第二章 御子神家の人々③

 そんなこんなで序盤は散々な有様だったが、幸い次の訪問相手である御子神晴絵は小柄でおっとりとした老婦人で、「もちろん遺言の通りで構いませんわ。全て季一郎さんの望み通りにしてくださいな」と相続人のかがみのような言葉を贈ってよこした。

「つまり遺留分は請求しないということで、よろしいんでしょうか」

「ええ、だって私はお金のことなんてさっぱり分かりませんもの。財産をもらってもどうしていいのか困ってしまいますし、夏彦さんと尊子さんが管理してくれるなら、とってもありがたいことだと思いますわ」

 その屈託のない笑顔からは、少女めいた愛らしささえ感じられる。

 公開情報をあさって得られた知識によれば、御子神晴絵は旧華族であるたかやなぎ家出身のお姫様であり、季一郎氏は高柳家で書生のようなことをしていた縁で彼女と知り合い、あこがれて憧れて口説き落としたたかの花であったらしい。こうして見ても、口説き落としたはあったと思わせる、天女のような女性である。

 その後小夜子は彼女に引き止められるまま、お茶とお菓子をごそうになり、「こんなお若いお嬢さんが弁護士だなんてすごいわねぇ」「弁護士のお仕事って大変なことも多いんでしょう?」などといたわられながら歓談した。

 小夜子は寄せられる同情が心地よくて、「そうなんです。大変なんです」と仕事の愚痴を垂れ流しつつ茶菓をたんのうしていたが、隣にいる補佐役の機嫌がすさまじいことになってきたので、適当なところで切り上げた。




 三男の冬也は結局現れなかったため、相続人への説明はそこでいったんお開きとなったが、帰り際にちょっとしたハプニングが起きた。お手洗いを借りて正面玄関へと戻る途中、小夜子の足に何者かがいきなり触れてきたのである。

 思わず悲鳴が出かかったが、見れば一匹のトラ猫だった。小夜子のパンツスーツに毛を練り込むように身体をこすりつけている。

「わあ可愛い! 可愛いけど毛が……でも可愛い!」

 かがんででようと手を伸ばすと、猫はするりとよけて距離を取った。自分が触るのは構わないが、触られるのを許可した覚えはないらしい。

 腰をかがめてちっちっちっと舌を鳴らしていると、廊下の向こうからぱたぱたと軽い足音がした。

かん、ここにいたの」

 鈴を振るような声音と共に現れたのは、白いはだと長い黒髪が印象的な、どこか人形めいた少女だった。歳は十歳前後だろうか。

 少女がかがんで猫に両腕を差し伸べると、猫は自らひらりとその腕の中に飛び込んだ。そのままうっとりと身をゆだねているところを見ると、随分と彼女に慣れているらしい。

「もしかして御子神真冬さんですか?」

 小夜子が問うと、少女はこくりと頷いた。

 御子神真冬。現在しつそう中の御子神冬也の一人娘だ。

れいな猫ですね。蜜柑って名前なんですか?」

「そう、蜜柑色だから、蜜柑。……それで貴方あなたは?」

「あ、初めまして。弁護士の比良坂と申します」

「もしかしてお祖父じいちゃんの選んだ弁護士さんなの?」

「はい。一応」

「そう……。だけど、この家にはもう来ない方がいいと思う」

「え?」

 何か気に障ることでも言っただろうか。戸惑う小夜子に、少女は「危ないから」と言葉を続けた。

「危ない?」

「蜜柑が言ってるの。この家では、また人が死ぬことになるって」

 少女の腕の中で、トラ猫がにゃぁおんと声を上げた。



 運転席に座りながら、小夜子はぽつりとつぶやいた。

「なんか……すごく疲れたんですけど」

「大したことはやってないだろ」

「そうなんですけど、なんか皆さん個性的で」

「金持ちなんて大体そうだろ」

「そうなんですかねぇ」

 周囲に金持ちのサンプルが少ないので標準的かどうか判断できない。

「じゃあ俺の依頼と替わってみるか?」

「葛城さんの依頼って」

「傷害事件だ。被疑者は正当防衛で無罪を主張している」

「うわぁ……」

 聞くだに面倒くさそうな案件である。

「遺言執行で頑張ります」

「ああ、頑張れ」

 そんな風にして、御子神家訪問の第一日目は終了した。


〇 四十九日まであと二十日


 翌日。葛城は断固として同行を拒否したために、小夜子は一人で御子神邸へと赴いた。

 今日の予定は主に財産目録作りである。遺言執行者は被相続人の財産目録を作成して、各相続人に渡す義務がある。

 小夜子は故人の書斎に陣取ると、渡された大量の書類を基に、まずは遺産を不動産、動産、預貯金、現金、有価証券といった具合に分類しながらノートパソコンに打ち込んでいった。その内容は予想にたがわず実に華やかなものだったが、中でも故人が趣味で集めた日本刀コレクションは圧巻で、さすがは刃物メーカーの創業社長といった趣がある。

 小夜子は「あ、これゲームで聞いたことある奴!」などと思いつつせっせと作業を進めていたが、その最中でちょっとした騒動が巻き起こった。蔵で刀剣の確認に立ち会っていた夏彦が「父の短刀がない!」と血相を変えて騒ぎだしたのである。

「コレクションの中には春夏秋冬の短刀が確かにあったはずなんです!」

「え、それは価値の高いものなんですか?」

「それはもう、特別な価値があります」

「ちなみにお幾らくらいなんですか?」

「金なんかには換えられません。父が若いころに自分で打った短刀なんです!」

「……季一郎さんが?」

「はい。父の形見だと思って一生大切にするつもりだったのに、一体どこにいったんだか……」

 夏彦いわく、それは季一郎が刀に学んで打った四振りで、自ら「春」「夏」「秋」「冬」の名をつけて、ことのほか大切にしていたとのこと。一応確認してみたが、別に「家督を受け継ぐ儀式に必要」とかいった象徴的意味合いがあるわけでもないらしい。言葉を換えれば財産的には無価値である。

 小夜子としてはいささか拍子抜けだったが、夏彦いわく「気持ちの問題なんですよ!」とのことだ。まあ確かに思い入れのある品ならば、放置しない方がいいだろう。

 小夜子が夏彦に家探しを提案したところ、そこに思わぬ横やりが入った。

「まあ貴方ったら、別にそこまでしなくてもいいじゃありませんの。あんなもの誰もったりしないでしょうし、そのうちひょっこり出てきますわよ」

 尊子はたしなめるような調子で言った。

「しかしあれだって父の大切な遺産なんだ。どこにあるのか確認しないと」

「確認はいつでもできるでしょう? そんなつまらないことでお手間を取らせては、比良坂先生がお気の毒ですわ」

「先生が家探しを提案してくださってるんだからそれでいいじゃないか。比良坂先生。とにかく家探しをお願いします。あれだって父の遺産の一部です」

「必要ありませんわ、比良坂先生。さっさと進めてくださいな」

 双方から要求されて、小夜子は思わず反応に窮した。

 小夜子は「判断に迷った場合はその場にいる偉い人の指示に従う」を基本的な行動指針にしているが、この場合は果たしてどちらが上なのだろう。立場的には依頼者であり相続人である夏彦の方が上のはずだが、小夜子の内なる小動物的な本能が『尊子に従え』とささやいてくる。

 迷った末に「すみません、ちょっと」と断りを入れて場を外し、葛城に電話で聞いてみたところ「財産の一部なら一応家探ししてみたらどうだ。その手の思い入れのある品はめると色々面倒だぞ」とのお言葉をいただいた。

 そこで意気軒昂として戻ってきたはいいのだが、あいにく二人の間で雌雄はすでに決していた。

「比良坂先生、お騒がせして申し訳ありませんでした。義父ちちの打った短刀のことなんか気にせずに、そのままお仕事を進めてくださいな」

 戻ってきた小夜子に対し、尊子はにこやかにそう告げた。その隣では、夏彦がしようぜんうなれている。

「え、でも……」

 小夜子はしばししゆんじゆんしたのち、「夏彦さんはそれでよろしいんですか?」と確認を取った。

「……はい」

「ほら、主人もこう申しておりますし、ね? 比良坂先生、つまらないことでお騒がせして申し訳ありませんでした」

「分かりました。ではそうさせていただきますね」

 依頼者本人がそれで納得しているなら、別に問題はないだろう。いや内心では納得していないのかもしれないが、口に出して言わない以上は夏彦自身の責任だ。自分は何も悪くない。

 小夜子はそう結論付けて、結局家探しは行わないまま、目録作りを再開した。後日そのことを心から後悔する羽目になるのだが、その時の小夜子はむろん知る由もなかったのである。

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