十二、ヤマトへ①―“サルメノキミ”の正体とは?そしてこの者を残すべきなのか!?―

「なぜここに来たッ!」


 サルタヒコは怒りに満ちた調子で声を荒げる。

 それは普段の冷静沈着なサルタヒコからは想像できないほどの激しさである。


「…それは…」

「高天原でお前がここに来ることには反対したはずだぞッ!」


 サルタヒコは口ごもる“サルメノキミ”を厳しく問い詰める。

 ここは先ほどの戦場から少し離れた森の中。

 まだ戦いが終わってからからそう時間は経っていない。

 他の者たちは死者の埋葬やけが人の手当てなどに追われている。

 ゆえに密かに森の中へと連れ立って入っていったサルタヒコたちに気づくものはいなかった。


「…た、確かにあなたに黙ってここに来たことは悪かったと思っているわ。でも…」


“サルメノキミ”はサルタヒコの剣幕に気おされた様子を見せながらも、何事かを訴えるかのような目でサルタヒコの方を見つめながら話す。


「でも、なんだッ!」

「さっきの私の戦いぶりを見たでしょう!私はこの戦いであなたを助けたし、十分通用した、戦えたわッ!」

「それはたまたま自分がそばにいたからだッ!」

「…そんなことは…」

「いい加減にしろッ!」


 サルタヒコはいっそう大きな声を出して“サルメノキミ”の言葉を否定する。


「ここは戦場だッ!命のやり取りをするところだッ!いつ殺されたって文句を言えないんだぞッ!」


 サルタヒコはさらにまくし立てる。


「…だ、だって今回はミカヅチが参加していないでしょう?だったら誰か代わりをする者が必要…」

「お前にミカヅチの代わりができるとでもいうのかッ!馬鹿も休み休み言えッ!」


 サルタヒコは再び“サルメノキミ”の言葉を強く打ち消す。


「お願い分かってッ!私あなたの帰りをただ待っているだけなんて嫌だわッ!」


“サルメノキミ”はサルタヒコに必死に訴える。


「…もういい加減自分を困らせるのは止めてくれないか…」


 ついにサルタヒコは頭を抱えながらうめくように言う。

 その表情には苦悶の色が浮かんでいる。


「…いやいや、まさか“そなた”が正体だったとはなあ…」


 突然の話し声に、サルタヒコたちは驚いて声がした方向を向く。

 両者の視線の先には木の陰からひょっこり現れたスサノオの姿が。


「…久しいなあ、アメノウズメ殿…」


 スサノオは軽く右手を上げてサルメノキミ”にあいさつしつつ、二人のすぐそばまで歩いてくる。

 ウズメは仮面を頭の上に上げているため、その素顔は完全にさらされている。


「…いやあ、本来なら兄君を失って打ちひしがれているイワレビコ殿のそばにいなければならないかもしれぬのだが…」


 スサノオはひょうひょうとした調子で話し始める。


「…何しろおぬしたちが森に入っていくのをたまたま見てしまったものでなあ、イワレビコ殿のことはナムチに託してここまでやって来たというわけじゃあ…」


 そう言うと、スサノオはニヤリと口元を歪める。


「…それにしてもサルタヒコよ…」


 唐突にスサノオはサルタヒコの方を見ながら話を振る。


「…なんです?」


 サルタヒコは怪訝そうな顔をしながらスサノオに問い返す。


「…このスサノオ、ずいぶん前からここにいておぬしたちの話を聞いていたんだが、貴様はいっこうに気づく様子がなかったなあ…」

「…な、何が言いたいのです?」


 サルタヒコは相変わらずいぶかしげな表情を浮かべながらスサノオに尋ねる。


「…いや、貴様は普段から常に周りのことがしっかり見えているとばかり思っていたのだがなあ。やはり高天原にいるはずの妻が突然自分の目の前に現れたとなると、さしものサルタヒコといえども冷静さを失うものなのかと…」


 スサノオはサルタヒコの顔を見ながら再びニヤリと笑う。


「…あ、あなたは私をおちょくっているのか!」


 サルタヒコは不快感をあらわにしながら激高する。


「…フッ、いやいやすまん。貴様を馬鹿にするつもりは毛頭ないのだ。ただいつも生真面目すぎる貴様がこれほど怒るというのが珍しいと思ってなあ」

「このサルタヒコにも腹にすえかねることくらいはあるッ!」


 サルタヒコは相変わらずひょうひょうとした調子で語るスサノオに、怒りをにじませながら言う。


「…ハハッ、いやあ、周りの者を怒らせるつもりはないのだがいつの間にやら怒らせてしまう。このスサノオの昔からの悪い癖というヤツだなあ。まあ要するにこのスサノオが言いたいことというのはだ―」


 スサノオはサルタヒコに目をしっかりと見すえながら言う。

 すでにその顔から笑みは完全に消えている。


「―ウズメ殿の話も聞いてやったらどうか、ということだ。先ほどまでの話を聞く限り、貴様はあまりにも頭ごなしにウズメ殿のことを否定しているように感じられるが…」

「こやつは私のみならず、アマテラス様以下高天原の誰にも知らせることなく黙ってここまで来たのですぞッ!そんな者の言葉を聞けるわけがないでしょうッ!そのことをあなたはどう思われているのかッ!」


 サルタヒコは再び興奮の度合いを高めながらスサノオに食ってかかる。


「…まあ、褒められたことではないな…」

「…そうでしょう!だったら…」

「ウズメ殿を高天原に追い返すというわけか?」

「そうですッ!」


 サルタヒコはスサノオに詰め寄り、追及するかのように話す。

 対するスサノオは両腕を組みながら冷静に話す。


「しかしそれは貴様のみで決めることではないのではないかな?」


 スサノオの言葉にサルタヒコは絶句する。


「…だが…」

「…このスサノオが決めることでもない、だろう?」


 スサノオはサルタヒコの言葉を途中でさえぎって喋る。

 サルタヒコはこのスサノオの言葉にも何も言えない。


「…よし、ならばこうしよう」


 そう言うと、スサノオは自分の“考え”を披露し始める。


「まずこの場に主だった者たちを集め、その上でウズメ殿をここに残すか高天原に戻すかを決める。これなら異存はあるまい?」


 スサノオは自らの“考え”を述べると、その気持ちを確認するようにサルタヒコの方に視線を移す。


「…い、いいでしょう…」


 サルタヒコは一瞬躊躇するような様子を見せるが、結局スサノオの提案に同意する。


「よしっ、決まりだ!どのような結論が出ようが文句だけは言うなよ?」


 スサノオはそう言ったあと、再びその意思を確かめるようにサルタヒコの顔を見る。


「…分かりました」


 サルタヒコはスサノオの方を見ることはなく、下を向きながらつぶやくように言う。

 それらの二人のやり取りをウズメはただ黙って見つめているのだった。



「…うむ、五人いるから確実に“結論”が出るな」


 スサノオは集まった者たちの顔ぶれを見ながら満足げにうなずく。

 話し合いの場にはスサノオ、サルタヒコ、ウズメに加えてタヂカラオ、ミナカタ、スクナビコナも加えた六名が集まっている。


 スサノオとサルタヒコは“今後の方針”が決まったあとウズメをその場に待たせて、いったん森を出て他の者たちを探しに行った。

 そしてオオクニヌシのけが人の治療を手伝っているスクナビコナ、死者の埋葬作業を手伝っているタヂカラオとミナカタをそれぞれに見つけた。

 そうしてウズメの待つ場所までいっしょに戻ってきたのである。

 こうしてイツセの死にいまだに打ちひしがれているイワレビコと、そのイワレビコの見守りとけが人の治療に忙殺されているオオクニヌシを除く主だった者たちが、森の中に集合したのである。


「まずはウズメ殿にどうやってここまで来たのかを詳しく説明してもらおうか」


 スサノオにうながされたウズメが高天原からここに来るまでのことを話し始める。

 身につけている男物の服とサルタヒコの顔に似せた面は高天原で用意した物であること。

 高天原から出るときはミナカタとスクナビコナに協力してもらい、荷を運ぶためのつづらに身を隠したこと。

 その後も舟の中にいるときはミナカタとスクナビコナの世話になりながらここまで来たこと。

 そして最後に皆に無断でここまで来たことを謝り、今後もここに残って行動を共にしたい、という希望を述べて、ウズメは話を終えた。


 そのあとスサノオが、本当にウズメが高天原の者たちに無断で地上に行くことに協力したのかを、ミナカタとスクナビコナに確認した。

 すると両者ともすぐにそのことが事実であることを認めた。


 その上でスサノオは他の者たちの顔を見回しながら口を開いた。


「…さて、ウズメ殿をここに残すべきか否か、誰でもいい、思うところを存分に述べてみよ」

「はーい!はーい!」


 ミナカタの腰ひもと服の間に挟まっているスクナビコナがすぐに両手を上げながら大声で叫ぶ。


「…ほう、貴様か。よし、申してみよ」

「よっしゃッ、僕が一番ッ!」


 スクナビコナはスサノオが誰よりも先に自分を“指名”したことに大喜びする。


「僕はウズメを残すことに大賛成だなッ!」


 スクナビコナは満面の笑みを浮かべながら言う。


「…ふむ、理由はなんだ?」


 スサノオが話の続きをうながし、それに答える形でスクナビコナが再び喋り始める。


「…だってさー、本人が残りたいって言ってるんでしょー。それを返しちゃったらかわいそうだよー。あとウズメは鬼と十分戦えるくらい強いんでしょー。だったらいっしょに戦ってもらった方が良いに決まってるよー。っていうかなんでウズメを送り返すとかそういう話になってるのー。全然意味が分からないんだけどー。あと僕はウズメのことが好きだっていうのも残って欲しい理由だよねー。あとは…」

「…もういい!貴様が言いたいことは大体分かった」


 なおも話し続けようとするスクナビコナをスサノオは強引に止める。


「つまり貴様はウズメをここに残すことに賛成だということだな」

「そういうことッ!」


 スクナビコナは白い歯を見せてニカッ、と笑いながらスサノオの言葉に答える。


「…よし、他には?」


 スサノオはうなずいたあと、再び辺りを見回しながら話を続ける。


「俺もウズメさんは残すべきだと思う」

「ほう」


 次にミナカタが口を開き、さらにスサノオたちに対して話し続ける。


「理由は大体スクナといっしょだ。今日ウズメさんが戦っている様子は少ししか見なかったけど十分やつらに通用してる感じだった。あれだけやれるならここに残るのに反対する理由なんてないよ」


 ミナカタはしっかりとした口調で喋る。


「…よし、これでウズメ殿が残る方に二名…」

「お待ちくださいッ!」


 サルタヒコがスサノオに割って入る形で口を開く。


「ほう、貴様か。いいぞ、申してみよ」


「そちらの二人はウズメがここに来るのに協力した者たちではありませんかッ!そんな―」

「―者たちにこのことに意見を言う資格はない、と?」


 スサノオはサルタヒコの意見を“先回り”する形で喋る。

 その目はサルタヒコの目をしっかりと見すえている。


「…そ、そこまでは…」


 サルタヒコはとたんに歯切れを悪くしながら小声でつぶやくように言う。


「…ふむ、どうやら貴様には何がなんでもウズメ殿を高天原に返したい理由があるようだな。まずはその理由を話してもらおうか?」


 しばらくサルタヒコの意図を探るようにその目を見ていたスサノオは、やがて口を開く。


「返したい理由?そんなの当たり前でしょうッ!これは戦争ですッ!殺し合いが行われますッ!そんな場所に女性がいていいはずがないでしょうッ!」


 サルタヒコが再び興奮した様子でまくし立てる。


「…これは戦争か。…まあ、間違ってはいないな」

「そうでしょうッ!でしたら…」

「おっ、と!続きを喋る前にひとまずこのスサノオの意見を聞いてもらおうかなあ」


 スサノオは相変わらず興奮しているサルタヒコに対して待て、と言いたげに右手を前に出だすしぐさをする。

 そしてなだめるような口調で言う。


「このスサノオもウズメ殿を残すのに賛成だな」

「なっ!」


 スサノオの言葉にサルタヒコは絶句する。


「理由は簡単だ。今の我々には戦力が明らかに足りない。現に先ほどの戦いでは敵に完敗した。戦える者が一人でも必要なのだ。すでにミナカタも申したようにウズメ殿には十分戦う力がある。ならばここに残ることは理にかなっている」


 スサノオは自説をよどみなくとうとうと述べる。


「…クッ、しかしだからといってウズメを…」


 サルタヒコはなおもスサノオに対して反論しようとする。


「…ならば聞くが…」


 スサノオはサルタヒコの方を鋭い目つきで見ながら言う。


「今の我が軍の状態で再び先ほどの鬼共と戦っても勝てると貴様は自信を持って言えるのか?」

「…そ、それは…」


 スサノオの言葉に対してサルタヒコは再び何も言えなくなる。


「…わ、…私は…」


 サルタヒコはがっくりと肩を落としながら、つぶやくような小声で言う。


「…心配なんだ、…ウズメのことが、…本当に…」


 サルタヒコは下を向きながらうめくように続ける。

 その大きな背中はすっかり丸まって小さくなってしまっている。


「…ふむ、まあ貴様の気持ちも全く理解できないわけではないがな…」


 スサノオはその厳しい表情をいくらか緩めながら言う。


「…貴様も頭では分かっているように戦いでは何が起こるかわからん。ゆえにウズメ殿の命も保証はできん。だが我らもウズメ殿を守るための最大限の努力はしよう!それでいいだろう?」


 そう言いながらスサノオはミナカタとスクナビコナの方を見る。


「もっちろん!」

「当然だな!」


 両者共に満面の笑みを浮かべながらスサノオの言葉に同意する。


「…よし、これで決ま…」


 スサノオは何事かを言いかけて、突然途中で止めてしまう。


「…すっかり忘れていた」


 そうつぶやきながら、スサノオは苦笑する。

 そして“ある者”の方に視線を移し、言う。


「…何か言いたいことがあるなら言ってくれてかまわんぞ。もっとももうウズメ殿が残るほうに賛成の者が三名いるから今さらこの決定は覆らんがな」


 その視線の先には“ある者”ことタヂカラオの姿が。


「いや、ない」


 タヂカラオは首を左右に振りながら答える。


「オオッ、とうとう貴様が喋るところを初めて…」


 スサノオは再び話すのを途中で止めてしまう。

 そんなスサノオの様子をタヂカラオは無言のままじっと見ている。


「…いやいや、すまなかったなあ…」


 スサノオは再び苦笑いを浮かべながらタヂカラオに謝る。


「…よしッ、今度こそ決まりだッ!」


 スサノオはそう宣言しながら、ウズメのほうを見てニヤリと笑う。


「…じゃあッ!」


 それまでずっと緊張した様子でジッと話し合いの様子を見守っていたウズメの表情がパッ、と明るくなる。


「やったーッ!」

「よしッ!」


 そんなウズメの様子を見て、スクナビコナとミナカタも我がことのように喜ぶのだった。

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