第34話 幸せって何ですか

 地下鉄南北線澄川駅を降りると徒歩2分でよりどりぐりーんサウス店だ。


 時田あおいは高まる緊張を感じながらその道のりを歩いていた。


 さっき会社を出るときに、守衛の銀さんが楽しそうに天野碧社長と話していた。


 銀さんは守衛の仕事の傍ら、持ち込まれる社員の靴やバッグを直すことでいつも大忙しだ。そんな銀さんの手つきのあざやかさは、碧社長によって見出されて広められた。


 碧社長は言った。


「私は、社員ひとりひとりが幸せな職場をつくった人として憶えられたい」


 だからこそ、碧社長は、銀さんならではの性質を見出したのだ。


 だからこそ、氷川主任の奥さんがバームクーヘンを好きなことをメモしているのだ。


 碧社長は、社員の幸せに向かって働いているのだ。


 あおいはそのことに思い当たったとき後頭部を何かで殴られたような強い衝撃を感じた。


 そしてずっともやもやしていた「統括の仕事の定義とは?」という問いに、鮮烈な答えが降りてきたように思った。


――よりどりぐりーんの店長たちの幸せ、アルバイトさんたちの幸せ、お客さんたちの幸せ。それが、それが統括の仕事だ!


 その答えはあおいの心を強くした。


 そして確かな足取りで、今、あおいはサウス店の前に到着した。


「いらっしゃいませー」


 いい声だ。肩までの金髪をポニーテールにして束ね、よく日焼けした若い男性が威勢よく声を出している。サウス店でアルバイトをしている学生、たまにシフトで入っている赤塚翔だ。


「あ、お疲れ様です。統括の時田です」


「あー、お疲れ様です。えっと店長ですよね。呼んできますか」


「あ、はい。ええと、アルバイトの赤塚翔さん?」


「お、すげ! 知ってるんすか」


「ご挨拶が遅れまして。四店舗の統括をやっている総務課の時田あおいです。もちろんお名前は知ってるんですけど、初めましてですね。どうですか、仕事の方は?」


「あー、自分、週に一回とかなんであれですけど、けっこうなんか厳しいっすよね」


「厳しい……ですか?」


「あ、いや、これが普通なのかもしれないっすけど、ぜんぶダメ出しされてる感じするときあって……。あれ、すいません、初対面でいきなり。俺何言ってんだろ」


 あおいは今不思議な感覚を味わっていた。その人の幸せに向かって話をするようにしていると、何か扉のようなものが開かれる感触がある。


「言ってくれてありがとうございます。そんな厳しいこと、ないはずなんですが、きっと良かれと思って指導されているのかと思いますが。でもでも、あまりにしんどいようなら教えてください。これ僕の名刺です。さっき、赤塚さんの挨拶、すごくさわやかで気持ちよかったです。この澄川の駅前を、赤塚さんの声が明るくしているなって思いました」


 赤塚翔は照れたように「まじすか」と言ってから、心底嬉しそうに笑い、「店長呼んできます」といってバッグヤードに消えた。


 あおいが商品の陳列などに不具合がないかチェックしているとそこへ江夏店長が現われた。あおいはノートにメモした内容を頭の中で復唱する。


 よりどりぐりーんサウス店店長 江夏洋太(えなつようた)36歳 入社3年目


・前職はスーパーマーケット勤務(副店長まで経験している)

・みどり食品に転職してからずっとサウス店勤務。今年1月から店長職。


前回のヒアリング(7月21日)

・4店舗合同で研修をやってみては?

・キャンプやスポーツなど、店をクローズして会社で研修を企画してほしい。


「おう、来たかあ」


 江夏店長は威勢のいい声をあげて現れた。


「あ、すみません、再度お時間をいただいて」


「おう。あんまり時間ねえけど、いろいろ教えてやっからよ。おい、赤塚! また猫背になってるぞ。しゃっきとせえ、しゃきっと」


 赤塚翔はさっきとはうって変わったようにおどおどした顔になって「すいません」と答えた。


「さあてと、統括さんのご用件なんでしたかね。何でも聞いていいよー」


 あおいは呼吸を整えて、目の前の江夏店長をじっと見た。


――よりどりぐりーんの店長たちの幸せ、アルバイトさんたちの幸せ、お客さんたちの幸せ。それが、それが統括の仕事だ。


「じゃあ、さっそくお聞きしますが……」


 あおいは手帳を開いてヒアリングを開始した。


「はいよ。どうぞ。なになに、前回は課題とかだよね。だから俺言ってんじゃん。だいたいさあ、よりどりぐりーんは横のつながりがなさ過ぎるんだよ。イースト店の春ちゃんはたまに飲みに行くけどよ、ノース店の店長とか、松雪さんだっけ? 全然知らないし、ウエスト店は誰だっけ。俺、琴似に行くことないからなー。今度さ、4店舗合同の研修とかやってみたらいいと思うよ。その日は店を休んでさ。アルバイトもみんなで研修。あ、キャンプとかどう? スポーツ大会とかもめっちゃ仲良くなれると思うなー。俺が統括だったらそういうのどんどんやるけどな」


 どうぞと言いつつ話し出したら止まらないタイプの江夏店長は、持論をとうとうと語り始めた。途切れるまであおいはうなずいてしばらく待った。


 江夏店長が水の入ったグラスを手にした瞬間を狙ってあおいは話した。


「今日はまずお聞きしたいことがあります」


「ん?」


「江夏店長にとって、幸せって何ですか?」


 江夏店長は飲みかけていた水を思わず吹き出した。

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