第66話 それぞれの魔法が発動する

「招待状の文章はこんな感じでいかがでしょうか」


 氷川貴雅は照れたように自分が書いた文章を総務課ミーティングで配った。


 <よりどりぐりーん四店舗合同リクリエーション

 「よりどりつながりカフェ」ご招待状


 よりどりぐりーん従業員の大切なご家族や友人の皆様へ


 謹啓 ますますご清祥のことと心よりお喜び申し上げます。

 日頃は弊社業務に格別のご高配を賜りまして厚く御礼申し上げます。


 この度弊社では、よりどりぐりーん四店舗合同のリクリエーション企画といたしまして、「よりどりつながりカフェ」を開催いたします。


 普段、なかなか交流できない多店舗スタッフとの懇親や情報交換を目的とした会ですが、よりどりぐりーんで働く私たちが本当の意味で幸せに生きることを第一と考え、日頃私たちがお世話になっている大切な皆様にもご一緒いただき、ささやかではございますが小宴を催したいと存じます。


 つきましてはぜひご参加のほどよろしくお願いいたします


 基本的には弊社中央センター内会議室にての実施ですが、当日は天候の許す限り屋外カフェの設営も予定しておりますので、どうぞ暖かく過ごしやすい服装でお越しください。


 ご多用中とは存じますが、なにとぞよろしくお願い申し上げます。


                                    謹白



「ちょっと固いけどいいんじゃねえか。さすが、氷川主任はこういうの得意だな」


 黒沢課長がプリントアウトされた文章を読んで満足そうに頷いた。


「いやあ、失礼のないようにと思いまして文例などを調べまして……、なんとか……」


 氷川主任が、自分が書いた文章に誤字脱字がないか一文字ずつ指で確認しながら言う。


「氷川主任はいつも何かを心配してるのね」、マリアが笑って言う。


「こういうのはいろいろ心配ですよ。そもそも外でのカフェを冬に開催って、最近はよくあるようですけれど、大雪でも降ったらどうするかも考えておかなければなりませんし」


「氷のキャンドル並べて、暖かいスープ配って、絶対ロマンチック! ちょうどクリスマスイブだし、銀さんがツリーを飾りつけしてくれるって言ってた。超楽しみ! これ、私も一通出してもいいですか……」


「俺は二通もらおうかな」


「私も家内を誘いましょうかね。楽しみですね……、でももしも大雪になったら……」


「そしたら中でやればいいじゃん。会議室を午後いっぱい使えるようにしてあるから大丈夫だってば! ほーんと、心配性なんだから!」


 マリアがからかうと、氷川主任が嬉しそうに笑った。


「心配性が、私の魔法なもんで……」


「魔法?」


 黙って聞いていた小田桐このはが驚いたように言う。


「ええ、小田桐さん。ずいぶん昔ですけれど、碧社長に授与された魔法ですよ。私がいつもいろいろなことを心配しているもので、当時の同僚などに嫌がられていたのです。そうしたら、碧社長が声をかけてくれまして、心配性は私の武器だとおっしゃってくださったんです。細かいところを見てくれてありがとう、まだ起こっていないことを先回りして防ごうとしてくれてありがとうって。あれは、嬉しかったですねえ。心配性という魔法にしてしまえばいいんだっておっしゃってくださって。それ以来、堂々といろんなことを心配しています。最近ではこれが私の強みなのではないかと思うようになりまして……」


 いつになく饒舌な氷川主任を見て、黒沢課長も感慨深げにうなり声を出した。


「そっか……。魔法少女キャラ、徹底してたんだな……」


 そこを通りかかった白河課長が爽やかに笑った。


「ほんと、ほんと! うちの社長が魔法少女なのは昔からだもんな」


 今日もおしゃれなスーツに身を包み、快活な大きな声で白河課長が言った。


「えっ。白河課長も知ってるんですか? じゃあ、白河課長ももしかして魔法を授与されているとか?」


「そうだよ、このはちゃーん。爽やかな風を吹かせるのが俺の魔法だって言われたんだ。常にみどり食品に、爽やかな風を吹かせてくれって。だからそれだけは意地でもやってるんだよ、俺。伝統的な会社だからこそ、俺みたいな人間が必要なんだ」


 このはは、口をあんぐりと開けた。


 氷川主任の心配性は、欠点だと思ってみていた。碧社長は氷川主任の心配性を、会社の財産みたいに思っているんだ。強みだと思っているんだ。


 白河課長が爽やかなのは、もともとカッコいいからだと思っていた。新しいもの好きなのも、気が若いからだと思っていた。碧社長が白河課長にしかできないことを見抜いて、意識的にいつもやるように言っているんだ。


「すごい! すごい! じゃ、じゃあ、黒沢課長も? 黒沢課長の魔法って、何ですか?」


「いや、俺は恥ずかしいからいいわ」


 黒沢課長は手のひらをぶんぶんと顔の前で横に振って固辞した。


 なんとなく場がしらけたが、それを取り繕うようにマリアが、「じゃー、私のを教えてあげる!」と明るい声を出した。


「マリアさんも?」


「私は、ピンクの服を着ること。私らしい色だって、碧社長が言ってくれたの」


「ちょっと待ってください。みんな、碧社長から魔法とか言うのをもらってるんですか? 時田さんもでしょうかね」


「あおいくんなんて何回ももらってたよ」


「私、もらってないんですけど」


「そのうちくれるんじゃないでしょうかね」


「俺がもらったのなんて、つい最近だぞ」


「このはちゃんにも、いずれくれるからお楽しみにしてたらいいわよ」


 このはは不満そうな顔で俯き、小さくつぶやいた。


「自分から、聞きに行こうかな……」



***



 天野碧社長は今日、朝から出かけていた。

 午前中に二つのアポイントがあった。

 少し疲れて会社に戻ってきた。

 中央センターの入り口から入り、ロビーに飾ってある風景画を見る。

 祖父が描いたものである。細部までていねいに描いてある。まるで祖父がしていた経営そのものだ。

 どの細部にも、愛情が生き渡っているようだ。


「ていねいがいちばん」という祖父の掲げていたスローガンは、父の代に効率と業績をあまりにも重視したため、禁句のようになってしまった。


「ていねいがいちばん」と言いづらい空気が社内にできてしまった。


 それでもいつか必ず創業当時のみどり食品に宿っていた「ていねいがいちばん」の空気を取り戻したいと碧は思っていた。


 碧がポスター風に書いた文字は、祖父の「ていねいがいちばん」を言い直したものであった。


<神々が見ている>


 社員たちはただ毎日ここを行き来するだけだが、この言葉がここにあることがきっと無意味ではないはずだ、と碧は思う。


 外からカーンカーンと音がする。


 何だろうとみてみると、銀さんが屋外用のテーブルの脚を直している。


――そうだ、来月はこの敷地をオープンカフェに見立ててレクリエーションだ。中の会議室だけでいいのに、冬遊びとかいって、外でスープを飲んだり、ツリーを飾ったりするって、面白いこと考えるわねえ……。


 碧は、そう思いながら心の奥に覚悟を芽生えさせていた。


―美咲……。どうして、よりどりぐりーんで働いていることを私に言わないの?


 美咲の双子の姉である美果は、幼い頃から一日にあったことを全部報告してくるような性格だ。今でもしょっちゅう、演劇で悩んでいることや好きな男の子のことを相談してくる。


 美咲は美果とあまりにも対照的だ。こちらから聞かないと、何も言ってこない。根掘り葉掘り聞きだしてようやく少しだけ把握できる。あまりにも聞きすぎると、黙り込んでしまう。いつの間にか、美咲に対しては、本人の意思に任せるようになっていった。美咲本人のリズムを尊重するようになっていった。それによって情報不足になってしまっていた。アルバイト先が変わったことを、分かってあげられていなかったこと。その新しいアルバイト先が自社の店舗であったことに、碧は大きな衝撃を受けた。


 その夜帰宅してすぐに美咲に謝ろうと思ったが、すんでのところで思いとどまった。

 美咲の部屋のドアを開けると、そこには部屋中を覆いつくすほどの模造紙やダンボールが散乱し、美咲は作業に没頭していた。


 何かが美咲に宿っているようで、碧はしばらくその光景を見ていた。


 美咲は作業していた手元から顔をあげてこちらを見た。

 信じられないような輝く瞳だ。


 キラキラとした眼をして、「お母さん? どうしたの?」という。


 美咲のこんな瞳は見たことがなかった。


 この光を、失わせてはいけない。


 仕事をする女性同士、深く何かが通じた瞬間だった。


――仕事で見つけてあげるべきなのだ。


 碧は「寝不足にならないようにね」と言って、ドアを閉めた。


 美咲の瞳の輝きを思い出してぼんやりと一階ロビーに立ち尽くしている碧に、白河課長が快活に声をかけてきた。


「社長! 聞いてください!」


「白河課長、どうしましたか?」


 いつもよりさらに華やかな笑顔の白河課長が、息を弾ませている。


「今、上から社長が見えたのでまっさきにお伝えしたくて、階段二段飛ばしで降りてきちゃいましたよ」


「まあ……」


「社長、先ほど来年度の大口契約が決まりました。まったくの新規で、うちの商品の提供の仕方も完全に新しいスタイルを先方からご提案いただいて……。これで業績はV字回復できそうですよ!」


「やったじゃない! すごいわ! ありがとう。やっぱり白河課長が、風を吹かせるのね」


「爽やかな風を吹かせるという意味を、ここ数年ずっと考えて実行してきましたが、新規開拓や新しい常識、新しいスタイル、それを模索していくということかなと、ここのところ意識してきていたのです。社長の魔法は、すごいな」


「ふふふ。これからも頼むわね。さあ、具体的に話を聞かせてちょうだい」


 もうだめだと思っていた地の底のような領域から空に舞い上がる龍のように、今みどり食品は這い上がろうとしているのだと碧は感じた。


 それは自分が先導しているのではなく、社員ひとりひとりの良さが発動しながらそれぞれに奇跡を起こし、その奇跡の一つ一つが全体を構成して大きな生命体となって羽ばたくのだと思った。


 細部にていねいを宿すこと、それを神々は見ているのだと確信した。


 2階フロアに上がるとそこには小田桐このはが待ち構えていた。


「あら、小田桐さん」


「碧社長……」


 思いつめたような顔をしている。こうしてこの子に話しかけられるのは初めてだ。


「どうしましたか?」


「碧社長……。私にも、魔法を授けてください」


 顔を真っ赤にしてうつむきながら、小さい声を絞り出すようにこのはが言った。


「あら……」


 碧はこのはの肩に優しく手を置いた。


「そうね、そろそろお伝えしようと思っていたのよ」


 このはが大きく見開いた瞳で見上げる。


「小田桐このはさん。あなたの魔法は、耳を澄ませる、よ」


「耳を澄ませる?」


「そう。誰よりも耳がいいあなたは、誰にも気にならないことが気になる。誰も気づいていないことに気づく。誰にも聞こえない音が聞こえる。だから、もしかしたらストレスを感じることがあるのかもしれないけど、それはあなたがそういう耳を持っているからなのよ」


「確かに、疲れることあります……」


「そうよねえ。でもね、耳を澄ませてほしいの。このみどり食品では、このはさんにしか気づくことができない音があるはずなの。そういう音を、大切にしてほしいの。お願いね」


「はい、わかりました……」


 碧社長は女神のような神々しい表情で「よろしくね」と言って、忙しそうに歩み去っていった。


「耳を澄ませる……」


 そこへ、スニーカーで歩くような音が階段を上がってきた。


 ふと見ると、守衛の銀さんである。


 ツリーづくりやカフェイベントの設営準備で最近忙しそうにしている。


 このははなんとなく銀さんに話しかけてみた。


「お疲れ様です」


「お疲れ様。どうしたんですかい? こんなところに立って……」


「あ、ちょっと今碧社長と話し終わったところで……。あの、銀さん」


「なんだい」


「銀さんも、碧社長から何か魔法を授かっていませんか? ひょっとして」


 銀さんは驚いたような顔をしたが、すぐにまじめな表情になって頷いた。


「そうですなあ。私の魔法はさしずめ、元に戻す、かな」


「元に戻す?」


「私は、この会社を、皆さんの愛用品を、元に戻すというお役目をいただいているようですよ」


 銀さんはそう笑って、仕事へ戻っていった。



***



 それ以来、このはの考え方が少し変化し始めた。


 このははこれまで些細なことが気になってイライラすることが多かった。


 それは自分が耳を澄ませるという魔法をもっているからだと思うと、自分をイライラさせている微細なものたちを、むしろもっと気にしてみたいと思うようになった。


 耳を澄ませると、社内には本当にいろいろな音がしていた。


 黒沢課長の足音。


 氷川主任がティーカップを置く音。


 マリアがスマホを操作する音。


 そこへ、あまり聞きなれない足音がした。 


 振り向いてみると、時田あおいが歩いてくる。


 久しぶりに見るあおいの歩き方は落ち着いており、まるで一国の主のように堂々としている。しかし決して快活なものではない。眉間にしわを寄せて、暗い瞳をしている。


 言葉ははきはきとしていて、前よりも風格のようなものを感じるのだが、以前にほんの少し感じたはしゃいでいるような楽しさがない。深い悲しみを内包しているような気配なのだ。


「お疲れ様です。会議室の寸法測りに来ました。あと、レクリエーションの内容、四店舗の店長と打ち合わせしましたので資料としておいていきます」


 バッグから書類を出して、総務課のメンバーに配り、立ち去ろうとする。


 そのときこのはは何か違和感を感じた。


 何かおかしい。


 いつもしない音がする。


 耳を澄ませると、それはあおいのバッグの中からしていた。


 普段の生活では聞かないような音だ。


 それは、まるで、割れた陶磁器のかけらがぶつかりあっているような音。


「えっ!」


 このはが驚いて立ち上がり、あおいを追いかけた。


「時田さん! ちょっと、その、バッグの中のもの!」


 あおいの眼が曇った。


「時田さん! バッグの中に、マグカップちゃんが入っていますよね!」


「いや、あの……」


 あおいがバッグを抱えるようにしてうろたえた。


「そ、そのマグカップちゃん。割れてません? 直さなくっちゃ、元に戻しましょう!」


「なんで、わかるんですか。でももう無理ですよ、こなごなです」


「無理かどうかなんてわかりませんよね」


「いや、いくらなんでも」


「そのマグカップちゃん、私に預からせてください!」


「へっ」


「元に戻す魔法を、かけてもらいましょう!」

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