第8話 奪還1

デルタ・カナガンの封蝋が押された手紙を受け取り、ルーベンスは怪訝な表情を浮かべた。

何故なら、十七年生きて来て、未だ嘗て伯爵から手紙など貰った事などないから。

デルタは、ルーベンスの伯父にあたる。幼い頃より家族同士仲が良くお互いを支え合い領地経営をして来た。三年前に、デルタにケニアが好きだと話すと、大人になったらケニアと結婚をしてケニアの弟が領地経営をする頃にはケニアと二人で支えて欲しいと言われた時でも手紙を貰うことなどなかった。


そして、手紙を開いて驚愕した。


(ケニアが婚約?何で?えっ?僕と結婚させてくれるって伯父上言っていたよね?)


内容が信じられなくて、もう一度封蝋を確認して、間違っていないことを認めると、もう一度手紙の内容を確認した。


そしてこれが事実である事を受け止め切れなかった。

しかも相手が、この王国だけではなく近隣国にも浮名を轟かせたランドルフ・オルゲーニである。


(嘘だろう。なんでこんな奴にケニアが嫁がなきゃいけないんだ。伯父上は気でも狂ったのか?)


「ねぇ。ルーベンス。お義兄様はなんて?」


ソファに座る母ベルの横には、愛する従妹の幼い頃に瓜二つの従弟のハンスが座っている。ケニアが母親代わりになっていたので、ハンスも九歳にして十分過ぎる程シスコンに育っていた。


二人に一度視線を送り、この話をするべきか思案したが、いつかはバレる事ならば、早めであれば、皆の総意であれば覆すことが出来るかもしれないと、意を決して話すことにした。


「母上。そして、ハンス。・・・・・ケニアが結婚をすることになった。」


「あぁ。以前にお義兄様が仰っていらしたルーベンスとケニアの結婚の事?まだケニアは、デビュタントを迎えていないから早くはないかしら?デビュタント後ということではなかった?」


息子に打診があったケニアの結婚話ともなれば、普通に考えてルーベンスとの話が進んだと考えるのが妥当だからベルはそう思った。


「お兄様とお姉さまが結婚するの?本当に僕のお兄様になるんだね。嬉しいなぁ。」


ハンスも目を細めて喜ぶが、ルーベンスは解り易く溜息を吐いた。


「相手は僕ではないそうです。ランドルフ・オルゲーニだそうです。」


名前を口にした後で二人の顔を伺うと、驚愕の表情に蒼褪めていた。


「「ランドルフ・オルゲーニ⁈冗談でしょう!」」


九歳のハンスまでもが知っている浮名の流し方に溜息しか出て来ない。

ベルに手紙を渡すと、ベルは手紙に目を通す。読み終わると、夫のエドガーの元に手紙を持ったまま駆け出して行った。


「どうして!どうしてお姉さまが!あんな最低な男と結婚するのさ!僕のお兄様はお兄様だけだよ。」


ハンスはルーベンスの足にしがみ付いて涙をポロポロと流し始めた。


「兄上はどうされたというんだ!」


ベルから渡された手紙を握りしめたエトガーが入って来た。


「僕に解る訳ないじゃないですか。」


悔しくて、拳を握りしめて俯くルーベンスに皆が言葉を失う。此処で一番ショックを受けているのは、間違いなくルーベンスである。あと数年と指折り数えてケニアとの結婚を夢見ていた。その夢があと数年という所で露と消えてしまった。


相手の情報に激怒したメイド達は、町に駆け出して、友人知人にこの事を広め始めてしまった。すると、悪い噂は流れることが早く、屋敷の外にはあっという間に領民が溢れていた。


「エドガー様!ケニア様はルーベンス様とご結婚されるのではないのですか?」

「女たらしに。しかも女に貢ぐ浪費家で有名なランドルフ・オルゲーニじゃお嬢様が女たちの為に奴隷のように働かされて、人生が終わってしまう!」


各々がケニアを心配している。ケニアがこれ程領民に慕われているのは、ケニアが早朝から夜遅くまで領民達と働いているからだ。

領民達までもが二人の結婚に前向きであることが、どれだけこの二人が領民に好かれているのかが伺える。


(そうだ。ケニアがランドルフの女たちの為に働いて終わる人生なんか見たくはない!冗談じゃない!)


「父上!王都の伯父上の元へ行ってまいります。今止めなければ、もう時間がありません。」


ルーベンスの言葉にその場にいる全員が同意をした。ルーベンスの行動を予想していたようにメイド達は荷造りを終えたバックをルーベンスに渡す。


「お嬢様を連れて帰って来て下さいませ。」


ルーベンスは力強く頷くと、馬丁が連れて来た愛馬に跨ると、


「ケニアを取り戻して参ります。」


と宣言して、勢い良く駆け出した。皆はルーベンスに期待の声援を送りそれを背中で聞きながら、


(絶対に連れて帰る!)


と心に強く誓った。


☆☆☆


国王に謁見をした翌々日には、マティスは再度カナガン伯爵の元にケニアを連れて訪れていた。

自分達だけではうまく収束出来る自信は全くなかった。


(働かないで遊び惚ける夫の代わりに働かされるかも知れない。そんな結婚許せる訳がないよなぁ。)


その位は同じ親として理解できる心情であった。


「それで、公爵様・・・・・先日は、ケニアをお連れ頂くのは婚約とばかり思っておりましたが、これはどう見ても婚姻証明書のように見受けられますが・・・・私の眼はおかしくなってしまったのでしょうか?」


公爵と言いながらも視線はギタとマイナに助けを求めるように向けられている。


「早い方が良いと思うのよ。お父様。だって、その分白い結婚で早々に離婚出来そうよ。」


その言葉にマティスはショックを受ける。ここ数日の投資の勉強会で、如何にケニアが優秀であるかを知ってしまったからである。


(こんな謙虚でいい子を手放したくはない!)


「でもね。ケニア。ハンスが寂しがるよ。良いのかい?」


何とか情に訴えかけようとするが、


「そうはいってもハンスは九歳ですよ。次期にデビュタントを迎えますわ。もうお役目ごめんではないでしょうか?よく考えてください。私、いつかはお嫁に行くのですよ。早いか遅いかの差で、実家のお金が減るのか増えるのかの差ではないでしょうか?」


「ほら、言わんこっちゃない。」


侍女長のマイナが呟いたが、カナガン伯爵とギタはしっかりと言葉を拾っていた。そしてその意味も理解して溜息を吐いた。



「解ったよ。あぁ此処にルーベンスが居てくれたら。」


「あら、ルーベンスお兄様王都へいらっしゃるの?私もお会いしたいわ。」


カナガン伯爵側は伯爵を筆頭に全員が俯き顔色を蒼くした。今ルーベンス様は怒りMAXのはず。お嬢様の前では怒ったことは無いけれど、ルーベンスは普段が優しいから怒ると、とても怖い。ブリザードが吹き荒れる。


「多分・・・・向かっている道中ではないでしょうか。」


ギタが、俯きながら言うと、今度はマティスとアンゲルが顔色を蒼くした。マティスとアンゲルはルーベンスの存在を知っていた。そして、アンゲルが調べた中にはルーベンスがケニアに恋をしていることが書かれていた。


「ケニア申し訳ない!午後に急ぎの仕事がある事を忘れていた。サインを頂いて早々に帰宅をせねば。」


ギタとマイナは瞬時に計算を始めた。あのルーベンス様がお嬢様の婚約を知らせる手紙を受け取って、伯爵のように呆然とするのか?いいや。しない。直ぐに馬を駆って出発したはずだ。だとするならば・・・・そろそろこちらに着くはずだ。今公爵を返してはお嬢様を取り返すことが出来なくなってしまう。今の頼みの綱はルーベンス様お一人だ!


ギタとマイナは顔を見合わせて、お互いの考えを理解したように頷き合った。


「お嬢様。このままご結婚をされてしまってはもうルーベンス様にお会いになる機会はなくなりますよ。宜しいのですか?あのルーベンス様ですよ。」


ケニアは、マイナの言葉に暫し考える。ルーベンスはケニアにとっても特別な存在で、もう会うことが叶わないかも知れないと言われてしまうと寂しいものがあり、折角なら会ってから帰るのも良いのかも知れないと思い始めてしまった。


そうなると邪魔をされることが予想出来るマティスはケニアの説得にかかる。


「折角だから逢わせてあげたいけれども、今日は難しいから、明日以降にでも公爵家に招待をしたらどうだろうか?」


「・・・・なんだか申し訳ないような。公爵家の皆さんの仕事が増えてしまうと思うのですが。」


「そうですよ。お嬢様。お嬢様は公爵家の人間ではないのですからルーベンス様とお会いになるのでしたら伯爵家の方が宜しいかと存じます。ルーベンス様も気兼ねなくお話が出来るでしょうし。」


この流は不味い!頭の良いマティスは察知した。ギタとマイナによる、ゆるりゆるりとケニアを伯爵家に残してルーベンスと逢わせようとする流れを変えなければいけない。しかも本来なら結婚誓約書が受理されるには通常は一週間かかってしまう。その間にルーベンスに邪魔をされると結婚の話自体が流れてしまう。


(早く受理をさせなければ!)


「では、明日伯爵家に来るのはどうだろうか。明日なら、朝食後に屋敷を出れば早い段階で、そのルーベンス君に会えるのではないかな。」


焦る気持ちを必死に抑えて、平常心を保っているように見せかける。


「そうですわね。お義父様の仰る通りに致しますわ。では、お父様、早くにサインをお願いしますわね。」


ケニアはグイッと伯爵の前に結婚の誓約書を差し出す。

こうなると、カナガン伯爵もサインをしないわけにはいかなくなる。公爵と当の本人が書けというのだから。カナガン伯爵は、助けを求めるようにギタとマイナに視線を送るが、二人は顔を背けた。その瞬間伯爵が出来る行動は決まってしまった。

ペンを取り、ゆっくりとサインをしようとするも


「解っているとは思うけど、お義父様はこの後お忙しいそうなのよ。早くにサインしてくださいませね。お父様。」


急かす娘に視界が歪む。


(娘に結婚誓約書を急かされるなんて。お父様は悲しいよ。)


やっとサインを書き終えるとケニアはスッと誓約書を、引き抜いてサインを確かめると、マティスに渡した。


「では、お義父様。急ぎ帰宅をしましょう。この後の御用が遅れては相手に失礼ですよ。」


「おお、そうだね。では、伯爵失礼するよ。ケニアは明日一度帰宅をさせるから。色々と話し合いをして頂けると助かる。」


マティスは、アンゲルとケニアと並んで伯爵邸を出て馬車に乗り込んだ。馬車が走り出すと、向かいからは凄いスピードで駆け抜けていく馬が在った。

ケニアは反対のドアに座った為に気が付かなかったが、マティスは気が付いた。

馬上の人がルーベンスであることを。


(間一髪じゃないか。)


現実に身震いした。あと少し時間をかけていたら、このサインは手に出来なかっただろう。

ケニアが急かしてくれて良かった。この一瞬の差を神に感謝した。


(後で教会に寄附をしよう。)


それ程までにマティスは神に多大なる感謝をした。

マティスは、結婚誓約書に夢中で、カナガン伯爵に誠意を見せることは、焦る気持ちで何処かに捨てて来てしまった。

結果誠意とは真逆の行動で伯爵家を後にしていた。


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