第70話 女子部屋への来訪者
この旅館の部屋の出入口は普通の洋風の扉になっていて、部屋との間に襖がある構造になっている。
「誰だろ?」
「先生じゃない?」
お姉ちゃんなのかなと思いながら扉の方を見ていると、扉から一番近くにいた先輩が立ち上がって扉の鍵を外して開けた。
「あれ?阿島君?」
どうやらお姉ちゃんではなくて、臨時合唱部員の一人、阿島君みたいだった。
阿島君は全体的に優しい雰囲気で、ブラウンの髪色をした同学年の生徒だ。みんなはイケメンと言って、私も阿島君は見た目はかっこいいほうだと思うど、やっぱり真人君が一番かっこいい。
でも、阿島君が女子の部屋に一体なんの用なんだろう?
阿島君から要件を聞いた先輩が戻ってきた。
「綾奈ちゃん、阿島君が呼んでるよ」
「えっ!?」
用があるのが私と知り、びっくりした。
阿島君とは別のクラスで、部活で顔を合わして、彼の方からよく話しかけてくれる間柄で、阿島君は臨時の部員なので大会が近くならないと部活に参加しないのに……。
「はぁ……なんの用かは大体知れてるけどね」
ちぃちゃんはそう言うと、おもむろにスマホを手に持って誰かにメッセージを送っていた。
正直私も阿島君の要件は何となく察していたけど、ここまで足を運んでくれた手前、無視をするのは気が引けたので、部屋の扉の前で待っている阿島君の元へと向かった。
「ごめん西蓮寺さん。急に部屋に来て呼び出してしまって」
「ううん、大丈夫だよ。それで要件って何かな?」
そう言いながらチラッと後ろを見ると、皆が襖の傍で聞き耳を立てているのがわかった。ほぼ全員そこにいるから気配が伝わってくる。
「うん。明日の自由行動って、予定は決めてる?」
「うん。明日はちぃちゃんとちょっと行きたい所があるんだ」
「そうなんだ。……えっと」
阿島君が言い淀んでいる。出来ればさっきの一言で諦めてほしかったんだけど、そういう訳にもいかないみたい。
「その、悪いんだけど、その予定を変えて、明日は俺と一緒に原宿に行かない?」
阿島君から予想通り、明日の自由行動のお誘いを受けてしまった。
それに対する私の返答は一つしかないんだけど……あれ?そういえば阿島君って……、
「え?阿島君って彼女さんいるんじゃなかった?」
阿島君には彼女がいたはず。それなのに私と明日の自由行動を回りたいと言ってくるなんて……と、考えていると、阿島君はこう返答した。
「彼女とは夏くらいから付き合い出したんだけど、ひと月くらい前……風見との合同練習の少し前に別れたんだ。それで彼女と別れた後に西蓮寺さんを見て、段々と気になりだして……だから、明日は俺と一緒に出かけてほしい」
阿島君はそう言って頭を下げてきた。その態度から冗談で言っているわけではないとわかる。
後ろで聞き耳を立ててる女子からは「言っちゃったよ」とか「これもう告白だよね!?」なんて言う声が聞こえてきた。
真剣な気持ちで誘ってくれたのは素直に嬉しいけど、私は絶対にその誘いに首を縦に振ることは出来ない。
「誘ってくれてありがとう阿島君」
私の声に阿島君はバッと頭を上げて、私の顔を見てきた。その顔には喜色が色濃く出てた。
「じゃあ……」
「でもごめんなさい。あなたのお誘いに応じる事は出来ないです」
そう言って、今度は私が阿島君に頭を下げた。
「えっ……」
喜色の表情を浮かべていた阿島君の顔が、一瞬で絶望の表情に変わった。
「私には彼氏がいるから。阿島君とお出掛けする事は出来ないんだよ」
私はキッパリと彼のお誘いを断った。そもそも真人君以外の男の人と二人でどこかに出掛けるという選択肢が私の中に存在しないから。
真人君以外だと、彼と仲のいい山根君と清水君となら二人で並んで歩くくらいなら出来る。どうしても山根君や清水君にしか頼めない事があって、ついてきて貰ったりはするかもしれないけど、それでも真人君とちぃちゃん、茜さんには最初に断っておくのが大前提になる。
「彼氏って、風見のあの男子?」
「うん」
阿島君は風見高校との合同練習終わりに私が真人君の手を引いて帰って行くのを見ていたから、多分真人君の事を言っているんだろうな。
「……彼氏には内緒にして出掛けるのはどうかな?」
「えっ!?」
阿島君はこれだけ伝えてもまだ諦めないみたい。
ここまで引き下がってくる事は予想出来なかったのでちょっと驚いてしまった。
「ほら、ここには彼氏はいないから、西蓮寺さんが彼氏に言わなければ彼氏には伝わらないし、ショックも受けないだろ?」
彼は……何を言ってるの?
「だから明日は彼氏のことは忘れて、二人で楽しい思い出を作るのはどうかな?」
私が……真人君のことを忘れて、彼以外の男の人とデートをする?
「明日は西蓮寺さんの彼氏より西蓮寺さんを楽しませると約束する。だから……」
あぁ、理解しちゃった……してしまった。
阿島君は、じゃない。阿島君が私とデートがしたいから言ってるんだ。そこに私の意思は介在しなくて、ただ自分が私と二人きりで出掛けたいからそんな事を言ってるんだね。私の返答なんて、最初から聞いてなかったんだ。
それに彼は、私から真人君の存在を消そうとしている。
常に私のことを考えてくれて、心から私を愛してくれている私の一番大切な人。
真人君の存在が私にとってどれだけのものなのかを理解してない、しようともしないのに、阿島君は明日は私に真人君のことは忘れてなんて平然と言ってのけている。
その言葉に、私は自然と怒りが込み上げてきた。
私は普段滅多に怒らないけど、頭に血がどんどん上っていくのがわかった。
「あなたに───」
「何をしているのかしら?」
私は感情のままに、阿島君に怒りをぶつけようとした瞬間、突然廊下の先から声が聞こえてきて、私と阿島君がそちらを向くと、そこには浴衣姿のお姉ちゃんがこちらに向かって歩いていた。
お風呂上がりなのか、髪が濡れていて、妹の私から見ても今のお姉ちゃんはいつもより色っぽく見えてしまった。
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