二章 第7話 『思考を失った者たち』


 ソフィアが思い付く限りの隠れられそうな場所に行ったが、結果は全て空振りに終わった。彼女は申し訳なさそうにするが、王都に来てさほど月日の経っていない点を考慮すれば十分過ぎる活躍だ。


 気を取り直して、ヒガナたちは人通りの多い場所に行き、聞き込み調査を行うことにした。


 とはいえ、ヒガナは赤の他人に飄々と声をかけられるほどの高いコミニケーション能力を持ってないので、中々聞き込みを始めることが出来なかった。


 対照的にソフィアは道行く人の腕や肩を掴んで、半ば強引に足を止めさせて話を聞いていた。止められた方は最初こそ驚くがソフィアの美貌又は真剣な黒瞳に心打たれて、質問に耳を傾けてくれる。

 だが、問題はそこからだった。


「人を探しているの。可愛い兎耳の女の子なんだけど、どこかで見かけなかった?」


 自分の手を頭の上に置いて兎耳を強調するソフィア。少しあざとく見えるが、本人は至って真面目にやっているので可愛らしくも見える。

 少女の愛らしい仕草に普通なら頬を緩めてしまうところだが、質問されていた男性はみるみる青ざめていく。


「う、兎耳って……アリスって言う」

「そう! どこかで見な……」

「そんな危ない奴見てたら騎士団のところに逃げ込んでいるよ! 悪い冗談はやめてくれ!」


 男性はソフィアを振り払って、逃げるように人混みの中に消えて行ってしまった。

 なぜ、そんなに怯えるのか分からないソフィアは、さして気にせず先程と同じ要領で人を捕まえて質問をした。

 しかし、


「見る訳ないだろ! 気味の悪いことを言うな!」


「やめて! あんな悍ましい化物……想像しただけで頭がおかしくなるわ!」


「なんで、イかれた野郎探してんだ? お前も同類か? 見かけによらねぇもんだな」


 などと、アリスへの嫌悪だけしか得られない。

 挙げ句の果てにヒガナとソフィアは人々に囲まれてしまう。誰もが二人を怒りと恐怖に満ちた瞳で睨みつけていた。


「さっきからお前らは何だ!」


「そうよ! 犯罪者の名前を言いふらさないで! 子どもたちが覚えたらどうするの!?」


「あぁ、恐ろしい」


 口々にヒガナとソフィアへの非難とアリスに対する誹謗中傷する人々。

 ヒガナはいよいよ我慢の限界だった。怒りで震える拳を強く握り締めて、反論の火口を切った。


「アンタは……アンタたちはアリスを見たことがあるのか! その目で実際に見たことがあるのか!」


 この場でアリスを見た者はヒガナとソフィアを除いて誰も居なかった。

 その証拠に誰もが口を噤んだ。


「見てもないのに、話したこともないのにアリスが犯罪者だ、危険な奴だって言い切れるんだ! 噂とか憶測で言うのはやめてくれ! 勝手な想像で他人を傷付けるアンタたちの方がよっぽど危険だ!」


 すると、怒号と共にヒガナの頬に鈍い衝撃が走った。石畳みに倒れると同時に殴られたことを理解する。

 ソフィアの悲鳴が怒号に渦巻く中で微かに聞こえた。


「ふざけたこと言うな黒髪野郎! あのイかれた兎耳が貴族を殺しているってのは王都に住む全員が知ってる! 殺人犯で犯罪者で異常者なんだよ、イかれた兎耳は!」


「ソイツを擁護しているお前も異常者だ! くたばりやがれ!」


「いいぞもっとやれ! 二度と戯言を吹けないように徹底的にやっちまえ!」


 苛烈する民衆。自分こそが善だと主張する彼らの正義という名の鉄槌がヒガナを襲う。髪を掴まれ、顔を殴られ、腹を蹴られ、唾を吐かれた。


 戦闘能力が一般人並みのヒガナでは四方八方から迫る暴力に抵抗する手段がない。故にうずくまって耐えるしかなかった。


 その中で天使の顔をした死神──エマの言葉を思い出した。


『貴族を殺したかどうかは最早問題ではなく、大衆の総意──民意がアリスさんを犯罪者と決め付け、貴族殺しの印象を植え付けた』


『民意は怪物なんです。知らず知らずの内に民衆はその怪物に飼い慣らされているんですよ。それは考えることを放棄した家畜も同然。ですが誰も怪物から逃げようとはしない、なぜだか分かりますか? 楽だからですよ。怪物に飼われていれば自分は何も考えなくてもいいですからね』


 ヒガナは今まさに民意と呼ばれる怪物に蹂躙されていた。

 なんて大きくて、恐ろしい怪物なのだろう。それに飼い慣らされている人間とは、あぁ……こうまで醜いとは。

 そして、思う。


 ──アリスはこんなのとずっと戦っているのか。


 少女がたった一人で。

 こんなの辛すぎる。

 悲しすぎるじゃないか──。


「やめて……やめてよ……」


 今にも消えそうな声で呟くソフィア。ヒガナが襲われる様に恐怖し、膝から崩れ落ちて全身を震わせていた。そして、縋るように十字架のネックレスを握っていた。


「はいはーい。みんな、それくらいしてあげたらー?」


 抜けた調子の声が民意の動きを止めた。

 騎士団の制服に身を包んだ青髪の騎士は、ゆっくりとヒガナたちを囲んでいる住民のところへ近付いていく。


「どういう経緯でこうなったかは知らないけど、それだけやれば十分でしょ? 解放してあげなよ」

「………………」


 まだやり足りないといった様子を見せる、ヒガナを積極的に殴っていた男性。彼の煮え切らない反応に、ルナは腰に差した剣の柄に触れながら言う。


「それ以上、悪事を働くなら僕は君を斬るよ」

「悪事って……最初にふっかけて来たのはこっちで……」

「そんなの知らないよ。今、僕の中にある天秤が君を悪と判断している」

「な、なんだよそれ! 騎士団は市民を守るために居るんだろ! 市民の味方じゃないのか!」


 ここぞとばかりに自分の立場を盾にして、声を荒げ唾を飛ばす男性。

 ルナは首を横に振って否定し、純粋に満ちた瞳を細め、


「──僕は正義の味方だよ」


 と、躊躇なく言ってのけた。


「────っ」


 騎士の登場ですっかり熱が冷めた住民たちは、蜘蛛の子を散らすように日常の中へと戻っていく。


 ルナはというと、未だに非日常の中に存在しているヒガナに手を差し伸べた。


 しかし、ルナの手は借りずに立ち上がる。これに関してはヒガナの単なる意地だ。口の中が鉄臭く、腹部に鈍い痛みが続いている。脚に響いてないのが唯一の救いだった。


 使われなかった手をソフィアに活用した後に、ルナはヒガナを見て心底楽しそうに笑う。それは、嘲笑といったような相手を蔑むモノではなく、ただ素直な笑いだった。


「ヒガナは優しいんだねぇ」

「はぁ?」


 一部始終を見ていたとは思えない、ズレた感想を述べるルナにヒガナは眉を顰める。


「だってさ、普通反撃するよ。それなのに街の人にあそこまで好きなようにさせるとか、ちょっと聖人入ってる?」


 そういうことかと、ヒガナは血の味が広がる口の中で呟き、溜め息を零して、あまり言いたくない事実をルナに教えた。


「単純に俺は弱いんだ。あんな大人数で来られたら何もできないって」

「へぇー、ヒガナ弱いんだ。見た目通りで良いと思うよ!」

「それ、褒めてないからな。でも、助けてくれてありがとう。俺たちはもう行くから」


 ヒガナは未だに震えているソフィアを連れて、その場を離れようとする。今の彼にとって、ルナは言ってしまえばアリスを狙う敵だ。敵と呑気に会話などしている暇は無い。


「えー、もう行っちゃうの? もうちょっと話そうよ! ヒーガーナー!」


 ルナは敵対意識など微塵もない。

 見た感じアリスを捜索しているわけでもなく、暇潰しで街をフラフラ歩いていたらしい。

 いそいそと行ってしまうヒガナたちを眺め、ルナは少しだけ頬を膨らませた。


「ちぇー、つまんないの」


 完全に騎士が見えなくなったところでソフィアが口を開いた。もう、すっかり震えは治っているようでヒガナはホッと胸を撫で下ろした。


「ごめんなさい。私、何もできなかった」

「いや、さっきのは俺の自業自得、熱くなり過ぎた。それよりソフィアに怪我がなくて良かった」

「ありがとう。……でも、今度はちゃんと守るから。そのための守護精霊だもの」


 真剣な表情で詰められて、ヒガナは反応に困りながらぎこちなく頷いた。

 妙な熱の入れようだ。案内役として、客人であるヒガナを守ろうとする意識が強いのかもしれない。

 責任感の強い子だ、とヒガナは思った。


 気を取り直して、アリスの手がかりを探し始めるが住民たちの拒絶は凄まじく、結局何の成果も得られずにヒガナとソフィアはグウィディオン邸へと戻ることになった。



×××



 一組の少年少女は、身体に纏わりついて離れない不愉快な徒労感を落胆の表情で表現していた。

 平々凡々な顔立ちをした黒髪の少年に関して言えば、そこに怒りと焦燥の感情が加算されている。


 今のヒガナは夜空に光る星にすら苛立ってしまうほど、精神が不安定な状態だ。

 理由は言わずもがな、アリス捜索の最中に起こった出来事の数々だ。


 その中で民意の一端に触れ、ヒガナはアリスの前に立ちはだかる巨大な怪物の獰猛さに絶句した。

 アリスの味方であり続けると心に誓った以上、立ち向かわなければならない。

 だが、勝てる自信がない。


「ねぇ、ヒガナはアリスのことが大事?」


 ソフィアの唐突な質問。

 彼女の少し前を歩いていたヒガナは、門の前で立ち止まって、力強く頷いた。


「あぁ、アリスは大事な仲間だから」


 わざわざ質問しなくても、今日のヒガナの行動を見ていれば、アリスに対する気持ちがどれ程のものかは容易に想像できる。

 それでも、ソフィアは質問した。

 どうしても質問する必要があったのだ。

 そして、予想通りの答えが返ってきて、ソフィアは綺麗な顔を暗く歪めた。


「なら、どうして…………」

「あっ! お二人も今お帰りですか?」


 聞こえてきた可愛いらしい声にソフィアの言葉は掻き消された。

 見ると、お下げ髪の使用人見習いが疲労困憊といった様子でヒガナたちの元へとぼとぼとやってきた。彼女もこの広い王都の中を駆けずり回っていたのだろう。

 そのことにヒガナは感謝しかなかった。


 三人は今日の成果を交換しながら、正門をくぐり、本館へと進んでいく。

 双方とも成果は芳しくなかった。


 すると、廊下で左右色違いの瞳をした男性がヒガナたちとは逆方向からくる。

 その仏頂面を見た瞬間に、ベティーはビクついてソフィアの背に隠れてしまう。彼女はアルベールのことが相当怖いみたいだ。

 ベティーの反応を無視したアルベールが茶色の瞳でヒガナを睨みつける。


「酷い面だ」

「ちょっとアルベール!」

「お前もだ。揃いも揃ってふざけた面しやがって」


 吐き捨てるように言って、アルベールはヒガナたちを横切る。この先は玄関しかない。どこかへ出掛けるのだろう。

 仏頂面の剣士の姿が完全に見えなくなると、ベティーは安堵の息を漏らした。固まっていた身体も徐々に解れていく。


「ふへぇ……あの人は怖くて苦手です」

「いつもムッとしていて、何が気に入らないのかしら?」


 ヒガナはアルベールについては何も言わなかった。第一印象は正直良いとは言えない。でも、それだけで判断するのは早計だ。

 アルベールという人物を評価するには交流が全く足りない。



×××



「皆さん、お疲れ様でした」


 労いの言葉を述べた白縹しろはなだ髪の少女は、自室の椅子に座り、優雅に夕食後のティータイムを楽しんでいた。


「早速ですが、得られた情報を全て開示して下さい」


 ココの急かす様な言い方に、こっちの苦労も知らずに、とヒガナは喉元まで出かかったが何とか飲み込んで得られた情報を渡した。


 因みにベティーはこの場には居ない。アルベールとすれ違ったすぐ後に、一足早くココの元に来て今日の成果を伝え終えたら通常業務に戻ったらしい。少しでも早く業務に慣れたいというベティーの熱意が伝わって来た。


 情報を得たココは地図に印や書き込みをしていく。流れるようにペンを走らせる。書かれた文字──ヒガナには何が書いてあるか読めないが──はとても綺麗な形をしていた。


「思った以上の成果です」


 ペンを置いたココは満足そうにティータイムに口をつけた。


「ソフィア様とお客様が潜伏場所に最適な場所をいくつか潰してくれたのは大きいです。おかげでかなり絞り込めましたよ」

「本当か!?」

「はい。明日になれば情報も入ってくるので、アリス・フォルフォードの居場所は特定できるかと」


 やっと見えた光明にヒガナの表情が和らいだ。

 その隣でソフィアは地図とにらめっこをしていたが、やがて首を傾げた。


「どうしてこんなに少ない情報で居場所が分かるの?」

「この手の捜索は何度か経験がありますから。慣れですよ、慣れ。ついでに王都の土地を隅々まで把握しているのも大きいですかね。ともあれ、今日はここら辺で捜索終了としましょう」

「でも、まだ……」

「ここで根を詰めたところで無駄です。それどころか明日以降の捜索に支障をきたします。過剰な労働は効率を著しく下げますから、今日はお休みになって下さい」


 有無を言わせないココの意見に、ヒガナは応じるざるを得なかった。それに、こうして落ち着いてみると身体がやけに重く感じた。疲労が溜まっていることに今更気付いたのだ。


 ──今日はゆっくり休んで、明日に備えよう。


 ヒガナとソフィアはココの部屋を後にして、各々の部屋に戻った。


 グウィディオン邸の三日目は怒涛の勢いで幕を閉じた。

 だが、絶望はすぐさま訪れた──。

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