二十四、土蜘蛛との戦い⑤―ついに決着!勝つのは土蜘蛛か、それとも…!!―
「イワレビコどのッ!イワレビコどのッ!」
スサノオは相変わらず上体を抱き上げられているイワレビコに大声で呼びかける。
それに対して、イワレビコは薄目を開けたままスサノオの方に顔を向け、弱々しい声ではい、と答える。
「…無茶を承知でお願いする。あなたでなければできないことだ」
スサノオはイワレビコの目をまっすぐに見すえながら言う。
「あなたにはこの刀で土蜘蛛に止めを刺していただきたい」
「それは無理ですッ!イワレビコ殿がどんな状態かは父上もわかっておられるでしょうッ!」
オオクニヌシが大声でスサノオとイワレビコの会話に割ってはいる。
「だから無茶を承知で、と言っている。これ以外に手はないのだ。この刀、フツノミタマのほかには我らのいかなる武器もあの化け物には傷一つつけることができん」
スサノオは手に持っている刀をオオクニヌシに示す。
そして今度はオオクニヌシの目を見ながら、諭すように静かに話す。
その様子にスサノオの決意の固さを見て取ったオオクニヌシはむうう、とうめきつつも、スサノオの言葉を受け入れる。
「頼みましたぞッ!」
オオクニヌシを納得させたスサノオは再びイワレビコに呼びかける。
イワレビコはうつろな目でスサノオの顔を見ながら弱々しい声で、はい、と小さくつぶやく。
「ではッ!」
そう言うとスサノオは自らフツノミタマを鞘から抜き、その刀身をイワレビコの右手へと握らせる。
「ナムチよ、イワレビコ殿をなんとか立たせてみてはくれまいか?」
「なっ…?」
それは無理です、という言葉がオオクニヌシの口から出かかった。
だがスサノオの言うとおり、今は非常事態である、無茶でもやるしかない、という思いがオオクニヌシの頭をよぎった。
そしてオオクニヌシは“決心”した。
「…イワレビコ殿、立ち上がっていただきたい」
そう言うと、オオクニヌシはイワレビコの両脇の下から自らの両腕を通して、イワレビコを無理やり立たせるような体勢をとる。
「いいですか、手を離しますぞ?」
そしてイワレビコを支えていた両腕を離す。
「なッ!」
だがオオクニヌシが腕を外した瞬間、イワレビコはふらっ、とよろめく。
これには“無茶”を言ったスサノオすら一瞬慌てる。
「…グッ!」
だがイワレビコは必死に両足を踏ん張って、必死に立ったままの体勢を維持する。
それを見てスサノオたちはほっと胸をなで下ろす。
(しかし…)
スサノオはイワレビコの様子を見て思わず顔をしかめる。
イワレビコは立っていることすらやっとの状態だ。
現に顔面は真っ赤で、全身から滝のような汗が噴き出している。
おそらく相当な高熱におかされているのだろう。
(…これでは立っていること自体がとんでもない苦しみだろう)
“計画”を一刻も早く実行に移さねば!
スサノオは決意を新たにする。
「ナムチよ、貴様にも一仕事やってもらうぞッ!」
「ハッ!」
そしてスサノオは手短にオオクニヌシに“計画”を説明するのだった。
スサノオたちは慎重に、ゆっくりとした足取りで土蜘蛛の背後に回る。
網の右側をスサノオ、左側をオオクニヌシが持っており、網は二つ折りの状態である。
ひとまずの目標は土蜘蛛を網で捕獲することである。
そのためには自分たちの行動が土蜘蛛に気づかれてしまってはまずい。
幸い今のところ土蜘蛛はタヂカラオとの“格闘”に夢中なようでいっこうに気づく気配はない。
スサノオたちが少しずつ土蜘蛛の背後から距離を詰めていくと、一瞬スサノオとタヂカラオの目が合う。
スサノオたちが土蜘蛛の背後にいるため、タヂカラオとは正対している位置関係にある。
スサノオはタヂカラオに身振りで、自分たちの存在を気づかれないようにしろ、という意味のことを伝える。
タヂカラオもその意味を理解し、土蜘蛛にも一切気づかれないほど小さくうなずく。
その胸元には光り輝いている勾玉が。
(…タヂカラオがここまで頑張れているのも“あれ”のおかげか)
タヂカラオは相当に疲れているようで、もう肩で息をしている。
土蜘蛛との“体格差”を考えればそれもやむを得ないことだ。
もっとも土蜘蛛のほうもいまだにタヂカラオを倒せていないのは予想外のことのようで、かなり苛立っている様子が見て取れる。
勾玉の存在がタヂカラオに力を与え、逆に土蜘蛛の方の力を奪っているのだろう。
(…いずれにせよ)
これ以上タヂカラオが消耗してしまえば何が起こるかわからない。
おそらく今の段階でも体力的にはいっぱいいっぱいだろう。
一刻も早くカタをつける必要があるのは間違いない。
(…よしッ、やるぞッ!)
土蜘蛛に気づかれないぎりぎり限界まで近づいたスサノオはタヂカラオに目で“合図”を送る。
そしてその上で“計画”の実行を決断する。
「ナムチ、今だッ!」
スサノオはオオクニヌシと呼吸を合わせて、二つに折りたたんだ網の下側の角を持った状態で、上側の角を投げる。
投げられた角は土蜘蛛の身体全体をすっぽり覆ってしまう。
「タヂカラオーッ!」
スサノオはタヂカラオの名を大声で叫ぶ。
その言葉でスサノオの意図を理解したタヂカラオは素早く土蜘蛛の身体から手を離し、代わりに網の二つの角を握る。
「押さえ込めーッ!」
網の四角の一つをスサノオ、別の一つをオオクニヌシ、残り二つをタヂカラオが持った状態で土蜘蛛の身体を完全に固定する。
「グオオオオッー!」
土蜘蛛は凄まじいうなり声を上げて、身をよじらせて激しく抵抗する。
そのあまりに激しい暴れ方に、スサノオたちは本当にこのまま押さえ込めるのか、と不安になるほどである。
しかし―
「おおッ!」
スサノオはいい意味で予想を裏切られる。
土蜘蛛の荒々しい抵抗を受けても、網を持つスサノオたちの手にその力は意外に伝わらない。
「これはいけるぞッ!」
そのことにスサノオは強い手ごたえを感じる。
(…もっともそれはイタケルの呪力が思いのほか強力だということでもあるがな)
その点だけはスサノオは
(だがいずれにせよ…)
これで土蜘蛛を倒す道が大きく開けた。
「よしッ、このままこの化け物をイワレビコ殿の前まで持っていくぞッ!」
スサノオが大声で指示を出すと、タヂカラオが力強く網を両手でイワレビコのほうへと引っ張っていく。
スサノオとオオクニヌシも網をがっちりと固定しながらそれに続く。
(…よし、これであとは…)
イワレビコがその刀で土蜘蛛に止めを刺しさえすれば全てが終わるはずだ。
スサノオが内心安堵しながら、ふとイワレビコのほうを見た瞬間である。
(…なッ!)
スサノオの顔から血の気が失せる。
イワレビコは片ひざを床につき、刀を両手で杖のように使いながら座り込んでしまっている。
顔は完全に下を向いており、苦しそうに、はあ、はあ、と荒い息をしている。
もはやこの体勢でいることでさえ、精神力だけで保っているのだろう。
おそらくいつ床に倒れこんでしまってもおかしくない。
(…ここまできてこれか…)
イワレビコが刀を振るえないのでは、スサノオたちがここまでやってきた全ての努力が完全に無駄になってしまう。
ここにこぎつけるまでのスサノオたちの労力を思えば、これはあまりにも残酷な現実である。
「イワレビコどのーッ、止めだーッ、止めを刺してくれーッ!」
ついに土蜘蛛をイワレビコの目の前まで引きずっていった直後、スサノオは悲鳴に近い絶叫を上げる。
もはやそれはイワレビコに立ち上がって欲しいという“祈り”に近いものである。
「…う…」
イワレビコがスサノオの叫びに応えるように顔を上げ、かすかに口を開く。
「…ウアアアアーッ!」
その直後、腹の奥からしぼり出すような叫び声と共に、イワレビコはまっすぐに土蜘蛛に向かって跳びかかる。
そしてその全体重を刀に乗せた突きを、土蜘蛛の脳天を貫き通すように見舞う。
「グアアアアアーッ!」
土蜘蛛は身の毛もよだつような、そして今までで一番大きな断末魔の叫び声を上げる。
と同時に、イワレビコは刀をその手から離し、床にばったりと崩れ落ちる。
「イワレビコどのーッ!」
スサノオはイワレビコの名を呼びながら、急いでそのそばに駆け寄る。
「イワレビコどのッ!」
スサノオはうつ伏せに倒れているイワレビコを急いで抱き起こすと、必死に呼びかける。
しかしイワレビコは完全に気を失ったまま、目を開けようとはしない。
「父上、見てください、“あやつ”がッ!」
そのときオオクニヌシがスサノオに呼びかける。
何事かと思ったスサノオが土蜘蛛のいた場所を見ると―。
「なんとッ!」
スサノオも思わずその光景に驚愕する。
土蜘蛛がいたはずの場所には無数の小さな蜘蛛の死骸がある。
「…これがあの化け物の正体か…」
あの巨大な蜘蛛は無数の子蜘蛛の集合体だったというわけか?
なんとも不可思議な“結論”だとスサノオは思う。
そのときである。
「…あ…」
「オオッ、目を覚まされたかッ!」
イワレビコは薄目を開け、スサノオのほうを見る。
「よくぞ頑張られた!あなたのおかげで化け物は退治された!」
「…そうでしたか、…ん…?」
イワレビコは何か違和感を感じているような表情をすると、その直後にガバッと上体を起こす。
「…なんともない…」
そうつぶやくと、イワレビコは両足ですっくと立ち上がってしまう。
「…もう完全に回復されてしまわれたのか?」
スサノオはイワレビコになんの異常も見られないことに驚愕する。
「父上、イワレビコ殿、周りを見てください!」
オオクニヌシは二人に声をかける。
それにうながされる形でスサノオもイワレビコも周囲を見回す。
「…みんな回復している?」
部屋の中では少し前までは倒れて気絶していた者たちが、全員起き上がってきている。
皆酒宴が始まった直後の記憶がすっかり消えてしまっているようで、怪訝そうな表情を浮かべている。
そして互いに近くの者に、一体どうなっているんだ、何が何やらさっぱりわからない、などと語り合っている。
「…あの化け物がくたばったからこうなったというわけか?」
スサノオが傍らにいるオオクニヌシに尋ねる。
「ええ、おそらくは…」
オオクニヌシはスサノオの問いに答える。
「…そう言えば…」
突然オオクニヌシが何かを思い出したようにハッ、とした表情を浮かべながらつぶやく。
「ミナカタの姿が見えませんぞっ!」
「オオッ、確かに!」
オオクニヌシの言葉に同意したスサノオは改めて周囲を確認してみる。
しかしいくら部屋の中に入る者たちの顔を確かめてみても、ミナカタらしき者は影も形も見当たらない。
「…確かあやつは酒宴の途中で外に出たのではありませんでしたか?」
「うむ、そうであった」
スサノオとオオクニヌシはミナカタに関する記憶をたどってみる。
「…あとウズメ殿の姿も見えません」
「ウズメ殿にはミナカタが屋敷を出てしばらくあとにミナカタを探しに行ってもらっていたのだ。何しろそのときは誰かさんが酒を飲んですっかり寝入っていたものでな」
スサノオの言葉にオオクニヌシはううむ、とうなりながら顔をしかめる。
「…どうしたものか…」
スサノオはそんなオオクニヌシを無視しながら、そうつぶやく。
そして改めて部屋の中の様子を見回してみる。
土蜘蛛はもはや完全に死滅したものと思われ、大勢の死骸の子蜘蛛もいっこうに動く気配もない。
さらにイワレビコとタヂカラオも含めて、特に異常がありそうな者も見当たらない。
「…よし、ナムチよ、貴様は一応部屋の者たちに何かおかしなことはないか、一人一人確認してみてくれ」
「はい、それでは父上が?」
「うむ、このスサノオが“あやつら”を探しに行く」
「ではそれで行きましょう」
スサノオとオオクニヌシはそれぞれ自らのやるべきことを確認しあう。
そうしてスサノオは屋敷の外へと飛び出していくのだった。
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