#13 9月28日 残業/朗報/距離
いつも以上の残業となったその日の仕事を終えた休憩室にて。純粋に肉体労働の多い日で、疲れ切っていた。
退勤処理は終えていたけれど、一度座ってしまったためにしばらく立ち上がれない。無為にスマートフォンを眺めながらぼんやりしていた。早く立ち上がって帰ったほうが良いと理解はしているのだけれど。明日は湊咲の来ない休日だから、多少遅くなっても問題ないのも気だるさに拍車をかけている。
休憩室の扉が開いて、太田さんが入ってきた。
「鈴川さん、まだいらっしゃったんですね」
もう太田さんが上がる時間になったのかとシフト表を思い出す。本当にぼんやりしてしまっていたことを自覚して、内心の一部でうんざりする。
「ちょっといいですか」
なにやら神妙に切り出されたが、どうにも思考が切り替わらない。うまく会話をできる状態になれるかどうか分からなかったが、断る事もできず。曖昧にうなずきを返した。
「報告させてもらいたいことがあって」
店の方で何かあったのだろうか、と思わず身構える。今日はもう何もしたくない。
「実はその、ある出版社から内定をもらいまして」
ああ、それは。
「おめでとう。良かったね」
掛け値なしに喜ばしい話だ。
「ありがとうございます」
太田さんも溢れるように微笑んでから、頭を下げた。
「鈴川さんにも、色々助けていただいて」
「私は何もしてないよ」
「色々、愚痴とか聞いてもらってましたし」
まぁ、確かに。仕事の合間で話を聞いたりしていた。しかしそれくらいだ。有用な話もなにもできていない。
「かなり助かってましたからね」
「それは、じゃあ、どういたしまして」
大したことをした記憶はないので、どんな表情をしていいのか少し困る。照れくさいのは確かだけれど。
「年の近い友人とか、親とか……そういう人たちは近すぎて」
ピンときていない私に向けて、太田さんは言葉を探しながら続ける。
「ちょうどいい距離感で話を聞いてくれる人が居てくれただけでありがたかったんですよ」
聞き流すしかない相手の方が話しやすいというのは、確かにそうかもしれない。聞くにしても話すにしても気楽ではあるだろう。
なんて話をしていたら、閉店作業を終えたらしい店長も戻ってきた。
「あれ? 二人ともまだいたの?」
「ああ、すみません」
慌てて立ち上がり、いそいそと帰宅する準備に取り掛かる。
流れのままに店を出て、太田さんとも店長とも帰る方向は違う。疲れた筋肉に鞭打って、足早に帰路を歩く。
もう夏とはいえない、冷え始めた夜の温度の中。
太田さんには今度、ちょっとしたお祝いでも渡そうか、なんてことを考えていた。
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