第16話 漆黒の外套

 はっきり言って後悔していた。


 クソビッチツインズの言う通り、俺は惨めなボッチのクソ童貞だ。デートの経験は勿論、人から聞いた知識すらない。漫画やアニメだってその手のラブコメはムカつくから避けている。つまり俺にはデートの知識が皆無なのだ。


 どうすりゃいいんだ? なんで俺はあんな安っぽい挑発に乗ってしまったんだ? 思い返せば見え見えだっただろうが。アホか俺は? アホなのだろう。けどあの時は頭に血がのぼっていた。それに白崎のクソバカと一ノ瀬のクソアホにあそこまでボロクソに言われて無視できるほどクールな人間じゃない。というか俺は全然クールじゃない。悪魔みたいな顔をしていても中身は血の通った普通の人間なのだ。そんな風には誰も扱ってくれないが、俺だってムカつくし傷つく心を持っているのだ。


 ……腐っていても仕方ない。とにかくあれだけ大見得を切った以上逃げも隠れも出来ない。ダブルデートとやらでどんな目に合わされるか知らないが、その場で上手く対処して乗り切るしかない。


 開き直ったと言うよりは諦めの境地だ。諦める事には慣れている。諦めてばかりの人生だ。醜い嫌われ者の俺には思い通りになる事なんてほとんどない。あれもこれも諦めて、それでようやくささやかな平穏を手に入れられ程度だ。それすらも、悪魔のようなあの女に取り上げられた。


 それでもまだ、あの地獄のような惨めな日々には堕ちていない。堕ちてたまるか。それだけは嫌だ。毎日死ぬことばかり考えていたあんな日々には戻りたくない。もしそうなったら、今度こそ俺は自分自身に愛想を尽かしてポッキリ折れてしまうだろう。


「どうしたの、玲君? なんだか元気がないみたいだけど?」


 夕食時だ。目の前の母親が心配そうに聞いてくる。


 元気がないのは当然だ。俺は基本的に土日は家に引きこもっている。電車に乗れば痴漢に間違われ、その辺を歩いているだけで職質される。いい事なんか一つもない。そんな俺が休日に長時間外に出なければいけない。それだけでも憂鬱なのに、その事を母親に報告しなければいけない。何も言わずに留守にしたら、母親は俺が自殺でもするんじゃないかと思って釘バット片手にバイクにまたがり俺の名を叫んで街中を駆けずり回りかねない。


 だが、なんと言えばいい? ありのままの事実は言えない。そんな事をしたら乱心した母親が二人を血祭りにあげてしまう。当然刑務所行きだ。あのビッチ共にそんな価値はない。ヤルなら俺が自分で始末をつける。


 だから前回みたいに友達と遊びに行くという事にするしかない。けど、それだって大変だ。この前はちょっとゲームをすると言っただけなのに翌日には超高級水冷パソコンが俺の部屋にやってきた。今回もきっと大事になるだろう。


 それが分かっていたから、言わないといけないと思いつつ、俺はなかなか話を切り出せずにいるのだった。


「……いや、別に、元気がないわけじゃないんだけどさ」


 いいタイミングと言えばいいタイミングだ。

 それでも踏ん切りがつかず、俺の口は重くなる。

 母親はそんな俺を心配そうに見つめると、ハッとして表情を曇らせた。


「……もしかして、お友達と喧嘩した、とか? ……ご、ごめんね! 変な事聞いちゃって! べつに、言いたくないなら言わなくていいのよ! 玲君の良さが分からないような人間未満のゴミ畜生の話なんて、お母さんも興味ないから。でも、そいつの名前と住所には、ちょっと興味があるな~なんて」


 母親は笑っているつもりなのだろうが、俺にはそんな風には見えなかった。誰の目にも見えないだろう。目はギラギラと輝いて、口元は憤怒を堪えるようにギリギリと歯軋りをしている。もし白崎の住所を伝えたら、ちょっとトイレとか言って釘バット片手にバイクでゴーだ。


「ち、違うよ! その、今度の日曜、いつもゲームしてる子とその友達とで、三人で遊びに行く事になっちゃってさ。母さんには、言っておいた方がいいかなと思って……」


 勇気を出して俺は言った。

 案の定、母親はかなりのショックを受けらしい。


「か、母さん?」


 やはり大事になってしまった。

 動かなくなった母親の顔の前で手を振っていると、母親は虚ろな顔をしたまま突然渾身の力で自身の横面を引っ叩いた。

 あまりの勢いに、そのままばたんと椅子から転げ落ちる。


「母さん!? なにやってるの!?」

「ご、ごめんなさい。玲君がお友達とお出かけなんて……。しかも、新しい友達まで出来ちゃうなんて、夢みたいだったから……」


 起き上がった母親は、まだ幾分か朦朧としていた。

 叩いた頬が、掌の形に赤く腫れている。


「いや、まぁ、俺だってそう思うけど……」


 実際、夢みたいな話だろう。

 というか、嘘なのだが。


「とにかく、そういう事だから。友達とは上手くやってるし、母さんが心配する事は何もないから!」

「……う、うぅぅ、ぅぅ、おぇぇえええ!」


 泣き出したと思ったら、母親は急にえずきだした。


「母さん!?」

「だ、大丈夫よ。嬉しすぎて、ちょっと吐きそうになっただけだから」

「そんなに!?」

「当たり前じゃない! この世界に玲君の良さを分かってくれる真っ当な人間が二人もいたんだもの! あぁもう、先に知ってたらお母さん、ケーキを焼いてお祝いしたのに!」

「いや、大丈夫だよ。お祝いならもう、散々してくれただろ?」


 白崎と一緒にゲームをする事になった翌日から三日間、母親は玲君祭りと称して俺の為にケーキやパイ、タルトやクッキーなんかを作りまくっていた。


 母親の作ってくれるお菓子は大好物だから嬉しいが、母親には仕事がある。俺の為に手間のかかるお菓子ばかり作っていたら疲れてしまう。実際三日目には、母親は寝不足で酷い顔になっていた。それで、必死に頼んで玲君祭りを止めてもらったのだ。


「それよりも、お友達と遊ぶならお小遣いがいるわよね? とりあえず、十万もあれば足りるかしら?」


 母親はエプロンから財布を取り出し、一万円札の束を差し出す。


「いいよ!? お小遣いなら十分貰ってるから!?」

「遠慮しなくていいのよ? お母さんこう見えて、沢山スパチャ……コホン。物凄く稼いでるんだから」

「高校生が遊ぶのにそんなにお金使う事ないから! 友達だって引いちゃうだろ!?」


 俺はただ、母親を落ち着かせたい一心だったのだが。

 俺の言葉に母親はショックを受けたらしい。

 虚ろな顔になり、今度は逆の頬を張り倒す。


「母さん!?」

「ごめんなさい玲君……お母さん、一人で勝手に浮かれちゃって、玲君の事なんにも考えてなかった……お母さんは悪いお母さんだわ。お母さん失格よ!」

「そんな事ないから! 母さんは俺の自慢の最高の母さんだから!?」

「あぁ……玲君はなんて良い子なの? こんなお母さんを許してくれるなんて……」


 うっとりと母親が俺を見つめる。

 俺はただただ申し訳ない気持ちでいっぱいだ。感謝するのは俺の方で、許しを乞うのも俺の方なのだ。母親はこんなに美しく立派なのに、俺は醜い出来損ないだ。誰にも自慢できない、恥ずかしい息子なのだ。


「許すもなにも、母さんは何も悪い事なんかしてないだろ? いつも俺の為に頑張ってくれてるじゃないか。だから、そんな事言わないでよ」

「ありがとう玲君……。その言葉だけでお母さん、世界とだって戦えるわ!」

「戦わなくていいから! とにかく、落ち着いてよ!」

「えぇ、そうね。落ち着いて考えないと。すーはー、すーはー、すー、ハァアアアアア!?」


 大きな胸を上下させ、大袈裟に深呼吸する母親。

 その途中で、いきなり金切り声を上げた。


「今度はなに!?」

「お洋服よ!? あぁ、どうしましょう!」

「服がどうしたのさ!」

「だって玲君、ウニクロのジーパンとパーカーくらいしか持ってないじゃない!」


 その通りだ。外出する事なんかほとんどないし、お洒落をした所で見せる相手もいない。だから俺はラフな服しか持っていない。


「別に大丈夫だろ? 友達と遊ぶだけなんだから」

「ダメよ! 思春期の高校生なんか自意識の塊なんだから! 毎月せっせとファッション誌を買い込んで、流行りの服を着てマウントを取り合うの! 髪の毛をワックスでベタベタにして、痛いのを我慢して髭を抜いて、眉毛を細く整えて、隙あらば鏡をチェックしないと気が済まない生き物なのよ!」

「そんな大袈裟な……」


 まぁ、母親の言いたい事も分からないではない。どこのクラスにも、そういうすかした奴が何人かいて、ファッションリーダーを気取っているものだ。


「玲君だって中学校の頃はそんな感じだったでしょ? 毎朝早起きして三十分くらい洗面所にこもって髪の毛弄ってたじゃない!」

「わー! 母さん、言わないでよ!?」


 黒歴史を掘り返されて、俺は死にたくなった。

 俺がまだ、己の醜さに開き直れず、見苦しく足掻いていた頃の話である。


「とにかく、ウニクロのジーパンとパーカーじゃ駄目よ! いくら玲君のお友達が良い子だとしても、舐められちゃうわ! 普段制服で過ごしている学生にとって、休日に私服で遊ぶのは、本当の自分を表現をする貴重な機会なんだから! 学校一の人気者のイケメンだって、ダサい恰好してたらお笑い種よ! 権威失墜、スクールカースト降格間違いなしよ! ぶるるるるるー!」


 早口でまくし立てると、母親は唇を震わしながら親指を下に向けた。


「わかったよ! それまでに新しい服を買っておくから、それでいいだろ?」

「駄目よ! 玲君、自分でお洋服買うの慣れてないでしょ? 自分で選んだら、酷い恰好になっちゃうわ!」

「そんな事ないって。中学校の頃は結構自分で買ってたし」

「だから言ってるの! お母さん、後悔してるのよ? あの時お母さんが服を選んでたら、もうちょっと違った結果になってたんじゃないかって……」

「……ぇ? 俺、そんなに酷い恰好だったの?」


 母親は沈黙し、物悲し気に視線を下げた。


「……で、でも、俺だってもう高二だし。あの頃よりはファッションセンスも上ってるって!」

「いいえ。むしろ下がってるわ。別にお母さん、漫画やアニメを悪いとは言わないけど。お母さんだって、そういうのは大好きだし。でも、玲君の好みの作品を見てると……」

「どういう意味?」

「これ以上は、お母さんの口からはとても言えないわ。残酷すぎるもの……。そうね、それじゃあ、こうしましょう」


 と、母親はタブレットを差し出した。


「これはモモタウンっていう有名なファッション通販サイトよ。選んだ服を仮想のマネキンに着せてコーディネート出来るの」

「へぇ。そんなのがあるんだ」


 便利な話だ。それなら出不精の俺でも服を選びやすい。大体俺は、服屋というのが大嫌いなのだ。お洒落な格好をした顔の良い店員を見ていると、見下され、バカにされているような気分になる。お前みたいな醜い奴がうちの服を買いに来たのか? ぷ~くすくす! って感じで。あと、なんか馴れ馴れしい奴が多いし。大人相手に敬語を使えなんて生意気な事は言わない。ただ、放っておいて欲しい。用があればこっちから話しかける。それでいいだろ?


「そうなの。それで、玲君が自分で服を選んでみて、それで問題なければ、お母さんもお節介を言うのは止めにするわ」

「別に、お節介だなんて言わないけど。俺ももう高校生だし、自分の服ぐらい自分で選べるよ」

「だといいわね……」


 遠い目をして母親が呟く。

 ……そりゃ、迷惑ばかりかけてきた俺だ。

 母親には、かっこいい姿など一つも見せれてはいない。心配されるのも当然だろう。


 けど、俺にだって意地はある。息子である以前に、俺は一人の男なのだ。不出来な息子だが、俺なりに迷惑をかけないように頑張っている。洋服を選ぶくらい、なんて事はない。


 ここは一つ、ビシッといかしたコーデを決めて、成長した俺の姿を見せて驚かせてやろう。


 それにしてもこのモモタウンというサイトは、本当に色んな服を扱っている。

 これなんか、ソードスターオンラインのカイトのコートみたいで超かっこいい。


「へぇ! こんな服もあるんだ!」

「……ん~、お母さん的には、それはちょっと、どうなのかなぁ……」


 口を挟む母親をジト目で睨む。


「……はい。余計な口は挟みません」


 お口にチャックのジェスチャーをする母親。


「母さん。俺だって、アニメのキャラの恰好を真似たらまずい事くらいわかってるよ」

「そ、そうよね。安心したわ」

「こういうかっこいいのはみんな真似て被るからね。オリジナル要素を足さないと」

「あぁ!? この子、なにもわかってない!?」


 母親が頭を抱えるが、なにか変な事を言っただろうか?

 まぁ、いつの時代も、若者のファッションセンスというものは大人には理解されないものだ。

 気にせず俺は服を選び、最強のコーディネートを完成させる。


「出来た! どう、母さん? いかしてるだろ?」


 ふっふっふ。我ながら、自分のファッションセンスが恐ろしくなる。

 母親も、あまりの格好良さに言葉が出ないようだ。


「………………えーと、これは、どういうテーマなのかしら?」

「見ての通り、アサシンだけど」

「アサシン」

「うん。かっこいいと言えばアサシンだろ? 闇に紛れて標的に近づき、一撃必殺! クールなのに目立たないから、俺にはぴったりだ」


 俺が選んだのはアサシン風のフードコートとポケットが沢山ついたズボン、先の尖った厳つい革のブーツだ。特にコートがお気に入りで、背中にはマント、口元は覆面風の飾り布がついている。これなら俺の醜い容姿を隠す事も出来る。


「そ、そう。でもこの服、真っ白よ?」


 額に浮かんだ大粒の脂汗を拭いながら、震える声で母親が言う。

 俺の成長を喜んでくれているのだろう。


「流石母さん! そこに気付くとは、いいセンスしてるね。アサシンと言えば普通は黒だろ? だから俺は、あえて逆の白を選んだのさ。これなら万が一被っても、俺の方が上って感じがするだろ?」

「こんな格好が被るのはコスプレ会場くらいのものだと思うけど……」

「え。駄目だった?」


 純粋に不思議に思って尋ねると、母親は物凄く心苦しそうに俺の目を見返した。そして、なにか言いたいけれど、どうしても言葉に出来ないというような顔で暫く悩んだ。

 やがて母親は何かを決心して、俺に言った。


「玲君。悪い事は言わないから、今回はお母さんに任せてちょうだい……」

「いや、でも」

「お願いだから!」


 悲痛な哀願が母親の顔を覆っていた。


「お母さん……玲君が折角できたお友達に笑われてほしくないの……」

「わ、わかったよ……母さんに任せるから、そんな顔しないでよ……」


 不本意ではあるが、母親のたっての頼みとあらば断われない。

 この組み合わせを越えるコーデなど早々ないだろうが。

 日頃から迷惑をかけまくっている俺である。

 若干過保護すぎるような気もするが、ここは俺が大人になり、譲っておこう。


「それはそれとしてさ、この服買ってもいい?」

「絶対駄目! 玲君にモモタウンは早すぎたわ! 今後お洋服を買う時は先にお母さんに相談する事!」



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