二章 第22話 『小さな糸口』


 捜査一日目。

 ウェールズとの会談から一夜明けた今日。

 朝食を済ませたヒガナとココは、貴族街を歩いていた。

 貴族街というものは何度歩いても慣れないものだ。日常の音というのが乏しく、良く言えば閑静、悪く言えば物寂しい。一般人のヒガナからすれば、息が詰まる雰囲気だ。

 これを好き好んでいる貴族たちの感性には共感することは難しいな、とヒガナは思いながら隣を歩いている白縹しろはなだ色の少女に話しかける。


「向かっているのはハウエルズ邸、でいいんだよな」

「その通りです」

「現場検証とベティーの補助だな?」

「はい。現場に関しては見込みはほぼ無いでしょうから、ベティーの支援を主軸に行動しようと考えています」


 今回のハウエルズ邸訪問の最大の目的は、ハウエルズ卿と他国の癒着の証拠を押さえることだ。

 つまるところ、ヒガナとココは陽動役。

 重要な部分は一足早くハウエルズ邸に向かったベティーが担う。


「上手くいくといいけど……」

「なにを世迷言を。上手くいかせるんですよ、我々の手で」

「そう、だな。悪りぃ、弱気になっていた」

「大体、私とヒガナさんは適当に話を引き伸ばしていればいいんです。その間にベティーが全て片付けてくれますよ。証拠の隠し場所も把握しているようですし」


 失敗という考えを持ち合わせてないのか、ココは絶対的な自信を言葉に乗せて言ってのける。

 その物怖じしない彼女の在り方を、ヒガナは頼もしく、また羨ましくも思う。


「ところでさ。ベティーの服従契約、本当にあのままでいいのか?」


 服従契約が奴隷契約と類似したものだと聞かされたヒガナは、服従契約の破棄を提案した。

 ルーチェの力を借りれば可能だということも説明したのだ。

 しかし、ココは首を縦には振らなかった。


「はい。ベティーとの契約が急に破棄されたら相手は警戒してしまうかもしれません。それに支配下に置いているという安心感こそが致命傷になります」


「そうか、そうだよな」


「昨日の話でベティーに深く同情した結果、そういう考えに至ったのは想像できます。ですが、感情に身を任せた一手で盤上の陣が崩れてしまったら元も子もありません。言っておきますけど、今のはいつも感情任せで動いているヒガナさんへの忠告ですから」


「はい……反省してます」


 痛いところを突かれてヒガナは肩を落とす。

 しばらくしてからココの足がある建物の前で止まる。


「着きましたよ」

「ここが、ハウエルズ邸か」


 グウィディオン邸とは違った荘厳さを放つ屋敷だ。

 頬を叩いて、ヒガナは気合いを入れ直す。


「──よし、行こう」



×××



「処刑延期!? エドワードの件を再捜査している奴がいるだと!?」


 報告を受けて、声を荒げるのは中年の男性だ。

 野心の灯った瞳はギラつき、大きな鼻からは息が吹き出る音が聞こえる。

 脂肪がふんだんについた身体はだらしなく、着ている服の留め具が今にも弾け飛びそうだ。


「はい。情報によりますとグウィディオン家の者がしているようです」


 機械的に述べたのは、お下げ髪の少女──ベティーだ。

 彼女は早朝、ハウエルズ邸に帰還。

 執務室にてアリスの密告、処刑延期、再捜査の三点を現当主であるトマス・ハウエルズに報告をしていた。


「淫魔狂いめが……大人しく潰れればいいものの。まぁ、再捜査したところで結果は変わらんと思うがな。せいぜい足掻けばいい」

「………………」


 トマスは椅子から立ち上がり、ベティーの側に近づく。下卑た笑みを張り付けて、彼女の頬をいやらしく撫でた。

 ベティーは表情を一切変えない。感情を停止させるのはお手の物。心は氷のように冷ややかだ。この程度のことで波立っていたら諜報活動などできるはずもない。


「ともあれ、よくやったぞ。お前の働きで兄の怨敵を処刑台に送ることが叶い、グウィディオン家も失墜する」

「ありがとうございます」


 抑揚のない、機械じみた声でベティーは感謝を述べる。その間も彼女はトマスに悟られないように、部屋をくまなく確認していた。

 すると、ノック音が響き、メイドの一人が気まずそうな面持ちで扉を開ける。


「あの、前当主様の件に関して話があると、グウィディオン家の方々がお見えになっています」

「早速来たか。いいだろう、すぐに行くと伝えろ」

「は、はい」


 トマスはテーブルの上に置いてあった鍵を取り、ベティーと共に執務室から出て、鍵をかけた。

 彼は執務室に対する警戒だけは異常に意識している。

 露骨な警戒はそこに大切な物、見られたくない物があると言っているようなものだ。

 分かり易すぎる。


「お前はひとまずグウィディオン邸に戻れ。来た連中に見つかったら厄介だからな」

「承知しました」


 トマスのだらしない後ろ姿を見送ったベティーは、周りに誰も居ないことを確認。

 行動を直ちに開始する。

 まず、トマスが進んだ方向とは逆方向から玄関ホールに向かう。

 等間隔に並んだ柱──その一本の影に身を隠して、息を潜めながら様子を伺う。


 玄関ホールには、白縹しろはなだ髪の少女と黒髪の少年が居て、全体を注意深く観察していた。

 そんな二人の姿を見たら、不思議と気持ちが落ち着いた。


 ──仲間がいるって、こんなにも安心できるんだ。


 ベティーは基本的に単独で任務を遂行していた。

 だからなのか、背中を預けられる協力者がいる状態での活動に少しばかり高揚すらしていた。


 しばらくしてトマスが二人に接触。


「ココ先輩、ヒガナさん。お願いします」


 それを確認したベティーは、執務室へと舞い戻る。

 メイド服に忍ばせていた針金を使い、執務室の鍵を難なく開けて室内に侵入。


「あればいいんだけど」


 立ち止まっている時間も惜しい、と考えたベティーはこれまでの経験を活かして、証拠の隠し場所を探し始めた。

 机の裏、引き出しの中、本棚、ソファー、壁に床──考え得る限りの場合を探してみると、これが拍子抜けするほどあっさりと見つかった。


 引き出しが二重構造になっていたり、本を切り抜いてその中に隠してあったりと、多少の細工はあったが、ベティーにとっては何の意味もなかった。

 拍子抜けする隠し方に、何か罠でもあるのではと思ったが、単純にトマスの警戒が甘いだけだった。

 部屋に入れさせなければいい、という安易な考えが愚かだ。


 愚かな考えに助けられたベティーは、証拠をしっかりと懐にしまい、その場を立ち去った



×××



「全くもって不愉快です」


 グウィディオン邸に戻ってきたココ、ヒガナ、ベティーは、ココの部屋に集合した。

 苛ついた面持ちで、椅子にふんぞり返るココ。

 原因はもちろんハウエルズ家──トマス・ハウエルズの対応の悪さだ。

 ココの肢体を舐め回すように見るだけ見て、質問に対しては、分からない、知らない、記憶にない、の三言葉だけ。

 現場検証をしようとするも、行く場所行く場所にトマスがべったりと張り付き、集中力が掻き乱されていまい満足いく結果は得られなかった。

 時間が経つごとにイライラが増してくるココを、側で見ていたヒガナの気まずさたるや。


「あの豚が。近いうちに然るべき処罰を与えてやります」


 テーブルの上に置かれた戦利品──他国との癒着の証拠を手に取り、ココは悪魔の如き悪辣な笑みを深める。


「これが……何書いているのはさっぱり分からないけど」

「ヒガナさん、文字が読めないんですか?」

「これが全く読めないんだな。あ、なんかデジャヴ」

「たとえ読めてもヒガナさんには、理解できないですよ。ほら、見てくださいよベティー」


 回り込んで、ココの肩から証拠を覗き込んだベティーは、「うわぁ」と引いた声を漏らした。


「これは、ズブズブですね」

「えぇ、ズブズブです」

「…………」


 美少女二人が証拠にきゃっきゃしている姿を、ぼんやりと眺めることしかできないヒガナは、文字を覚えようと心に決めた。


「なぁ、執事の人が言っていた元使用人のところにはいつ行く?」


 ハウエルズ家で得られた情報の一つ。

 事件の第一発見者である元使用人の現在の居場所だ。

 証拠から目を離したココは、ニマニマとヒガナを見た。


「そんなに行きたいんですか? 溺夢街できむがいに」

「当然だ……って、なんでベティーは赤くなっているんだ?」

「い、いえ、ヒガナさんも、男性なんだなぁと思って」

「ちょっとよく分からないけど」

「はいはい、今すぐに行きたい気持ちは分かりますが、夜の方が情報を集めやすいんです。なので、今しばらく我慢せてください」

「分かった。夜だな。じゃあ、俺は少しでも情報を収集してくる」


 今はまだ昼間だ。

 夜まで何もせずにいることなんて出来ない。

 どんな些細な手がかりでも見つけたい、とヒガナは思い、ココの部屋を後にしようとする。


「そうだ、街に出るならソフィア様を誘ったらどうですか?」

「ソフィアを?」

「はい。ヒガナさん、土地勘ないでしょうし。何よりソフィア様が力になりたいようですから。ですよね? ソフィア様」


 扉に向かって、ココが声をかける。

 すると、ゆっくりと扉が開き、頬を赤らめたソフィアが身体を半分だけ見せた。


「気付いていたの?」

「気配を消す技術を身につけた方がいいですよ。まぁ、ソフィア様に関しては私はすぐに分かりますけど。それより、盗み聞きとは随分と良い趣味をしてますね」

「していた私が言うのもなんだけど、盗み聞きは良くないと思うわ。趣味にしているなんて論外」

「皮肉という言葉知ってます?」


 不思議そうに首を傾げるソフィア。


「知っているけど、どうして?」


 ココは呆れたように溜め息をついて、肩をすくめる。


「ソフィア様みたいなのが一番やりにくいんですよね……」

「────?」

「もういいです。話は聞いていたようですから、説明は省きますがヒガナさんの付き添いしてあげてください」

「そうしたいけど、ヒガナは迷惑じゃない?」


 心配そうにヒガナに問いかけるソフィア。

 どういう生き方をしたらこうも純粋で、優しい子に育つんだろう、とヒガナは思いながら、快く頷く。


「寧ろ、俺の方から頼むよ。昨日みたいに案内してくれるとすげぇ助かる」

「──! うんっ、任せて!」



×××



 ヒガナとソフィアは積極的に聞き込みをしたが、結果は全て空振りとなってしまった。

 ヒガナはこれまでの経験から、こうなることは予想していたのでさしたるダメージは追わなかったが、ソフィアの方はそうはいかない。

 情報は得られず、おまけにアリスのことに関心を示す物好き、異常者として冷たい視線を浴びされた。

 気丈に振る舞っているが、精神的な消耗は相当なものだろう。


 ソフィアを休ませる目的でヒガナは休憩を進言。

 そんな訳で、今はカフェテラスで休憩中だ。

 木材で作られた丸テーブルの上には、アイスミルクティーが二つ仲良く並んでいる。

 二人同時に、アイスミルクティーを手に取って、一口飲んで徒労の息を吐いた。

 全く同じタイミングで、ヒガナとソフィアは顔を合わせて笑い合う。


「なかなかのシンクロ率だったな」

「そうね。もしかしたら似た者同士なのかも」


 屈託のない澄んだ笑顔に、休憩を取ることを選んで良かった、とヒガナは思いながらミルクティーをもう一口。

 しばらく無言の時が流れた後、ソフィアがおもむろに口を開いた。


「少し変だと思わない?」

「何が?」

「いくら三年前のことだからって、事件のことを知っている人が少ないと思うの。ううん、全然いない」


 ソフィアの言うことは的を得ていた。

 街の人々は、貴族がアリスに殺されたと言うことは知っている。

 誰が殺されたのか。

 なぜ、殺されたのか。

 なぜ、殺したのか。

 それらの点について知っているものは誰もいなかった。

 住民が知っているのは、肉を限界まで削ぎ落とした骨の部分だけだ。


「言われてみればそうだな。まるで、アリスが貴族を殺したことだけを流布しているみたいだ」

「うん、私もそう思う」

「誰かがわざと流したのか? 民意の悪意をアリスに向けるために。だとしたら誰が……」


 こめかみを押し込み、脳を刺激しながら思考を回転させるが、これといった推測は思いつかなかった。

 黒髪を掻きながら、ヒガナは大きな溜め息を漏らした。


「くそっ、分かんねぇ……。アリスが誰を庇っているかも分からねぇ……分からないことだらけだ」


 ああでもないこうでもないと唸るヒガナを眺めていたソフィアは、不思議そうに長いまつ毛を何度もしばたかせる。


「アリスは誰かを庇っているの?」

「え? ああ、そうだと思う。多分、喋ったらボロが出るから、アリスは黙秘を貫いているんだ」


 十字架のネックレスを触りながらソフィアは、少し寂しそうに呟いた。


「庇うってことは、その人がとっても大事だったのね」

「そうだな」


 普通に考えればアリスが庇っているのはエドワード・ハウエルズだろう。が、その本人が事件の被害者なのだ。

 彼を除いた人物の中で、アリスが庇おうとする程の人物が屋敷内で見当たらないから頭を悩ませているのだ。


「アリスがハウエルズ家に居た時の交流関係が不明瞭過ぎる……。もう少し情報があれば」


 この問題を解くピースが王都には殆ど落ちてない。

 いくら聞いても『貴族殺しのアリス』しか出てこず、『ハウエルズ家に居たアリス』はどこにも見当たらない。

 まるで、その時のアリスは存在していないかのようだ。

 砂を噛んでいるような現状に、焦りが顔を出し始めていると、


「あっ! スオウ・ヒガナだー!」


 聞き覚えのある緊張感のカケラもない声。

 渋い顔をして声のした方に顔を向けると、騎士団の制服に身を包んだ美少女……ではなく、美少年がヒガナたちの元に寄ってきた。


「……ルナ」

「名前覚えてくれたんだ! 嬉しいなー! おっ、こんなに可愛い子とお茶だなんて、ヒガナもなかなかやるねー」


 ルナは純粋な瞳に白髪の美少女を写して、ヒガナを賞賛もとい冷やかす。

 可愛いと言われたソフィアは、反応に困って忙しなく白髪を触りそわそわしていた。


「ありがとよ。つか、市民を守るのが仕事の騎士様が真っ昼間からふらふらしてて良いのか?」


 若干の皮肉を込めた言い方に、ルナは怒りもせずに、それどころかヘラヘラと笑う。


「大丈夫大丈夫。街の巡回って言えば何とかなるから」


 ヒガナは苦笑いを浮かべながら、騎士団に会ったら聞こうと思っていたことをこれを機に聞くことにした。

 内容は言わずもがなアリスのことだ。


「アリスは……アリスはどうしてる?」

「んー、大人しいの一言かな。取り調べの席には素直についているよ。まー完全黙秘を貫いているけどね。副団長相手にだんまり決め込むって、なかなかできることじゃないよ」

「そう、か……」

「そうそう。まぁ、死刑は確定だから取り調べする必要もないんだけどね」


 飄々とした言い方に、ヒガナは怒りを覚えてルナを睨みつけた。

 それを受けたルナは、「ごめんごめん」と両手を挙げる。敵意や悪意はないと伝えたいようだ。


「ヒガナ……というか、グウィディオン家はアリス・フォルフォードの無実を証明するために動いているんだもんね。いやね、僕としては彼女の無実を願っているんだよ?」

「そうなのか? 信じられねぇ」

「酷いな! 僕を何だと思っているのさ! 本当にそう思っているよ。だって、無実なら死刑にならなくて済むでしょ? 人が死なない、それは良いことじゃないか」


 言葉の一つ一つに純粋さを感じる。

 ルナという人間には嘘が見当たらない。

 どこまでも剥き出しの本心を晒しているようだ。


「だからね、ヒガナ。力が必要になったら僕を頼ってよ。これでも騎士団の一員だから、ある程度の融通が利くよ?」

「分かった。その時は遠慮なく頼らせて貰うよ」


 満足した笑みを見せたルナは、ソフィアの方に整った顔を向けた。


「キミも困ったことがあったら頼ってね。キミに正義があるなら、僕は必ず力になる。なんたって正義の味方だからね」

「うん。ありがとう」


 ソフィアのどこか複雑そうな表情に微かな疑問を感じたり。

 ルナが再び街を徘徊、もとい巡回のためにその場から去ると、ソフィアは小さく溜め息をついて呟いた。


「……変わってない」

「へぇ、昔からの知り合いなんだ。あれ、でもソフィアが王都に来たの一ヶ月くらい前って……同郷の友達とか?」

「え? 全然違うけど」


 少し驚いたように、ソフィアは目を丸くして瞬きを繰り返した。

 予想外のリアクションにヒガナは少しばかり首を傾げる。


「だって、今変わってないって」

「あっ、えっと、それは……」


 バタバタと手を振って取り繕うとするソフィアだったが、何も思い浮かばなかったようで、遂には黙り込んでしまう。

 深く掘るつもりはなかったが、その不可解な態度にヒガナは疑問を感じた。

 結局、それは解明されることなくソフィアとの聞き込みは終了した。

 収穫は皆無だった。

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