第60話 隠密

 準備の手間が省けた。レイレイの協力の下、侵入するための工作は思いほかの順調に進んだ。レイレイは持永の周辺機器にその姿を隠し、断るごと現れた。高すぎるテンションやキンキンする声は非常にうっとうしいが、昨晩から今日とその実力が確かであることは証明された。

 どうせ一時的な関係に過ぎない。このAIが友好的なうちに利用しておこう。それがレイレイの言った相互関係というやつだ。目的のためにお互いがお互い利用する。それが例え得体の知れない二次元生物だとしても、彦根から託された目的を実行するためには毒をも食らう覚悟だった。

 深夜零時を回った時、灰色の作業着を着た持永は地下の駐車場に向かった。帽子を深くかぶり、手にはバインダーを抱えている。持永の小型端末にはレイレイの姿があった。

 ミヤムラクリーンの社用車に近づくと、勝手に施錠され、エンジンがかかった。完全自動運転の社用車は持永を出迎えた。

 乗り込んだ持永はナビに警視庁の位置を入力し、車を発進させた。動き出した車はマンションを出て、大通りへと出た。

 窓枠に肘をかけながらネオンを眺める。日中に比べるとまばらになった夜中の国道を走っていく。ガラスに反射した持永の表情は真剣そのものだった。


「ねぇ緊張してる?」


 ナビの画面にレイレイが映し出される。


「していないわよ」


「由芽って本当に肝が据わっているよね」


 名前を呼ばれた持永はナビを睨みつける。


「下の名前で呼ばないで」


「なんでよ、折角いい名前を持っているのに。もしかして呼んでいいのは、室長だけとか。二人ってそんな関係だったんだ」


「室長はどうせ、私の名前なんて知らないわ」


「僕はそんなことないと思うけどなぁ」


「私と室長は仕事上の関係よ。あなたみたいな恋愛脳とは違うのよ。それにあなたは室長のことを知らないでしょ」


「もう釣れないなぁ。命短し恋せよ乙女だぞ!」


「今の世の中、女も男もないのよ。ヒューノイドはそういう生き物だわ」


「じゃあなんで由芽は女の子を選んだの? 官僚になるんだったら、男のほうがよかったんじゃない。だって男女比率で言ったら女より男のほうが多いでしょ」


 ヒューノイド化したことによって仕事における男女の区別化は進んだ。性を選べるようになったおかげで、その特性を生かした仕事が振り分けられたのは事実である。誰が決めたというわけでは無いが、やはり女になりかった人は女らしさを求める。その逆もしかりだ。

 ジェンダーレスは男女の格差を無くすと謳われたが、性別を選べるようになった世界は無意識下で男女における格差が大きくなった。

 官僚などの管理職の男性率は格段に上がり、女性職員はステレオタイプみたく受付カウンターを務めた。だがこれは全て差別ではない、正当な意志なのだ。持永はその中でも女として生きることを決め、官僚という男社会に身を投じたのである。


「僕はてっきり、男漁りが目的で入ったのかと思った」


「馬鹿にしないでよ。私はこの仕事に誇りを持っている。そして女ということにも誇りを持っている。私は女でありながら男よりもたくましく生きることに憧れを抱いたのよ」


「ふーん、変なの」


 レイレイはあまり理解していなかった。だが理解してもらう必要もない、これは持永だけが思っていればいいことだ。


「もう着くわよ」


 簡素な声でそう言った持永は、一切の表情を変えず、流れていく景色をぼんやりと眺めていた。

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