「……改めて、二人に礼を言う。長く時間を取らせて済まなかった、教室での正式な顔合わせは明日となるので、これから宿舎に向かうと良い」
「先に教室に着いた人たちに挨拶をしたいと思っていたのですが、もう解散したのでしょうか」
「レティシア教官たちにはそうするようにと伝えてある。合格者は今日からここで暮らすことになるのだから、宿舎の確認をお願いしている。場合によっては宿舎を変更することもできるが、基本的には不自由のないように家具や生活用の魔道具は備えられている」
カノンは家にいたときと同じように料理ができるかを気にしていたので、台所の使い勝手は気になるところだろう。
今まではカノンとメイドの人たちが協力して食事を作っていたが、妹に負担をかけすぎないように仕事分担を考えなくてはならない。
「あの、猫様……いえ、私達の騎獣も一緒に住むことができますか?」
「貴族の生徒は騎獣とともに生活できるよう、宿舎も相応のものを用意している。本学園の『魔工建設科』は、魔法を利用することで短期間での建築が可能だ。貴族家の数だけの宿舎は常に確保できている。中には、同じ国の上位貴族の屋敷に間借りする生徒もいるのだがな」
「では、宿舎が集まっている区画には各国の貴族が集まることになるということですか」
「七つの国で区画が分かれているし、学年ごとでも学ぶ区域自体が分かれている。初年度はこの校舎を含む『碧海の区』で生活してもらう」
「『碧海の区』……この島は幾つかの区に分かれているのですね」
区が分かれているのなら、他学年の生徒と接する機会は限られるということか。
護衛をする上で、これからカノンが接する人物については事前に情報を集めておきたい。まず一年生の情報集めに集中できるなら、こちらとしては有り難い話だ。
同じクラスになるだろう、皇姫以外の生徒についても――級友については全員が信頼できる人物であれば理想だが、どんな生徒か最低限は知っておきたい。明日の正式な顔合わせまでに全員でなくても、数人には会っておけるのが理想だ。
「マティルダ副学長、そろそろお時間です。次のご用件もございますので」
メイド服の女性が言うと、マティルダ副学長は最後にということか、俺たちに右手を差し出した。最初にカノンが、その次に俺が握手をする。
「ロイド殿、先ほどの件についてだが……無償で協力を要請するという考えはこちらにはない。私の裁量が許す範囲で、貴君の要望に応じよう」
「ご配慮いただきありがとうございます。しかし、皆が安全に学べる環境を作るということは代償を求めてすることではありません。微力ながら、皇姫殿下の級友となれた光栄を噛み締め、務めを果たしたく思います」
「……務めと、そう言ってくれるのか。ロイド殿、貴君の高潔な精神に敬意を表する」
マティルダ副学長は再び頭を下げ、角隠しの帽子が落ちないようにしつつ顔を上げると、先に談話室から退出する。
後から動き出したメイド服の女性がこちらにやってくる――そして。
俺とカノンを見ると、彼女は柔らかい微笑みを見せた。肩に届く長さの水色の髪に、切れ長の鋭い瞳が印象的な女性だ。ただの水色ではなく、彼女の髪色も宝石色――これはアクアマリンだろうか。
彼女は何も言わないまま、俺たちを先に行かせて恭しく一礼する。部屋から出たあと、俺は隣りにいるカノンと顔を見合わせた。
「兄様、あの方は従者の服装をされていましたが、副学長様のことを主人というよりも……」
「友人として接しているように見えたね。年齢が近いみたいだから、もしかしたら学園時代の同級だったりするのかもしれない」
「あっ……そ、そうです。副学長様に『貴女の沽券に関わります』とおっしゃったとき、友達に忠告をするような言い方で……兄様、すごいですっ」
「予想でしかないから、正確なところはわからないけどね。主従関係だとしても、どこか対等なところがあるように感じた。そうなると、なぜ副学長があの人を同席させたのかということになるんだけど……」
「それも、兄様には全部お見通しなのですか?」
期待するように聞いてくるカノン――そんなに目を輝かせられると、こちらも期待に答えたくなってしまう。
「それが、さっぱりなんだ。見当もつかない」
「……意地悪をしないで教えてください、兄様っ」
「いや、本当に。ただ、何か重要な理由があるんだとは思う。でも、それが何なのか……」
分かるとしたら、もう一度副学長と会って話ができたときになるか。彼女に課せられた役目を果たせれば、話をする機会はまた巡ってくるだろう。
――そんなふうに、楽天的なことを考えていたから。
廊下の向こうに立って、窓からの光を浴びて立っている人物――『彼女』が誰なのかに、不覚ながら気がつくのが遅れてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます