6-9 みつけた



 金華きんかから南下し、本来なら数日険しい道を歩けば、高い岩壁に囲まれた要塞、光焔こうえんの地である。


 光明こうめいは霊力など気にすることなく空の道を進んでいた。大量に霊力を消耗するため、普通は歩ける道なら歩くのが基本である。だが姮娥こうがの一族の直系が使える能力は『重力』を自在に操れるというもので、その応用で空を飛べば通常の半分は霊力を抑えられるのだ。


 朝を待つ余裕はなかった。


(さすがに、そろそろ限界か)


 休みなく霊力を使い続けたため、光明こうめいはその限界を感じて力が尽きる前に地面へと降り立った。あと半日走れば辿り着くという所まで来ていた。


 そのまま足場の悪い崖を駆ける。光焔こうえんの地は、崖や岩場が多く、時折その隙間から伸びた細い木や花が覗き、趣がある光景が広がっていた。途中、大きな川や泉はないが、小川や綺麗な湧き水が出る場所が点在しているようだった。


 の一族の直系の能力は炎を操ることができ、比較的多くの者がその能力を所有している。故に、宗主になる者は一族の中で一番強い者でなければならず、常に争っているのだという。殺し合いという血生臭いものではなく、決闘というのが正しいだろうか。とにかく、血の気の多い者が多いのだ。


 宗主になっても、短い者だと一年で入れ替わるらしい。不正や卑怯な手は一切認められず、完全実力主義の一族と言える。だが統治的なことに関しては三人の老師たちが行っており、宗主は派手な飾りのようなものだった。


 光焔こうえんは高い岩壁に囲まれていると言ったが、それは山が大きく陥没してできた盆地の中にあるからそう見えるだけで、実際は窪んだ大地に都が造られているのだ。


 もともとこの地だけ季節を通して常にあたたかく、夏ともなれば非常に暑い場所。そんな場所にわざわざ都を置いたのは、その盆地のさらに下の方に朱雀の堂が造られているからだった。


 地面を隔てたそのずっと下には溶岩が流れているらしく、朱雀の堂がある場所も、神子みこか一族の直系以外はまず行けないだろう。


 黎明れいめいだった頃も、朱雀の契約時はの一族の宗主が付き添っていた。華守はなもりでもそこへ行くのは不可能なため、ただ待っている事しかできなかったのを憶えている。


 夕方過ぎから半日走り続けた甲斐もあり、なんとか明け方に辿り着けた。太陽が昇り始め、岩壁の隙間から光が射し込む。


 その眩しさに思わず半分瞼を閉じる。その先の藍色と青と橙が、光と交じり合った空の果てに、光明こうめいは目が覚めるようだった。


 そんな中、突然どこからか湧いて来たのは、上級の妖鬼たちだった。もうすぐ完全に朝が来るというのに、平気な顔で光明こうめいを囲むように五体の妖鬼が迫って来たのだ。


「言った通りだろう? 上玉だって」


 上級の妖鬼は人に近い姿をしているが、耳が尖っていたり、牙があったり、どこか不自然な容姿をしているのが特徴であった。だがその能力はそれぞれで、並みの術士ではかなり手こずる相手でもある。


 普段の光明こうめいならば一撃で倒せただろうが、運が悪いことに今は霊力も体力も消耗しすぎたため、霊剣すら出せそうになかった。


 頬にひと筋の汗がつたう。


「ちょっと待て。可愛い顔をしているが、こいつは男だぞ」


「どっちでもいいさ。その恰好は術士じゃなくて、公子だろう? しかも姮娥こうがの公子······おいおい、もしかして、例の公子か?」


 妖鬼たちはにやにやと笑って、光明こうめいを下から上まで舐めるような眼で見てくる。例の公子、と妖鬼が口にしたのは、光明こうめいが彼らの間でどんな存在かを表していた。


「女より美しく、五大一族の中で一番強いと謳われている、姮娥こうが光明こうめい公子様じゃねぇかっ」


「こんな所で出会えるとはな。しかもなんでか霊力が塵みてぇな状態ときた。俺たちは運が良いぜ。こいつを殺して喰らえば、俺たちも特級の鬼になれるかもよ?」


 ゆっくりと詰め寄って来る妖鬼たちに、光明こうめいは不敵な笑みを浮かべる。舐められたものだ、と。


(使える霊力はわずかだが······、)


 やるぞ! という号令と共に、一斉に飛び掛かって来た妖鬼たちに対して、光明こうめいはゆらりと流れるような動きで次々に繰り出される鋭い爪を躱し、受け流すと同時に突きや蹴りで応戦する。五体の内三体の妖鬼が吹っ飛ばされて、それぞれ近くの大きな岩に激突していた。


「くっそ! 誰だよ、霊力が塵だとか言った奴!」


「う、うるせぇっ!」


 いててて、と頭を押さえながら吹っ飛ばされた妖鬼たちも起き上がる。仮にも上級の妖鬼。


 体術だけではさすがに倒せないとは解っていたが、思いの外頑丈な者たちのようだ。光明こうめいはぐっと拳を握り締める。長引けば長引くほど不利になるだろう。


(焦って先の事を考えずに動いたのが仇となったか······)


 目と鼻の先にある都だが、近くに術士もいなそうだ。このまま妖鬼を引き連れて都に入るわけにもいかない。


「これでもくらえっ!」


 一体の妖鬼がなにかを投げて来た。それを反射的に弾いた途端、光明こうめいの目の前で割れ、薄紫色の煙を放った。咄嗟に袖で口を押さえたが、煙を浴びた光明こうめいの視界が真っ暗になり、光が失われる。妖鬼たちの声だけがその場に響き渡っていた。


「よくやった! その煙を浴びたら四半刻しはんときは視界が戻らないぜ!大人しく俺たちに殺されろっ」


 油断していたわけではないが、姑息すぎるその手に光明こうめいは思わず舌打ちをしていた。普段なら視界が暗かろうが、正直なんの問題もない。ただ、今の状況に関しては非常に良くない事だけは確かだった。


 地面の足音は微か。じりじりとにじり寄ってきているのが解る。こんなことで自分の目的が果たされないなど、あってはならない事だった。


「今度こそ仕留めるぞ!」


 五体が再び一斉に飛び掛かろうと地面を蹴ったその時だった。


 奇妙な笛の音が辺りに鳴り響く。


 その瞬間、妖鬼の身体が内側から破裂でもしたかのように、ばらばらに弾け飛んだ。


 驚いた顔のまま、地面に転がっていく頭。原型を留めていない肉片。飛び散った黒い血。その醜悪な臭いに、光明こうめいは見えずともどんな凄惨な光景が広がっているかを感じ取る。


「やりすぎたか。加減が難しいな、この邪曲は」


 軽く弾むような声音で目の前に広がる光景を眺め、先の方に琥珀の玉飾りが付いた黒竹の横笛を、くるくると指先で回しながらその者は呟く。


「大丈夫だった? あいつらは全部始末しといたから、安心して帰るといいよ、可愛いお嬢さん」


 光明こうめいは見えない眼でその声の主の方を振り向く。

 その声音は、間違いなく。

 間違えようのない、者の声。


「······逢魔おうま?」


 名を呼ぶ。手を伸ばす。当てもなく伸ばされたその手を、少し震えている冷たい指先が恐る恐る触れて来た。その手を離さないように強く握りしめる。


「やっと、みつけた」


 太陽が完全に姿を現し、気付けばふたりの頭上には、透けるような青い空が広がっていた。



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