03

 ぱたぱたと足音をたてて、おばあちゃんが廊下を歩いていった。少しして玄関の方から「あら、もしかして」という声がした。

「先生の……あの、妹尾せのおさんのことですけど」

「はい、タマキと申します。お初にお目にかかります」

 廊下の角からそっと覗いてみると、玄関に女の人が立っていた。

 全然見たことがない人だった。多岐川先生と同じくらいの年齢くらいだろうか? すっきりとしたショートヘアで、半袖の黒いブラウスに黒いスカートを履いている。手には細長くて白い棒みたいなものを持っていた。白杖だ、と思った。授業で見たおぼえがある。視覚障害のある人が持つ杖。よく見ると女の人はしっかり両目を閉じていて、この人は目が見えないんじゃないかと私はようやく気づいた。

 おばあちゃんはさっき「先生の」って言っていた。この人が先生だとすればちょっと若すぎる。たぶん先生の助手とか、娘さんとか、そういう人なんじゃないかなと思った。

 そのとき、タマキさんという人の顔が私の方を向いた。まぶたはきっちりと閉じられている。なのに、たぶん見えないはずのタマキさんの目に、なぜかじっと見られているような気分になった。

 タマキさんは私の方を見ると、どこかが痛むような顔になって、眉をぎゅっとよせた。すっきりした顔立ちの、きれいな人だと思った。黒ずくめのシンプルな格好もよく似合っていた。

 おばあちゃんがこっちを振り返って「あら、葵ってば」と言った。

「何やってるのそんなとこで。ちゃんとご挨拶なさい。この方、お札をくださる先生のお仕事仲間で、たまきさんとおっしゃる方よ」

 環境の「環」と書いてタマキと読むのだと、このとき私は初めて知った。


 環さんを客間に案内すると、おばあちゃんは私に「お茶を持ってくるから、ちょっとお話してて」と言った。

「少しお話があってうかがっただけですから、おかまいなく」と環さんが言うのも聞かず、さっさとキッチンの方に向かってしまう。

 初対面の人、それも全然知らない大人と話せと言われても困る。と、環さんは私の気持ちを汲んだみたいに、「もう少しちゃんと自己紹介しましょうか」と言ってくれた。

「改めまして、環芙美子ふみこといいます。葵さんのお名前は、お祖母さまから伺っています」

 お祖母さま、なんて言われると、なんだか知らない人の話をされてるみたいだ。でもおばあちゃん、私のことをどういう風に教えているんだろう?

「お察しのとおり、全然目が見えません」

 環さんはほっそりした指で、自分の目元をちょんちょんとさわって続けた。

「お祖母さまの出身地で、その地特有の――何て言うのがいいんでしょう、拝み屋をやっています。厄除けとかお祓いとか、そういうことをするんです。お祖母さまが『先生』と呼んでいる人の……そうですね、後輩みたいなものです」

「は、はい」

 初対面の人、ということもあるけど、なんだかドキドキしてしまう。環さんはすごくピシッとした雰囲気の人だった。前に従姉の結婚式に出たとき、大きくてきれいなホテルに行ったけど、そこのスタッフの人ってみんなこんな感じだった気がする。つい見とれて、自分の自己紹介がすんでいないことに気づくのが遅れてしまった。

「えーと、私、町田葵です。しょ、小学五年生です。よろしくお願いします」

 そう言って頭を下げた。環さんはそもそも私の名前を知ってるわけだし、これだけで終わっちゃうのはかっこ悪い気がするけど、ほかに何も言うことがない……だまっていると、環さんがまた眉をぎゅっと寄せた。

「葵さんも感じますか?」

「は、えっと、何をですか?」

「いやな匂いがしませんか?」

 目が見えないはずなのに、環さんは私の方にじっと顔を向けている。声で位置がわかるのかな……と思いかけて、私は自分のすぐ後ろにおねえさんが立っていることに気づいた。

 環さんに言われたせいだろうか、あのいやな匂いがぷんと鼻をついた。

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