第55話 地獄の耳を持つ女

「ここが超科学部の部室なんですね。噂には聞いてましたけど、すごい所ですね」


 紙袋を下げた小暮先輩がしげしげと辺りを見渡す。

 俺は慣れてしまったが、初めての人間からすると漫画みたいで驚くだろう。


「勘違いしないで欲しいな小暮君。すごいのは部室ではなくこのボク、美少女天才科学者である西園寺回路だよ!」

「バカ西園寺! 一応先輩だって!」


 慌てて一ノ瀬が叱るのだが、一応とか言っちゃってる時点で同罪だと思う。


「気にしないで下さい。あんな醜態を晒してしまって、今更先輩ぶれる立場じゃありませんから」


 苦笑いかと思えばそんな事もなく、普通ににこやかに小暮先輩が告げる。

 そこにターボ八尺女として恐れられた露出狂の姿はまったくない。

 俺の目には、普通に優しくて大人しそうないい先輩に見える。


「別にボクはそんな理由で君を先輩扱いしていないわけじゃない。大人にだってこの態度だ。だってボクは天才だからね!」

「もう! 恥ずかしいから黙れっての!」

「もう一つだけ! 小暮君。その後は特に、体調などは変わりないだろうか」


 やりすぎた悪戯の結果を気にするように、心配そうに西園寺が尋ねる。


「えぇ。むしろ絶好調って感じです」


 爽やかに笑うと、小暮先輩が俺に微笑みかける。


「色目禁止!」


 即座に白崎が間に入って視線をカットした。


 学校一の美少女がなにをそんなに過敏になっているのか、俺は不思議だった。大体、小暮先輩が俺を好きだと言ったのだって、あの場の雰囲気で勢いみたいなものだろう。


 数日経って冷静になれば、なんで俺みたいな醜い嫌われ者にあんな事を言ったのだろうと後悔したはずだ。だから、その事には触れないのが優しさだと思う。


 小暮先輩も苦笑いで西園寺に視線を戻した。


「私も一つ。こんな事を言うのはおかしいのかもしれませんが、あの靴で走るのは楽しかったです。身体に翼が生えたみたいで、どこにでも行けるような気がしました」


 その言葉に、曇っていた西園寺の表情が晴れる。


「当然だ! なんせこのボクの発明だからね! 君が望むなら、同じ物を作ってもいい。勿論その時は、メンテナンスも請け負おう」


 俺達はぎょっとするが、小暮先輩はにこやかに首を横に振った。


「その気持ちだけ受け取っておきます。皆さんのおかげで悪い呪いは解けましたから。これからはちゃん、地に足をつけて歩いて行こうと思います」

「そうかね。まぁ、同じものを作っても面白くない。君が元気ならそれで良しとしよう」

「小暮先輩。用事があるなら早く済ませて帰って下さい」

「おい白崎!」


 本当にどうしてしまったのか。

 いつもの底の見えない余裕はどこへやら。

 ふくれっ面で敵意剥き出し、ジト目で小暮先輩を睨んでいる。


「いいんです。学校一の美少女の白崎さんにライバルだと思って貰えてるなら、私にも少しくらいはチャンスがあるって事ですから」

「え?」

「ほら黒川きゅん! 聞いたでしょ! この女はそういう奴なの! きゅんの事これっぽっちも諦めてないの! どうにかして取り入って私から奪ってやろうって狙ってる危険な女なんだよ!」


 ぐるるる! と怒った猫みたいに白崎が威嚇する。


 そんなまさかと思うのだが、小暮先輩は否定も肯定もせず、ただ真意不明の笑みを浮かべるだけだ。


「これ、貢物です」

「ど、どうも」


 紙袋の中にはお歳暮みたいな四角い箱が入っている。ずっしり重い感触から察するに、ゼリーとか羊羹とか、そういった類のお菓子だろう。


「あー、小暮先輩。実はその、言い難いんですけど、ちょっと友達がダイエット中なんで、暫く貢物は控えてくれって枯井戸に伝えて貰えますか」


 甘い物以外認めないと言ってしまったのは俺なのだが、必死にダイエットをしている一ノ瀬の前でお菓子を受け取るのは気まずすぎる。晴れて友達になったわけだし、嫌われるような事はしたくない。


「はぁ? 変な気使うなし!」

「俺が嫌なんだよ。頑張ってダイエットしてるお前の横でお菓子なんか食えないだろ」

「黒川……」

「じとー……」

「ひっ!? だから、お前が気を使うとあたしが桜に怒られるだろ!?」

「むむ。これはもしかすると、三角関係という奴じゃないか?」


 小さな顎を撫でながら、西園寺が呑気な事を言う。

 俺としては、ただの板挟みだと思うが。


「大丈夫ですよ。一ノ瀬さんがダイエット中なのは知ってましたので。貢物はローカロリーのこんにゃくゼリーにしました。これなら食べても太りませんし、お腹も綺麗になっていいんじゃないかと」

「マジで!?」


 本当は甘い物が食べたかったのだろう。一ノ瀬が目を輝かせて包装を破く。箱には食べて痩せるダイエットスイーツと書かれていて、中にはフルーツ入りの美味しそうなカップゼリーが入っていた。


 ちなみに便宜上は俺に対する貢物という事になっているが、諸々の事件には一ノ瀬だって関わっているので、当然みんなで分け合っている。甘い物は友達と一緒に食べた方が美味しいしな。


「ねぇ黒川! 食べていい!?」

「食え食え。俺は普通のお菓子食べるから、全部やるよ」

「マジで!? やったあああああ!」


 大喜びで封を開け、備え付けのスプーンでこんにゃくゼリーを一口食べる。

 それっきり、一ノ瀬は黙り込んで動かなくなった。


「どうした一ノ瀬」

「美味しくなかったですか?」


 心配する小暮先輩を他所に、一ノ瀬の肩が震えだした。


「う、ぅぅ、うぇえええええん! おいじいいいいよおおおおぉぉぉぉお!」


 どうやら久々の甘味に感動していたらしい。

 俺も甘党だ。その気持ちは理解出来る。


「ありがとうございます小暮先輩。おかげで助かりました」


 わざわざ探してくれたのだろう。俺の中で小暮先輩の評価はうなぎ上りだ。俺としても、一ノ瀬が甘い物を我慢している姿は見てて辛かった。俺も甘い物が食べられなくて辛かったし、本当に良い物を持ってきてくれた。


「気にしないで下さい。皆さんには助けてもらった恩がありますから。一ノ瀬さんのダイエットが終わるまではこんな感じでダイエットに良さそうな貢物を持ってこようと思うんですけど、大丈夫ですか?」

「勿論ですよ。よかったな一ノ瀬!」

「うん! 小暮先輩マジ感謝! 見直しちゃった!」


 俺も同じ気持ちだ。やっぱりあれは、勉強疲れでおかしくなっていただけで、本当は優しくて気の利く人なのだろう。謙虚で威張らないし、実に良い先輩だ。


「アンちゃんも黒川君も騙されちゃだめだってば!? そんなのご機嫌取りの作戦に決まってるでしょ!?」

「白崎。いい加減失礼だぞ」

「そうだよ桜! いい先輩じゃん! ちょっと黒川に色目使われたくらいでそんな怒ったら可哀想だって」

「うむ。ボクも小暮君の事は気に入ったよ」


 いつの間にか、西園寺は小暮先輩の足元で気持ちよさそうに頭を撫でられている。

 まぁ、これも人徳という奴なのだろう。


 白崎に人徳がないとは言わないが、小暮先輩を邪険にするのはどうかと思う。


「だっておかしいでしょ!? なんで小暮先輩はアンちゃんがダイエットしてる事知ってるの!?」

「…………えっ」


 そういえばそうだ。


 小暮先輩は三年だし、一ノ瀬は友達が少ないからダイエットの事を知ってるのは俺達くらいだ。

 冷静に考えれば、知っているはずがない。


 怪談でも聞かされたみたいに、急に背筋が寒くなった。


 それはみんな同じみたいで、ぞっとした顔で小暮先輩に視線を向けている。


「別におかしい事はありませんよ? ちょっとネットワークを使っただけです」

「ネットワークって、なんですか」


 不気味なものを感じながら、どこまでににこやなか小暮先輩に尋ねる。


「知っての通り、オカルト部は実質的な大悪魔黒川教の本部です。そこには一年生から三年生まで、色んなクラスの冴えない子達が集まっています。石ころの下の虫のように目立たない、パッとしない子達です。だからみんな、自信を無くしています。自分達なんかいてもいなくても誰も気にしない、なんの価値もないゴミみたいな存在だって。私もその一人でした。でも、黒川君と出会って変わりました。あなたは私を見つけてくれて、私はあなたに光を見ました」

「……小暮先輩? なんの話ですか?」


 段々俺はこの人が怖くなってきた。


 淡々と告げる小暮先輩が、笑った顔の人形のように思えてきた。


「ネットワークの話ですよ。白崎さんに勝つ為には、私もそれなりの武器が必要だと思ったんです。教団には、以前の私のように自分に絶望した子が沢山いましたし。幸い私はこの通り、エロい身体をした冴えない顔の地味子でしたから。白崎さんの言う通り、そういう子達にはよくモテました」


 なにを言いたいのか、俺には全然分からない。

 だが、白崎は違ったらしい。


「……うわぁ。最悪。そんな事になるんだったら、小暮先輩にオカルト部紹介するんじゃなかったよ」

「なに桜!? わかったんなら教えてよ!」

「そうだぞ白崎君! 彼女の言う事は理解不能だ!」

「だから、ネットワークだよ。小暮先輩はオカルト部の姫になって、地味で冴えない空気みたいな部員を使って情報を集めさせてるの。うちのクラスにもオカ部の男子がいるから、その子に盗み聞きさせたんでしょ」

「マジかよ……」


 よくわからんが、ヤバそうな事だけはわかる。


「盗み聞きというのは人聞きが悪いですね。彼の前で勝手話して、それがたまたま聞こえてしまっただけでしょう?」

「よく言うよ! その子に私達の声を聞くように指示したのは小暮先輩でしょ!」

「まぁ、それは否定しません。いいじゃないですか、結果的に役に立ったんだから。一ノ瀬さんも喜んでくれたようですし。ねぇ?」

「ぇ、と、まぁ……」


 気味悪そうに一ノ瀬が頷く。


 気が付けば小暮先輩は、ターボ八尺女よりも恐ろしい存在になっていた。


「そんなに怖がらないで下さい。私はただ、黒川教の教義ドグマに従って迷える子山羊達に光を示したまで。黒川教の力が増したと、枯井戸さんも喜んでくれました。おかげ私も幹部として、栄誉ある貢物係につく事が出来たわけです。というわけで、もしなにか困りごとあったら、遠慮せずに頼って下さい。教団の耳であるこの小暮幸子が、いつでも力になりますから」


 そんな事を言われて、どう答えろと言うのか。


 俺が言うのもなんなのだが、小暮先輩の力を借りるのは、悪魔と取引をするような気がして恐ろしい。


「もう! オカ部でモテてるんならそっちで彼氏作ったらいいでしょ! とにかく、用が済んだら帰って下さい!」


 白崎の声が嫌な空気を中和する。


 俺もちょっと、小暮先輩はお腹いっぱいといった感じだ。


 それなのに。


「はい。用があるので帰りません。実を言うと、今日は黒川君にお願いがあって来たんです」


 それまでの全てが布石だったとでも言うように、小暮先輩の声が抗いがたい魔力を持って俺の耳に響くのだった。


――――――――――――――――――――――――――――


 姫な方はコメント欄にどうぞ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る