第20話 雄の本能を刺激する作戦

「ふぅ~……。ギリギリだったが、全メニュー制覇してやったぜ」


 九〇分のコースをフルに食べ切り、どっかりと尻を落ち着けたのは、レストラン街の休憩スペースにある長いソファー。

 長年の夢だったスイフェスを食いつくした達成感と全身を駆け巡る多糖感で、俺は珍しく上機嫌だ。


「ヤバいよね! 流石に全部は無理だと思ってたけど、黒川と張り合ってたらなんだかんだ食べれちゃったし。もうちょ~お腹パンパン! マジ妊婦。お腹出る服着て来なくてよかったし!」


 隣では、やり遂げた顔をした一ノ瀬が満足そうに膨らんだ腹をぽんぽこ叩いている。

 俺も似たようなものだろう。ベルトの穴を三つも緩めている。


「で、この場合勝負はどうなるんだ?」

「そんなの決まってんじゃん」


 一ノ瀬がニヤリと笑う。


 俺はこの女がどさくさに紛れて勝ちを主張するんじゃないかと警戒した。

 だが、それは無駄だ。一ノ瀬は「そんなに欲しそうな顔するなら譲ってやるし」とか言って俺にショートケーキのイチゴやチョコケーキの上のプレートを押し付けている。その分だけ、俺の方が僅かに多く食べているのだ。


「全メニュー食いつくしてやったんだから、あたしら二人の勝利っしょ!」


 ニカっと白い歯を剥き出しにして、一ノ瀬がブイサインを向けてきた。


「…………フン。今日の所はそういう事にしておいてやる」


 本当は俺の勝ちなのだが、今は珍しくいい気分だし、スイフェスに免じて見逃してやる。


「はいはい。ったく、ほんとお前、素直じゃねぇのな」

「うるせぇ」


 ニヤつく一ノ瀬を睨みつける。

 一ノ瀬はやれやれという感じで肩をすくめた。


「あー、また二人でいちゃいちゃしてる!」


 トイレから戻ってきた白崎がむくれた顔で言った。


「結局食べ放題の間、私の事完全放置だったし」

「いちゃいちゃなんかしてねぇよ」

「ごめんって桜ぁ! スイフェスは甘党の楽園だし、つい夢中になっちゃったんだって! 黒川なんか全然タイプじゃないし! てか、あたしのタイプは桜だけだし!」


 白崎は腰に手を当て怒った顔をしていたが、急にころりと笑顔になった。


「まぁいいでしょう。私もアンちゃんに黒川きゅんの事分かって貰いたくてスイフェス選んだんだし。二人が仲良くなってくれたなら、連れてきた甲斐はあったかな」

「別に仲良くなんかなってねぇよ」

「天邪鬼の黒川きゅんには言ってませ~ん」


 ツンと明後日の方を向くと、白崎が一ノ瀬に尋ねる。


「どうアンちゃん? 少しは黒川きゅんの見る目変わった?」

「……まぁ、確かに噂で聞いてる程悪い奴じゃなさそうだけど」


 バツが悪そうに頬を掻き、もごもごと一ノ瀬は言う。


「でも、桜の彼氏に相応しいかは話がべつ! あたしはまだ、黒川の事完全に認めたわけじゃないし!」

「まぁそれは今後に期待という事で。この後どうしよっか?」


 あっさり流して白崎が話題を変えた。


「言っとくが、俺はしばらく動けねぇぞ」


 なんなら満腹で眠くなってきたくらいだ。


「ごめん桜。あたしもすぐは無理かも……」

「別にいいよ。二人とも負けず嫌いだし、こうなるかもって思ってたから。漫喫で二時間くらいお昼寝して仕切りなおそっか。私もお腹いっぱいでちょっと眠いし」


 ふぁ~っと、白崎が小さな口で欠伸をする。


「賛成!」


 無駄に元気よく一ノ瀬が手を上げる。

 俺は鼻を鳴らして同意の意思を示しておいた。


 †


 そういうわけで同じビルの上の階にある漫喫にやってきた。


 ちなみに漫喫に来るのは初めてなのだが、バレたら恥ずかしいので諸々の手続きは白崎に任せておく。


 その間俺は入口のガチャガチャを眺めていた。一ノ瀬のパーカーにプリントされているものと同じマスコットのキーホルダーのガチャガチャがあった。お餅アニマルシリーズというらしい。ウサギの奴は餅ラビさんというそうだ。かなり可愛い。超欲しい。だが、恥ずかしいので我慢しておく。


 白崎に呼ばれたので後を追う。


 なるほど。これが漫画喫茶か。薄暗い室内に漫画の詰まった本棚が迷路みたいに並んでいる。ダンジョンみたいでちょっと楽しい。暗くて静かな点も俺好みだ。


 途中にはドリンクバーやフローズンシェイク、ソフトクリームの機械が置いてある。


 ……楽しそうだ。特にソフトクリームマシン。自分で作っていいのだろうか? 物凄く気になる。使う時はどうするんだ? 店員さんに言った方がいいのだろうか。お金は払うのか? 


「あーあー。お腹いっぱいじゃなかったらな~」


 ソフトクリームマシンを横目に口惜しそうに一ノ瀬が言う。

 まったくもってその通りだ。

 いや、ソフトクリームの一つくらいまだ入るか?

 気が付けば、白崎が例によって俺を見ている。


「……なんだよ」

「食べたいんでしょ」


 もう! なんでこの女はいちいち俺の心を読んでくるんだ!


「嘘だろ!? 黒川、まだ食う気!?」

「……ふっ。その辺が俺とお前の甘党としての格の差だな」


 折角なので乗っておいた。

 ソフトクリームを食べる事もそうだか、この機械で自分で作ってみたい。


「黒川きゅん、この機械使った事ないでしょ? 使い方教えるついでに私が作ってあげる! そこのカップをここに構えて、ここのレバーを引いたら~、ほら! うんちみたいにむりむり~って出て来るから、後はくるくる~って巻くだけだよ。簡単でしょ?」


 ……ぇ、なんでお前がやっちゃうんだよ。

 しかもうんちってなんだよ。食う気失せるわ。下手くそだし。甘い物嫌いだし絶対お前も慣れてないだろ!


 カップに入ったぐちゃぐちゃのソフトクリームを受け取ると、俺は無言でかきこんだ。


「あ、あれ? 黒川きゅん、なぜに怒ってるの?」

「あれだって。こいつ、自分でソフトクリーム作りたかったんだろ」

「あー……」


 やっちまったという顔をすると、白崎は気まずそうな笑みを残して場所を譲った。


「……別にソフトクリームなんか作りたくねぇし!」


 本当は超作りたい。でもこれ以上はマジで一口も入らない。


「あぁん、ごめんてば! わざとじゃないの! 良かれと思ったの~!」


 そんなこんなでドリンクバーコーナーを通過し、点々と扉の並んだ細い廊下にやってくる。

 表にあったオープン席ではなく、鍵付きの個室を借りたらしい。


「ここだよ」


 扉の前で白崎が言う。

 中は結構広かった。ベッドみたいなデカいソファーが大半を占め、右手にはパソコンが二台並んだテーブルが置いてある。という事は、ここは白崎と一ノ瀬の部屋か。


「俺の部屋はどこだよ」

「ここだよ?」

「?」


 即答されて疑問符が浮かぶ。

 一ノ瀬に視線を向けると微妙な顔で言ってきた。


「桜に丸投げしたお前が悪い」

「あぁ?」

「ファミリールームなの。デートだし、三人仲良く川の字でお昼寝しましょ」


 ニッコリと、性悪女が天使のような笑みを浮かべる。

 …………またやられた。


「ふざけんな! 女なんかと一緒に寝られるか!」

「女なんか! 男女差別! 男女差別!」

「差別じゃねぇ! 区別だ! 一ノ瀬も、黙ってないでなんか言えよ! お前だって俺なんかと寝たかねぇだろ!?」

「そーだけどさ。あたしは基本桜の味方だし、デートに割り込んでる身じゃん? 食べ放題でも桜からあんた取っちゃったし。文句言える立場じゃないっしょ」

「言えよ! 親友だろ!? 俺は男でお前らは女なんだぞ!?」

「恋人だからセーフだもん!」

「恋人じゃねぇからアウトだよ!」


 白崎には何を言っても無駄だ。

 物事を自分の思い通りにしないと気が済まない自己中女なのだ。

 だからどうにか一ノ瀬を説得する他ないのだが。


「どうせ桜には言っても無駄だし。だったらここで黒川が桜に手ぇ出さないか見張ってる方がマシっしょ。黒川が彼氏で大丈夫か見極めるいい機会だし」

「どこがだよ!?」

「あたしが見てる前でも桜にエロい事するようなスケベ野郎なら不合格って事。桜がなんと言おうが、そんな奴あたしは絶対彼氏とは認めないし。桜だって黒川がそんな奴なら冷めるだろ?」

「私は一向にかまわんッ!」


 クワァッ! っと白崎が断言する。


「俺は構うんだよ!」

「ちょ、桜ぁ!?」

「だって~、こんなに嫌がる黒川きゅんが本能に負けて私に手を出しちゃうの、それはそれでアツくない? 自己嫌悪でぐちゃぐちゃになってる所を優しく癒してあげたい気も……。あと黒川きゅん、結構真面目系だから、手なんか出したら絶対責任取ってくれると思うし。既成事実上等!」


 ブイ! っと両手をチョキにする白崎。


「……本当にお前、最悪だな」


 しかもそれ、本人の前で言うか? やっぱり俺の心を弄ぶのが目的って事じゃねぇか! 一ノ瀬だってドン引きしてるぞ!


「桜ぁ!? 本当にどうしちゃったの!? そんなキャラじゃなかったじゃん!」

「ごめんねアンちゃん。恋は人を変えるんだよ……ていうか、別に私って前からこんな感じじゃない?」

「そうだけど……そうだけど!」


 そうなのかよ……。


「付き合いきれるか! 俺は別の部屋で寝るからな!」

「逃げるんだ?」

「あぁ?」


 その言葉に、思わず俺は振り返ってしまう。


「ただ同じ部屋で横になってお昼寝するだけだよ? 何が問題なの?」

「それは……」


 色々問題だろ! 具体的には、恥ずかしくって口には出せないが。

 口ごもる俺を見て、白崎がニンマリと笑う。


「私は何も問題ないと思うけど。でも黒川君は問題だって思ってる。エッチな事考えてるって事じゃない?」

「考えてねぇよ!」

「じゃあ平気でしょ? やましい事はなにもない。私とアンちゃんが可愛すぎて黒川きゅんがイケナイ気持ちになっちゃうって言うんなら話は別だけど」

「……はぁ? 誰がお前らみたいなクソブスどもで変な気持ちになるか!」

「じゃあ三人で寝られるよね?」

「うぐ……」


 安っぽい挑発、見え見えの罠なのはわかっている。

 それでも、こんな風に舐められて、挑まれたのなら後には引けない。

 それは逃げになり、白崎に負けた事になる。


「……当たり前だろ」


 俺の言葉に、白崎は挑発的な気配をおさめて飛び跳ねた。


「わーいわーい! 黒川きゅんとお昼寝だー!」

「はぁ……。だからさぁ、桜に口で勝負したって無駄なんだって……」

「うるせぇ! 俺は勝負に乗ってやっただけだ。それでなんでもないって事を証明すれば俺の勝ちだろ!」

「そうそう」

「はいはいそうだな」


 くそ、舐めやがって! 確かに白崎は超絶美少女だし、一ノ瀬はムッチムチでエッチな身体をしている。客観的に見ればそれは事実だ。だが俺は負けない。負けて堪るか! そんな見た目だけの可愛さとかエロさなんかには絶対に屈しないからな!


 覚悟を決めると、俺は部屋の真ん中に仰向けに寝転がる。

 ……普段は横になって丸まって寝ているから変な感じだ。


「あ、黒川君が真ん中なんだ」


 言われて気づく。これでは白崎と一ノ瀬に挟まれてしまう。

 けど、今更どっちかに寄ったらマヌケだ。


「……お前ら二人相手にしたって余裕って事だよ!」

「え~、あたしは嫌なんだけど……」


 げっそりと一ノ瀬が言う。

 うるせぇ! 知るか!

 俺は無視して目を閉じる。


「うぇっへっへ。それでは、しつれいしま~す」

「ちぇ。どうせなら桜の隣がよかったし」


 白崎が右側に、一ノ瀬が左側に並んだ。


 目を閉じていても、いや、閉じているからこそだろうか。両側から否応もなく二人の存在感が伝わってくる。例えば体温。白崎はほんのりと、一ノ瀬はむわっと暑い。例えば気配。白崎はちょこんと、一ノ瀬はどっしりしている。例えば体臭。白崎はホットミルクのように甘く、一ノ瀬は野性的だ。


 まるで違う正反対の女の気配に挟まれて、俺は頭がくらくらした。

 それ以上に、胸がドキドキする。俺自身が心臓になって弾けてしまいそうだ。

 鼓動の音が聞かれるような気がして、俺は必死に静まれと自分の胸に命じる。


 なんとなく、左側に違和感を覚えて薄目で確認する。

 すぐ横に一ノ瀬の顔があった。

 なにを考えているのか、一ノ瀬は俺の方を向き、スペースが許す限り身体を丸くして寝ていた。


「……おい。なんでこっち向いてんだよ」

「……しょうがないじゃん。あたし、横向きじゃないと寝れないタチなの。それに、お腹いっぱいで苦しいし。この方が楽なんだもん」


 不貞腐れたように言う一ノ瀬は、びっくりする程顔が赤くなっていた。こいつ、白崎しか眼中にないみたいな顔して、照れてんのか?


「……ジロジロ見んなし。恥ずかしいだろ」


 俺はもう、完全にテンパっていて反射的に憎まれ口を叩くだけだ。


「……赤くなってんじゃねぇよ」

「……しゃーないじゃん。あたしだって、男と同じ部屋で寝るのなんて初めてなんだから。黒川の事なんかなんとも思ってなくても、恥ずかしいのは恥ずかしいし……」


 それを聞いて、俺はちょっと安心した。

 どうやら恥ずかしいのは俺だけではないらしい。

 フンと鼻を鳴らして視線を天井に戻す。

 今度は右側に強烈な視線を感じた。


「……なんでお前もこっち向いてんだよ」


 一応確認したら、白崎がニコニコしながら俺を見ていた。


「実は私も横向きじゃないと眠れなくて。食べすぎちゃってお腹も苦しくて」

「嘘こけ! お前は絶対わざとだろ!」

「ぶー! なんで私ばっかり疑うの!」

「お前は前科がありすぎるんだよ!」

「でも今回は本当かもしれないでしょ!」

「じゃあ聞くが、本当なのか?」

「ううん嘘」


 ジト目で睨むと白崎はあっさり白状した。


「お前はなぁ!?」

「だってなんかアンちゃんと甘酸っぱい感じになってるんだもん! あと普通に黒川きゅんの寝顔眺めてたいし!」

「うるせぇ! いいから普通に寝ろ!」

「は~い」


 不貞腐れた感じで白崎が仰向けに身体を直す。


 見た目だけは超絶美少女の白崎だ。そんな奴の顔がすぐ横でこっちを向いていたらとてもじゃないが眠れない。

 まぁ、どっちにしたってこんな状況じゃ眠れないのだが。


 目を瞑り、仰向けの状態で時が過ぎるの待つ。

 すぐ横には女共が寝ているので寝返りも打てない。


「くー、かー。くー、かー」


 程なくして一ノ瀬が軽くイビキをかきだした。

 ……俺を見張ってるんじゃなかったのか?


「う~ん、うぇへへ、もう食べられないってばぁ……」


 いや、リアルでそんな寝言言う奴いるかよ!


「……ん、ぁん、桜、だ、だめぇ、そんな所、触ったら……」


 暫くして、一ノ瀬が喘ぎ出した。かなりガチな感じで。どんな夢を見ているのか、想像もしたくない。身体を丸めて、ぴくぴくと小刻みに震えているのが余計に嫌だ。勘弁してくれ、俺には刺激が強すぎる!


「んぁ、ぁあ、桜ぁ!」

「――んむっ!?」


 寝ぼけた一ノ瀬が抱きついてきた。無駄にデカい乳の間に俺の顔を挟み込むようにして。パーカーの内側で蒸れた体臭が俺を襲う。嗅ぎたくないが、人間は息をしなければ死んでしまう。

 勿論俺は抵抗するが、一ノ瀬はバカ力だし、変な所には触りたくないのでなかなか抜け出せない。


「桜ぁ、桜ぁぁああ……あへへへ……」


 ひとしきり俺の身体を抱きしめまくると、一ノ瀬は俺を離して逆側に寝がえりをうった。

 今度はバカでかいケツに押し出される。


「し、死ぬかと思った……」


 不本意ながらくらくらしていると、今度は白崎が右腕に抱きついてきた。

 縄登りでもするように、全身でがっちり挟み込まれる。

 右手の甲が内ももに触れて、俺は意識が飛びかけた。


 顔だって近い。白崎は吐息がかかる距離で、幸せそうに寝息をたてている。

 そしてふと、寝言を言った。


「……ん~、むにゃむにゃ。黒川君、だ~い好き」

「…………いや、お前、起きてるだろ」

「…………ぐー」

「ほら! ぐーって言った! 絶対起きてんだろ!? 離れろよ! てか、セクハラだぞ! お前の方が俺に手ぇ出してんじゃねぇよ!」

「だって黒川君! アンちゃんに抱きしめられてビクビクしてるんだもん! そんな事、私だってまだしてないのに! これじゃあ黒川君と添い寝してあとで思い出してドキドキして貰う作戦が台無しだよ! だから私で上書きしたの! ドキドキしたでしょ?」

「するかバカ!」

「いやいや、流石にこれでしなかったら健全な男子高校生として異常だよ?」

「わかってるんなら変な事するんじゃねぇ!?」

「んああああ! うるさいし! 寝れないじゃん!」


 一ノ瀬のデカ尻に押し出されて、俺と白崎はソファーの上から転げ落ちた。


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