5-2 『溜め息を吐きたくなった』


 汗を拭き取ったハンカチは当初心配していたほどビショビショになることはなく、けれどもやっぱり濡れた箇所が色濃くなって、ハッキリと目につく程度には濡れている。これがすべて私の汗だと思うと恥ずかしくなる。顔から火が噴き出そうだ。

 これを本当にそのまま心春に返すべきか悩む。いっそ新しいものを買って渡したほうがいいんじゃないか、なんてことすら思い浮かぶくらいだ。


「どうしたんですか、真宙さん。あ、もしかして汚れていたんでしょうか……?」


 しばらくジッと汗染みのついたハンカチを眺めて考えているから、心春が心配そうに言う。


「ううん、全然。むしろさっきまではとっても綺麗だったよ。だけど今はほら、私の汗で汚れちゃったから少し恥ずかしくて」


 心配そうにする心春の誤解を解かないといけないからと、観念して私は汗で濡れた面を見せて正直に言うことにした。


 ……だけど心春にはまだハンカチを渡していない。最後の抵抗だった。これで酸っぱい匂いでもハンカチから漂っているとしたら、いよいよ私は首を括る準備をしなくてはいけなくなる。

 やっぱり心春には新品を渡そう、そうしよう。大丈夫、お小遣いならそれなりにある。今まであまり使うことなく貯めてきたお年玉が残っているから、多少の金額なら出せる。

 極めて自然に、違和感のないようにこのハンカチを自分の鞄へと仕舞おう。大丈夫、これくらい大したことじゃない。下半身には未だに着ぐるみを着ているけれど、そんなものはハンデにもなりはしない。

 鞄は離れたところにあるがそれも大したことじゃない。サッと着ぐるみの下半身を脱ぎ捨ててそのまま流れるようにハンカチを鞄へ仕舞う。私なら容易にできることだ。たぶん。


 あれ、そういえばなんでスポーツドリンクがすぐ手に届くところにあったんだろう。……あ、心春か。わざわざ持ってきてくれたんだ。やっぱり心春はよく気がつくな。

 なんか既に負けている気がしてきた。心春を出し抜くなんてこと、本当に人類に可能なんだろうか。いや、諦めてはいけない。戦う前から勝負を捨てていたら可能性はゼロのままだ。


「心春、ありがとう。ハンカチは洗ってからまた今度返ぶっ」

「まともに顔面からいきましたけど大丈夫ですか!?」


 華麗に脱ぎ捨てようとしたら思いっきり転けて顔面を打った。

 だ、ださい! 我ながら、死ぬほどださい! 穴があったら入りたい、いや埋めてほしい。そしてそのまま掘り返さないで。


「まったく、どうしてそんな勢いよく転けたんですか……ほら、鼻血が出てます。シャツについちゃいますから、ハンカチで押さえましょう。真宙さん、貸してください」

「う、でもこれ以上汚すわけには……」

「そんなこと気にしませんからっ。それに、借り物の着ぐるみにまで鼻血をつけちゃうともっと大変ですよ」


 そう言われると何も言い返せない。心春は私の手からハンカチを奪うと、躊躇うことなく私の垂れ出てくる鼻血を拭う。

 ……心春の役に立つどころか、なんだか心春に助けられてばかりな気がする。自分の情けなさに溜め息を吐きたくなった。

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