第4話

 汚物だらけの顔をトイレで洗うと、僕は駅長室に戻った。

 奥の部屋のソファに、須崎と名乗った男と、少女が坐っていた。

「どういうことなんです?」

 対面に腰かけるなり、たずねた。

「この街は初めてなのか」

 須崎が煙草に火をつけて、逆に訊いてきた。

「なら、知らなくてもしかたないな」

「何をです?」

「この青葉台市は、犯罪発生率、児童虐待の通報、いじめの件数、すべてがゼロだ。なぜだと思う?」

「それは・・・警察が有能だとか、住民の意識が高いとか、色々な要因が・・」

「違うね」

 須崎が煙を吐き出した。

「警官の数はほかの市に比べて特別多くはない。住民も、さっき君が見た通りだ。別段、高潔な人物ばかりがそろっているわけではない」

「じゃあ、なぜ・・・?」

「この子たちがいるからだよ」

 少女のほうに視線を向ける。

 注意を向けられ、少女がうれしそうににっこりする。

 引き裂かれた服の上から、須崎が持ってきたコートを着込んでいた。

「性犯罪防止用”人間もどき”、『いろはノイド』だ」

「いろはノイド?」

「いろはにほへどちりぬるを」

 少女が歌うようにいった。

「の、『イロハ』なのです」

「iPS細胞を培養して作成されたクローン人間だよ。だから彼女たちには親も兄弟もいない。もちろん、ヒトではないから、基本的人権とも無縁だ」

「クローン、人間?」

「この街の住人たちのパトスをすべて吸収する、一種の緩衝装置のようなものさ。ここでは全住民の健康を、ケータイを通してモニターしている。パトス値が危険域に達する前に、いろはノイドを出動させるんだ」

「そんな、むちゃくちゃな・・・」

 僕は怒りが湧き上がるのを覚えずにはいられなかった。

「いくらクローンだからって、そんな非人間的なことを・・・」

「非人間に、緋人間的な仕事をさせるんだ。間違ってはいないと思うが」

「彼女の感情は、どうなるんですか?」

「正直、あまり考えたことはないが」

 そこで須崎は少女に眼を向けると、

「どうなんだ、零式?」

 と訊いた。

「皆さんのパトスのノーマリゼーション変換は、たいしたストレスではありません。それだけ私が魅力的なんだと思うことにしてますから」

 屈託のない笑顔で、少女が答える。

 が、次の瞬間、その笑顔が少し曇った。

「でも、たまにある”あれ”が辛いです」

「おまえに聞いたのが間違いだったな」

 須崎が顔をしかめた。

「しかし、そこまでやらないと、一人前のいろはノイドとは認められないぞ」

「はい。わかってます」

 少女がうなだれる。

「でも・・・」

「もう、逃げるなよ。前回のように、な」

 須崎が釘を刺すように、鋭い口調でいった。

「で、今回はどうなんだ? E体は見つかったのか?」

「はい・・・」

 少女が、蚊の鳴くような声でいい、小さくうなずいた。

「なんですか、そのE体って?」

 初めて聞く言葉だった。

「エイリアン保有者さ」

 須崎がいった。

「彼らは人間に成りすまし、少しずつ増えている。我々はこの街にエイリアンを入れるわけにはいかないんでね。パトス消滅とともに、イロハたちにE体を探させてるんだ」

「エイリアン? ばかばかしい」

 僕は鼻で笑った。

 そんなもの、いるわけがない。

 この男、頭がおかしいのではないか、と思ったのだ。

「零式、隠さず答えろ。E体は、この男なんだな?」

 須崎が僕のほうをちらりと見て、少女に尋ねた。

「はい・・・あの、普通、エイリアンさんのほうが、イロハには優しいのです」

 少女が、僕の顔を上目遣いに見て、申し訳なさそうに、答えた。

「決まりだ」

 須崎が、断定するようにいった。

「人間なら、男も女もイロハたちを見て必ず欲情する。だが、E体はそうではない。すなわち、今回、異常に冷静だった君こそが、エイリアン保有者だったというわけだ」

「そ、そんな」

 僕は立ち上がった。

「そんなの言いがかりだ。僕はただの人間だ。証明できる」

「本人が気づいてないだけさ。君の体の中には間違いなく、エイリアンがいる」

「ば、馬鹿な・・・」

「零式、やれ」

 須崎が命じた。

「はい」

 少女が僕に向かって、右腕を伸ばした。

「イロハ、行きます」

 泣いていた。

 人差し指で、僕の顔を指差した。

「ごめんなさい!」

 指が、針になった。

 それがしゅっと伸びて、僕の眉間を貫いた。

 ヒューズが切れるように意識が飛ぶ寸前、僕は己の正体を思い出した。

 イロハは、正しかったのだ。


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激赤のスティグマ 春風子夏 @himico1004

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