第10話 時代劇のような営業会議で
月曜の朝がやってきた。
みどり食品では毎週月曜の朝に営業会議がある。
ここ、みどり食品中央センター2階の営業販売課の横にある会議室には、営業販売課の各チームの代表と、営業販売課課長の
「黒さん、おはよう」
白河課長は、ミネラルウォーターを片手に軽やかな足取りでさわやかな風のように現われ、黒沢課長の隣にひらりと座った。
営業販売課の白河課長はすらりと伸びた長身に、ふた昔ぐらい前の男性アイドルを思わせるサラサラヘアで、営業販売課の女子たちからひそかにイケオジと言われている。今日もココアベージュのスーツに淡い水色のシャツを合わせており、さわやかに微笑んでいる。
横の席に座って大判のタオルハンカチで汗を拭いている180センチ108キロの黒沢とは対照的だ。
「白河おつかれ。暑いなあ、今日も」
「さらに暑くなりそうなもの飲んでるからだよ、何それ」
白河課長が黒沢課長のどっしりした茶色い湯呑みを覗き込む。
「あんまし、コーヒー飲むなって」
「これ飲まないとしゃきっとしなくてなあ」
「これいいぞ。さっきコンビニで見た新製品なんだ。いま若い子に人気なんだって」
「白河、いい歳して飲み物まで若づくりかよ」
「こうしてうちの社内にさわやかな風を吹かせているんだ」
「またそれかよ」
同期にはとても見えない二人だ、とあおいは並んだ黒沢課長と白河課長を見てあらためて思う。どう見ても白河課長のほうが10歳くらい若く見える。
この二人は揃って40代後半だ。
40代といえば、みどり食品三代目社長の天野
そこへカツカツと特徴のある歩き方のヒールの音が近づいてきた。
天野碧社長の登場である。
「おはようございます」という言葉がまるで彼女の頭頂部から発せられているかのように会議室内に響く。
部屋の空気がぴりっと引き締まる。
今日の碧社長はうすいグレーのスーツに、赤と白のストライプのブラウス。そして書類やメモを挟んでふくらんでいる真っ赤なシステム手帳を抱えている。そのカツカツという大きな音を立てているのは、ピカピカに磨かれた濃紺のハイヒールだ。9センチはありそうなヒールの高さだ。
そのハイヒールを見て、白河課長が眉を上げて「すげー」とのけぞる。
「社長、今日も凶器のようなハイヒールですね。なんでまたいつもそんな高いヒール履くんですか?」
碧社長は白河課長をじろりと睨むと、「絶縁体」と言った。
「絶縁体?」
「要するに魔よけです。魔物からわが身を守っているんですよ」
「はい? 魔物から?」
白河課長は、肩をすくめて隣の黒沢にささやいた。
「社長になっても相変わらずの魔法少女発言」
隣の黒沢課長はなぜか優しそうな顔で眼を細めて頷いた。
「ああ、久々に聞いた」
今日は月初の月曜日だ。先月の数字の振り返りと、今月の目標数字への読みを確認する。経費関連の説明をするため、月初だけ総務課長も同席する。
黒沢課長はこういうとき、よくあおいを「書記」に駆り出す。営業販売課の会議に出るのはアウェイな感じがするから身内を横に置いておきたいのか、はたまたメモを取るのが苦手なのかはわからないが、なんとなく最近の月初の営業販売会議にはあおいもこうしてはじっこに参加させられている。
あおいは気配を消して、メモの用意をしてスタンバイしている。普段あまり社内にいない碧社長を間近で見られるのは面白い。白河課長も外出しがちであまり接点がないので、イケメンのご尊顔を見るのは興味深い。
しかしけっして声を発して会話をすることはない。自分の存在が誰にも気づかれないことを願うかのように背中を丸くして、メモを取る体勢で会議が始まるのをただ待っている。
会議が始まった。
まずは5月の売上数字の一覧が配られ、取引先順に担当チームの代表が報告をする。
「仕出しチームです。会議・研修の数字は昨年対比でマイナスとなり、この数字になっています」
碧社長が足を組みなおして、「うーん」と配られた紙に見入る。「ずいぶん下がっていますね」と言って、片方の眉をあげて担当者をじっと見る。
「はあ、やはり会議などはリモートのものが増えてきたことと、研修もワンデーでお昼にみなさんで同じ場所でお弁当を食べてというスタイルが減ってきているというような変化が影響しているようです」
「仕出しチームは、この数字の大幅減に対して何かアクションをしているんですか?」
「はい、法人の取引先に対してのフォロー強化策をやっていこうと……」
「フォロー強化策?」
「はい、新しいメニューもできましたので、そちらを持ってご案内に」
碧社長は舞台役者のように十分な間を取って空中を仰いでからため息をついた。
「それじゃ意味ないでしょうよ。時代の変化にキャッチアップできるようなヒントとなる情報を得るためにお客様のところを回るのなら意義があるけれど、メニュー配ってるだけじゃお話になりません。何の目的でどんなことをヒアリングして回るかについてもっと具体的にそして早急に考えてください。そのうえで新しいメニュー構成を考えてそれをお客様にプレゼンしていかなければ、来月もこの数字、いやもっと下がるのは眼に見えています」
「はっ、承知しました」
なんか時代劇のシーンみたいだな、とあおいは思う。「はっ」というのが特に時代劇っぽい。考えるとおかしくて笑いそうになるのでぐっと我慢して下を向く。
次のチームの番だ。
「配達チームです。配達チームの五月数字は昨対微増です」
「微増」、碧社長は唇をとがらせて頬杖をつく。
今月のジェルネイルはラベンダー色のグラデーションだ。碧社長の爪は毎月変化していて、それをチェックするのもあおいのひそやかな楽しみの一つだ。
「微増ねえ。個人のお客様への配達は、在宅勤務の増えた今、人気なんじゃないかと思いますけれど」
「はあ、それがうちの個人の配達先は、オフィス街に集中してまして……。要はその……、個人といっても会社づとめの人達が個別でバイク便に配達依頼をしていただくケースが大半で……。で、それでも微増ということは、やはりその……在宅の方からのご注文が増えてきていることが全体を押し上げる要因となっている印象がありまして……」
「印象、ってあなた」、碧社長の片眉がまた上がる。
担当者は両肩をびくっとさせてからテーブルにつくほど深く、まるで平蜘蛛のように頭を下げる。
「あなたの印象を聞く場じゃないのよ。そもそも全体に数字が微増ってだけじゃ何の情報にもなっていません。このデータじゃ、個人のお客様のどの層がどうなのか拾いきれていないじゃない。微増っていう全体の結果だけ論じてどうするのよ。どこが上がってどこが下がっているかもう少し細かいデータじゃないと検証できないでしょ。大雑把すぎるわ、これじゃ。出し直してください、早急にね」
「はっ」
――ええい、どいつもこいつもなっとらんではないか。次の者、おぬしはどうじゃ。
あおいは心の中で時代劇ごっこをやりながら静かに俯いて書記をする。
そのあとも法人営業の担当者から、各顧客先の5月度の数字や6月以降の読み数字、年間契約の状況等についての報告が続いた。
状況報告についての担当者の発言やそれに対しての碧社長の指示などを、あおいはもらさないようにメモを取っていく。
書記をしているとまるで自分だけがこの場において実在の人物ではないような不思議な感覚になる。集中力が必要な業務でもあり、あおいはロボットになったかのようにとにかく正確にメモをすることだけを心掛ける。
「最後は、よりどりぐりーんです」
碧社長の両方の眉が上がる。
隣の黒沢課長が「ああ、よりどりぐりーんの数字は総務の方で経費の精算の電話ついでに聞いていまして、こちら一覧にしています。四店舗のデータです。オープンした順に並んでいます。サウス店、ノース店、イースト店、ウエスト店の順番です。5月度の商品ごとの売り上げ数字がこちらになります。」
あおいが金曜日の夕方に黒沢課長に頼まれて作った資料だ。
「水道料金だけ、別途ヒアリングしたので別紙を見て下さい」
それもあおいが金曜日の夕方に
碧社長はじっと、よりどりぐりーん四店舗の五月の売上一覧の資料を見つめ、ふと言った。
「どうした、イースト店」
もう一枚の、水道料金の一覧を見てさらに碧社長はもう一度「どうした、イースト店」と言った。
水道料金の一覧と言っても、清野マリアの手書きメモにあった四つの数字をあおいが表にしただけだ。
よりどりぐりーん五月度水道料金一覧
サウス店 \4,147
ノース店 \4,026
イースト店 \16,134
ウエスト店 \3,542
「イースト店だけ、売上数字の増加率が他より低いし、なんだか水道料金がずいぶん多いわね。これ、何があったのか黒沢課長聞いてます?」
黒沢課長は、「はあ、売り上げの方はイースト店の店長と話しまして、ちょっと5月はトラブルが重なったこともありまして、人の入れ替わりとか、クレームとか、ずいぶん続きましたから、実営業時間が減ってしまったという要因が大きいんですわ」と汗を拭きながら話した。
営業販売課は法人営業や個人配達の営業を主に業務としており、市内に四店舗あるよりどりぐりーんについては各店舗の店長がそれぞれ個人商店のような形で日々数字を追いかけている。その店長たちは店舗業務があるため、この会議には出席しない。
よりどりぐりーんとのやりとりは、日頃総務課のメンバーがすることが多いが、横で聞いているあおいはこのイースト店の顛末を黒沢課長がいつの間に知っていたのだろうと驚いた。
そういえばあおいは回ってくる数字を、ただ表にするだけだ。数字の増減の原因までじっくり考えたり、黒沢課長のように把握することはなかった。
きょとんとした顔で聞いているあおいのことを、碧社長がもの言いたげな表情で見ていた。
そこへお菓子を配りに清野マリアが入って来た。今日もピンク色でフリルたっぷりのブラウスを着ている。
「そういうことでイースト店の売上数字が減ったのは理解しました。詳しい状況、あとで教えてくださいね。それにしても水道料金がこんなに上がっているのは不思議ですね」
そういう碧社長に、お菓子を配っていたマリアが「あーそれはですね」と駆け寄って説明した。
「裏口の水道を、近所の男の子が使ってたんですよ。それでその子閉め忘れちゃってんです。もう大丈夫です」
あおいは、清野マリアがイースト店の水道料金が高い理由を正確に把握していたことに、驚いた。
碧社長はマリアに「さすがね」と微笑み、そしてもう一度あおいのことを氷のような冷たい視線で一瞥した。
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