261話 その名はブローダー




「い~い湯だなー」


 数か月ぶりに浸かる温泉に俺の口からは、ついぞ幼少のころから聞きなじんでいる温泉といえばあの歌というやつが流れていた。


 思えば、心身ともにこれほどリラックスしたのはいつ以来だろうか。

 惜しむべきは、ここが地元にある有名な温泉旅館ではなく、おっそろしい竜が支配する異世界だという事なんだが。


 しかし、久しぶりに入りたい入りたいとは思っていたが、温泉というやつがここまで気持ち良いものだったとは……。

 いや、久しぶりだからこそ気持ち良いのかも。

 だが、この良さを味わってしまった以上、また何ヶ月もお預けなんて辛すぎる。


「よし決めた!」


『な、何がでござるか?』


 俺の言葉に、バイザーに意識のみ入った状態のゲイルがビクンと反応する。

 ちっさいドラゴンの姿から解放されたゲイルは、また元に戻るのも手間なので、本当の肉体に戻るまで意識のみの状態にとどまる事に決めた。

 ちなみに、一緒に温泉に浸かっていた吹雪はあまりの気持ちよさに全身を浸からせて、そのままプカプカと浮いていた。「あー」とか「うー」とか聞こえてくるから、多分大丈夫だろ。


「アルドラゴに大浴場を作ろう! 場所は……トレーニングルームを少し狭くすればいいかな? そこは、スミスや月影と相談してから細かく詰めよう」


 口では強がりを言っていたアルカたちであるが、想像以上に満喫しただろうことはその火照った顔つきを見れば一目瞭然だった。

 あの調子では、大浴場を取り付ける事に文句は言わないだろう。


 ちなみに今現在、アルドラゴには大小合わせて10の客室の他、キッチン付き食堂、ボードゲームやカードゲーム……最近ビリヤード台とダーツの的が設置されたプレイルーム。

 俺の記憶から抽出した映画やテレビ等が鑑賞できるシアタールームが存在している。

 これに更に大浴場が追加されるのだ。

 いよいよ、ちょっとしたホテル並みに設備が充実してきたな。

 もし、パンデミックが起きたとしても、十分生きていける。……それどころじゃない戦力が揃っているけども。


 後欲しいのは漫画喫茶なのだが……こっちの世界じゃ紙媒体のものは新聞程度にしか普及してないし、映画同様に俺の記憶からかつて読んだ漫画をコピーする事は可能なのだが、ただの娯楽のために必要以上に艦のエネルギーを使うのは気が引けたので、まだ実現には至ってない。

 タブレットで読む電子書籍のよう形にはすぐする事が出来るようだが、正直言って紙で読む漫画に飢えてしまっているので、出来ればそっちで読みたいのである。

 喫茶コーナーについては、こっちの世界にゃあくまで似て非なる物しかないので、出来ればちゃんとしたやつを飲みたいのです。

 特にコーラが飲みたい! はっきり言って作り方がさっぱり分からん。そもそもコーラの精製方法なんて考えたことも無かったもんな。


 そうやって俺が今後の事を脳内でシュミレートしていると、やがてゲイルよりおずおずと声がかけられた。


『それで、主よ。他の仲間クルーたちとは既に話がついているのかもしれんでござるが、今回の件が終わったら具体的にどうするつもりでござるか?』


 と、ゲイルの問いに俺は宙を睨んだ。


 既にアルカたちから話は聞いている。

 異世界を渡る事はロゼにも可能であり、どうやって特定の世界に渡れるかさえ分かれば、ガッツリ協力してくれることを約束してくれた。


「んー……とりあえず、樹の国とやらには向かおうと思っている。向かう事自体は、以前ほど困難じゃないし、この世界に伝わっている時空間魔法ってのもしっかり勉強しておいて損は無いだろう」


 説明を受けた限りでは、俺個人が協力できるところは何もなさそうなんだが、だからと言ってただぼーっと待っているだけというのは情けない。

 樹の国に向かえたとして、樹族との交渉自体は俺がするべきだろう。

……基本的に知らない人と話すの苦手なんだけどさ。それも、この世界に来て鍛えられたと自覚している。


「ゲイルはどうなんだ? 何か心境に変化はあった?」


『いや、特に変化はないでござるな。

 拙者、この世界には物心がつく前に来たらしく、元の世界も両親の記憶も全くござらん。

 ただ、この世界に家族が居るわけでもないので、両親がまだ生きているのなら、会ってみたいという気持ちは変わらんでござる』


 ゲイルはエルフ。

 地球の物語にあるようにエルフとは300年以上は生きる長命の種族である。

 聞いたところ、ゲイルの実年齢はおおよそ肉体年齢と現時点では変わらないとのこと。だとするならば、ゲイルが生まれてからおよそ25~30年。

 何事も無ければ、ゲイルの両親も十分生きている可能性が高い。


『だが、もう30年近く時間が経っているのでござる。今更急いでも仕方がない。拙者の世界については、後回しでも構わんでござるよ』


「……ありがとう」


 ちなみに、同じく異世界人であるヴィオは、元の世界に仲間がいるため、会えるのなら会いたいと言われている。

 うちのクルーでは最後の異世界人であるプラムであるが、彼女の記憶は曖昧で、父親がこの世界に一緒に来ているのか、それとも元の世界に居るのかがはっきりしないのだという。

 なので、もう少しこの世界を回ってみて、父親が見つからないようなら元の世界に帰すという運びになっている。


 おっと、プラムと言えば、言わなければならない事があった。


「あ、そういやゲイル達が居ない間に、クルーが一人増えたんだった」


『!!?』


 完全に忘れていたのであるが、最後の最後に爆弾を投下する形になってしまった。

 混乱するゲイルに対してプラムの説明をして、俺たちは温泉から引き上げたのだった。




◆◆◆




 一方、視点は神聖ゴルディクス帝国へと移る。


 皇帝の居城……その廊下を歩くのは、帝国最高戦力……十聖者のうちの三聖者……

 弓聖フォレスト、槍聖クロウ、聖女ルミナの三人であった。


「くそ! 全く情報が降りてこない! レイジなるものを捕えに行った聖術師卿たちはどうなったのだ!」


 弓聖フォレストを名乗る眼鏡をかけた神経質そうな美青年が、苛立たし気に足を踏み鳴らす。

 すると、その斜め後ろを歩く長身の黒髪美女がため息交じりに追随した。


「そうねぇ。作戦が成功したのか、失敗したのか……。そして、結果としてあの人たちが生きているかどうかさえ情報が降りないなんて奇妙ね」


 その言葉に青年は足を止めて背後を振り返った。


「からすま……いや槍聖卿よ。それは、十聖者が三人がかりで向かって敗北した……そういう事か?」


 怒気を込めた瞳で睨むが、対象の女性は涼しい顔で肯定する。


「正直、作戦が成功したならもっと簡単に情報が降りてくるはずだと思うのよね。だとしたら、予期せぬ敗北に今後どう対処するべきか対応を考えているんじゃないかしら」


 言われなくとも、その可能性は推測していた。

 ただ、フォレストにとって認めたくなかっただけだ。


 自分たち十聖者は、この世界で最強の戦闘集団である。

 単体で自分たちよりも強い魔獣はまだ存在するだろうが、人間という事に集約すれば、誰も敵う者は居ないと信じてきた。


 が、此処に来て認めざるを得ない。

 チーム・アルドラゴのメンバーは、チームリーダーのレイジ以外にも十聖者を倒せる者が居るという事を。決して、拳聖ブラウを倒した事は奇跡では無かったという事を。

 そこで、三人の中の最後の一人……聖女ルミナが絞り出すようにうめく。


「……まさか、三人がかりでもダメなんて……」


 だが、クロウはその言葉を否定する。


「尤も、あの人たちの事だから三人まとめて戦ったんじゃなくて、バラバラで戦って負けた可能性もあるわね」


 深くかかわりがある訳ではないが、三人のうち三人とも我が強い存在だ。

 連携し、互いの長所を生かした戦い方が出来るとは思えない。


「その通りですよ。流石は烏丸からすまさんだ」


 そんな感想を述べたところで、この場には居ない筈の声が飛んできた。

 最初は少し驚いたものの、声の主の正体を察知してか、うんざりした顔つきで槍聖クロウは背後を振り返る。


「言ったでしょう。此処では、槍聖クロウ……それが私の名前だって。アウラム君」


 そこには、髪を金色に染め上げた少年の姿があった。


「あはっ! つい癖が出ちゃってね」


 ニカッとした笑みを浮かべ、少年はポリポリと頭を掻く。

 年齢は自分よりも一つ下だというのに、まるでもっと幼さを感じさせる男だ。


 技術開発局局員……アウラム。

 自分や他者を転移させる事が出来る能力を持つ少年だ。

 便利な能力ではあるが、非常に燃費が悪いため、ここぞという時だけ能力使用の許可が下されることになっている。

 ただ、本人の知る場所、短い距離であるならば転移の消費魔力は低く、こうしてよく悪戯いたずらに使われていた。


「何の用だ? いくら君が元同郷と言っても、我々は十聖者。見かけたから気軽に声をかけた……なんて理由じゃないだろう」


 当人としては気分を和らげる為の悪戯だったかもしれないが、生憎とフォレストの機嫌は最悪である。悪戯を許容できる精神状態ではなかった。

 が、アウラムの方も特に気にした様子もなく話を続けていく。


「うん、伝令の代わりだよ。まず、ルミナさん」


「わ、私?」


 名前が出たことでルミナは目を丸くした。


「君はちょっと僕と一緒にとある場所に向かってもらう事になったよ」


「え? わ、私が……かながわ……じゃなかったアウラム君と?」


 混乱しているルミナを庇うように、クロウが前に出て尋ねた。


「ふぅん。確か、皇帝からの指令で、十聖者は複数人で行動するって事になっていたと思うんだが、それはどういう事だい?」


 クロウが圧力を掛けるが、アウラムは涼しい顔で答えるのみだった。


「いやいや、大丈夫。これも皇帝陛下からの指令だからね。……うん。遂に彼女の出番が来たってだけさ」


「………? それはどういう……」


 そして、アウラムの瞳が金色に染まった瞬間、槍聖クロウ……いや、それを眺めていただけのフォレストやルミナの思考も停止する。


「《》」


 その止まった思考の中に、その言葉がスンッと入ってきた。

 まるで、脳内に溶け込むように言葉が……いや、思考そのものが浸透していく。


「わ、分かった。安心する……。何処に行くのかも、気にしない」


 三人の中に入ってきたものは思考そのものだ。

 だから、それに対して疑問に思ったり、違和感を覚える事もない。


「それで良いです。あ、グリードさん、ルミナさんを先に連れて行ってもらえますか」


 その様子に満足したアウラムは、大きく頷いて背後を振り返った。

 そこには、いつの間に現れたのか、大柄な体格を持つ存在が立っていた。


「……分かった」


 アウラムが言うところの自分の手駒……十三冥者の一人、グリードは聖女ルミナの肩を掴むと、自分が現れた魔方陣へと誘うのだった。


「じゃ、じゃあ先輩たち、また後で………」


 せめてそれぐらいは……と良識が働いたルミナが去り際に言葉を残すと、二人の姿は陣の向こうへと消え去ったのだった。

 よしよしとそれを満足気に見送ったアウラムは、残った二人にまた視線を戻す。


「次に、貴方たちに対する伝令になります。《》」


「どうして、お前から伝令など……いや、分かった。皇帝陛下からの指令ならば聞こう」


 思わず反発しかけたフォレストであったが、言葉の途中からまたアウラムの瞳が金色に染まった事で、素直に受け入れる。


「では伝えます。お二人には、これより開始される大規模作戦の指揮を執ってもらいます」


「大規模作戦だと? そんなもの、私は聞いたことが無いぞ」


 首を傾げる二人に、アウラムはクスリと笑みを漏らす。


「ええ。話しても特に意味が―――いや、《》」


「……まぁいいだろう。それで、具体的には何をするんだ?」


 指揮を務めるものに作戦自体を秘密にするなど、本来ならありないことではあるのだが、思考がぼんやりとしている二人は素直に受け入れてしまう。

 が、次に飛び出してきた言葉に少しだけ我に返った。


「ええ、これからディアナスティ王国……通称竜王国に攻め入ります」


 竜王国に攻め込む。

 当然その言葉の意味は理解できる。

 理解できるからこそ、二人は混乱した。


「なんだと! いや、いずれそういう話は出ていたとは思うが、何故今になって!?」


 ゴルディクス帝国の目的の為、竜王国に攻め込む事は以前より計画されていた。

 しかし、現時点では敗北は必至という事で、戦力が整うまで放置されてきたことだったはずだ。


 まさか、それが開始されるという事は―――


「それは……遂にこれが完成したからですよ」


 トンッとアウラムがその場で足を踏み鳴らすと、三人を包むように足元に魔法陣が出現した。

 そして、その魔方陣が赤い光を発したと思ったら、三人は別の場所に立っていた。


「こ、これは……!?」


 それは、ゴルディクス帝国の海底部に存在する巨大な整備ドッグ。

 そこにそれは鎮座していた。

 灰色の装甲に覆われた、まるで立方体を複数取り付けたような物体。


 戦艦である。


 全長は400メートル。

 帝国がすでに開発済みである空艦スカイシップよりも倍ほどの大きさはある代物だった。

 空艦はあくまで飛行船……移動する事が主目的の物であるが、これは違う。

 完全に戦う事を目的として造られたふねである。


「これは……飛べるのか?」


「ええ。空艦ほど高くは飛べませんが、海の上だけでなく都市の上も飛行可能です」


「噂の重力コントロール装置というやつが手に入ったのか!」


「……ええ。まぁそういう事です」


 本当は違うのだが、アウラムはそういう事にしておくと決めた。


「しかし何故、これから竜王国を? かの国とはまだ致命的なトラブルは起きていなかった筈だが」


 確かに竜王国は倒すべきモノではあるが、今はチーム・アルドラゴという目先の標的が存在しているのだ。

 どちらも、片手間に相手が出来るほど弱い存在ではない筈。


 そう反論しようとしたが、またアウラムの瞳が金色に染まったことで、言葉を飲み込んだ。


「《》」


 言葉が……思考が……まるでプログラムのように二人の脳内に刻み込まれる。


「な、なにぃ。レイジが……我らが帝国を……」


「《》」


 そのプログラムは、かねてより秘めていたフォレストの野望と結びつき、同化された。


 弓聖フォレストは何よりも誰よりも、十聖者の中で最もレイジを憎んでいた存在であるのだ。

 自らが指揮を執り、レイジの首を獲る。

 そこに何の憂いも無い。


「……分かった。私が指揮を執る。それと、この艦に名前はあるのかな?」


「いえ、まだただのふねのままです。良ければ、名付けてもらえますか」


 アウラムの言葉にフォレストは深く頷いた。


「分かった。

 今より、この艦の名前は亡き師……ブラウより一部頂いて、《ブローダー》と命名したい」


「《ブローダー》……まぁいいか。では、そのように取り計らいます」


 そうして、アウラムは未だ感動した表情で艦を眺めているフォレストを放置し、肩をグルグルと回しながら歩きだした。


「やれやれ、催眠ヒュプノスを連続して使うのはしんどいな。おかげで肩が凝った。

 それにしても《ブローダー》か。そこそこ良い名前で助かった。アイツ、それなりにセンスあったんだな」



 そして、その時であった。

 この秘密ドッグは帝都の地下深くに位置している。

 だというのに、巨大な振動がドッグ全体を襲ったのだ。


 それを感じ取ってアウラムはニヤリと笑みを浮かべ、懐より仮面を取り出して顔に取り付ける。


「ようやくおでましか……待っていたよ」


 アウラムのその言葉の通り、地上では人神マンティオスが降臨したのだった。







~~あとがき~~


 おかげさまで骨折も順調に回復しております。なんとか、年末年始は無事に迎えられそう。

 とりあえず油断せずに気を付けて生活していきます。

 皆様もどうかお気をつけて……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る