第35話 影印

 結局その後も休むことなく、徹夜で探したが核心をつくような情報は得らなかった。目に留まった渾沌というワードも何を意味しているのか分からない。そもそも掲示板に書き込まれたたった一つの単語など、ほとんど意味を持たない。直感的に脳内を占領した渾沌という単語を「疲れているからそう思ったのではないだろうか」と一蹴した。

 事件現場の監視カメラ映像を隈なく確認しても、犯人らしき人物は映っていないし、そもそも弾丸がどこから飛んできたのかさえ、分からなかった。

 銃声と倒れる生嶋、さらにそこから逃げていく人々。ただそれだけの映像が記録として残っているだけだった。

 他に殺された五人の映像も確認するが、同じようにその場に膝をつき、勝手に倒れた後、まるで砂のように消滅している。不可解なことが多すぎて、脳内は煩雑に散らかっていた。


「ああ、スイーツが食べたい……」


 持永は朝日を浴びながら呟いた。


 その日は事務所のシャワー室で軽く汗を流すと、化粧を整え、帰宅せずにそのまま出社した。あまりの疲れと寝不足で頭の中がくらくらする。


「持永さん、大丈夫ですか」


 デスクの向かいに座っていた部下に声をかけられると、気だるそうに答えた。


「多分、脳内の電気回線がオーバーヒートしているわ」


「マジで大丈夫ですか、ちゃんと休んくださいよ」


「そういうわけにもいかないでしょ。室長は今日もいなし、ネットはいつも以上に大荒れよ」


「そうですけど……」


 部下と二人で彦根のデスクを見つめるがそこにあるのはもう三日も使われていない椅子と外部サーバーが置いてあるだけだった。


「本当に室長はどこにいってしまったんでしょうね」


「さぁね。いまは室長がいなくても、あたしたちだけで出来ることを証明するしかないわ」


 持永がそう言って仕事に戻ろうとすると、オフィスの自動ドアが開いた。室員の全員がそちらを注目し、彦根の帰還を期待したが、そこに現れたのは局次長だった。

 局次長は少しおどおどしていて、持永の姿を見ると手をこまねいている。こんな忙しい時に何の用だというのだ。持永は形式的に背筋を伸ばし、局次長の元に向かった。

 局次長は持永が廊下に出るなり、険しい顔で詰め寄ってきた。


「おい持永。彦根がどこに行ったか知っているか」


「いえ、私の方にはなにも連絡はありません」


「そうだよな。あいつどこに行ったんだよ」


 局次長は廊下で地団駄を踏み、頭を掻きむしる。


「取り敢えず、ついてきたまえ」


「何かあったのですか」


 すると廊下を見渡し、誰もその場にいないことを確認すると、耳打ちをするのだった。


「警視庁捜査本部がお越しだ」


「警察! なぜですか」


「声がデカいっ」


「す、すみません。しかし警視庁が何の用で?」


「俺も詳しいことは分からない。だがとにかく彦根の部下を呼ぶように言われたんだ。どうやら極秘裏に来たらしい。だから絶対に他言はするなよ」


「もちろんですよ」


 局次長は深く頷くと、ハンカチで額を拭き、サイバー庁の第五小会議室へと持永を連れていくのだった。

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