04
おねえさんはいつになく近い場所に立っている。環さんは私の方――というかたぶんおねえさんの方に顔を向けていたけれど、急にふっと力を抜いたように横を向いた。
「……すみません、葵さん。もうちょっと自己紹介させていただいてもいいですか?」
環さんは自分のことを「よみご」だと言った。聞いたことのない言葉だった。
「お祖母さまの出身地特有のもので、目の見えない人間がなると決まっています。あちらではけっこうメジャーなんですよ。地鎮祭とか赤ちゃんが産まれたときとか、何かと呼ばれるんです」
環さんはそんなふうに説明してくれた。そこに、おばあちゃんが麦茶を入れたグラスとようかんののったお皿を三セット、お盆にのせて運んできた。
「すみません」
「いえいえ」おばあちゃんは環さんを――というか、たぶんよみごの人を大事にしているんだろう。にこにこしながら環さんの前にコップとお皿を起き、「わかります? 場所」と聞いた。
「ええ、音で。ありがとうございます」
環さんの細い指がテーブルの上を動いて、すぐグラスにコツンと当たった。
「環さん、今日は急にどうされたんですか? わざわざ遠くから……」
「突然申し訳ありません。妹尾の使いで参りました。妹尾はもう高齢で、遠出が辛くなってきましたので」
「まぁ、あの先生がねぇ……」
どうやらおばあちゃんが「先生」と呼んでいたのは、環さんが「妹尾さん」と呼ぶ人のようだ。お年寄りだっていうなら、おばあちゃんと付き合いが長そうなのもうなずける。確か環さんは自分のことを「先生の後輩みたいなもの」と言っていた。ということは、妹尾さんもよみごさんなのだろうか。
「山津さ……いえ、町田さん」環さんはおばあちゃんの旧姓を呼びそうになって、すぐに言い直した。「ちょっと二人でお話できないでしょうか?」
「あら、葵がなにか?」
「いえ、葵さんはとても感じのいいお嬢さんですね。しっかりしていて、頭のいい方だと思います」
微妙な自己紹介しかできていないのにほめられたので、うれしくないわけじゃないけどムズムズする。おばあちゃんはうれしそうにお礼を言った。
「あら、ありがとうございます。あたしが言うのもなんですけど、葵は……」
自慢話になりかけたのをぴしゃりとさえぎって、環さんは、
「ですから、いきなり何もかもお話するのは酷だろうと思います」
と言った。
「はい?」
「町田さんと二人で、お話をさせていただいてもよろしいでしょうか」
環さんはゆずらない。何の話をするのか気になるけど、環さんの声はすごく真剣で、言うことを聞かないといけない気がした。
「じゃあ私、リビングに戻ってるから」
そう言って立ち上がると、環さんは私の方をきちんと向いて「すみません」と頭を下げた。
おねえさんはいつのまにかいなくなっていた。いつものことだ。
リビングに戻ると、茜がテーブルの上に宿題を広げていた。
「お姉ちゃん、お客さんだれだった?」
「おばあちゃんの知り合いっぽい。なんか、先生の後輩さんだって」
「先生って、おばあちゃんが拝んだりしてるやつ?」
「みたい。でも、思ってたより怪しい感じじゃなかったよ」
「えー、でもわかんなくない?」茜がくちびるを尖らせる。「ツボとか売られそうだったら警察よばなきゃ」
「ははは」
茜のおおげさな感じが面白くて、つい笑ってしまった。でもまぁ、茜の言うとおりかもしれない。ちょっと会っただけの環さんを、あんまり信用しない方がいいのかもしれない。
そんなことをしていたから、私は客間でどんなことを話していたのか知らない。しばらくすると客間の方から、足音とふたりの声が聞こえてきた。
「どうにかなりませんか。本当に、妹尾さんにお聞きしても」
「申し訳ありません。わたしどもにはこれ以上どうもいたしかねます」
リビングのドアを開けると、環さんが玄関で靴をはいているところだった。わたしに気づいたのか、環さんはこちらを一度ふり返った。それからやっぱりどこかが痛いみたいな顔をして、ぺこりと頭をさげた。
おばあちゃんが引きとめようとするのをさえぎって、環さんは「失礼いたします」と言いながら深くおじぎをした。そして、白杖をカンカンと鳴らしながら外に出て行った。
何がなんだかわからない。私と茜は顔を見合わせた。おばあちゃんは環さんがいなくなった玄関先で、ぺたんと座り込んでしまった。
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