第37話

◆◇◆◇◆ 黒騎士 ◆◇◆◇◆



 黒騎士は目を覚ました。

 といっても、彼の頭はすっぽりフルフェイスの兜に覆われていて、その表情を確認することはできない。

 しかし、悪夢を見たかのように激しく息をすると、勢いよく上半身を起こそうとする。途端、激しい痛みが全身を襲った。

 よく見ると、漆黒の鎧の一部が炭化している。煙こそ上がっていなかったが、鉄が溶けたような匂いが鼻腔を突いた。


 黒騎士はようやく自分が光の奔流に呑まれ、敗着したことを思い出す。

 敗れた瞬間を思い出し、黒騎士は一瞬固まった。

 が、その表情はわからないままだ。


「やあ、起きたかい、君」


 突如声が聞こえて、黒騎士は顔を上げる。男が目の前に立っていた。

 先ほどまではいなかったはずである。男は忽然と現れたのだ。


 男というよりは青年。

 青年というよりは、少年。

 子どものような低い背丈と、子どものような高めの声。

 もはや子どもといってもいいのだが、声の調子は穏やかで、纏う雰囲気も大人然としていた。


 現代世界でいうスカジャンに、野球帽の鍔を後ろ向きに被った少年は、黒騎士を見下げるように立っていた。


「間一髪だったね。感謝してよ。ボクがいなかったら、君たぶん死んでいたと思うよ」


「…………」


「相変わらず無口だなあ。感謝の言葉ぐらいかけてくれたっていいだろう、同じ勇者なんヽヽヽヽヽヽだからヽヽヽ


「…………」


「はあ。まあ、いいや。……とりあえず撤退だってさ」


「……!」


 黒騎士は身を乗り出す。


「何故だって? 君は作戦の趣旨を理解していたかい? 今回作戦で勝ち負けを決める必要なんてないんだよ。まあ、勝った方が良かったかもしれないけど、負けは負けで別にいいんだ。当初の目的である、ティフディリア帝国とパダジア精霊国に争いの火種をつけることには成功したんだから」


 少年は笑いこそしなかったが、実に楽しそうに現状の両国の状態を話す。

 対する黒騎士は顔を背けた。


「気が乗らないかい? それともFランクスキルの勇者に負けたのが、悔しいのかな?」


「ダマレ……」


「おお怖い。ようやく喋ったと思ったのに……。でも、残念ながらあの勇者はちょっとボクたちと違うベクトルにいるようだ」


 少年は手を伸ばす。


「次はボクも手伝うよ。他の勇者も手伝ってくれるはずだ。みんなでやっつけよう。勿論、トドメを刺すのは君だ」


 最後にニコリと少年らしい笑顔を見せる。


 黒騎士は少年から伸ばされた手の意図を考えつつ、ゆっくりと手を握った。


「よし。ひとまず撤退だ。帝都まで『ジャンプ』するよ」


 フッ……。


 瞬間、2人の姿が消える。

 一陣の風が草木を薙いだ。



 ◆◇◆◇◆



 パダジア精霊国の各村は歓喜に沸いていた。


 俺たちが各村を周り、解放したエルフたちを引き渡していったからだ。

 もう会えないと思っていた肉親や隣人との再会に、エルフたちは涙を流して喜ぶ。


 しかし、別の涙もあった。

 屋敷の中で見つかったのは、生きているエルフだけではなかったのだ。粗末な墓で弔われているエルフもいたが、牢屋の中で病死し、そのまま放置されているエルフもいた。


 疫病の原因になる可能性もあったので、遺品だけを回収して、遺体は燃やした。

 メイシーさんとアリエラが、燃える同胞の亡骸を見ながら泣いていたのがとても印象的だった。


 さらに辛かったのは遺族に伝えることだったが、ほとんどの遺族たちが俺たちがしたことを理解してくれた。

 頽れて泣き叫ぶエルフもいたけど、回収した遺品を渡して、最期には俺たちに感謝の言葉をかけてくれた。


 変な感じだ。


 賢者の時は、こんな悲劇は日常茶飯事だった。心のどこかでそれが麻痺していき、世界を救うことがどこか作業に思う時もあった。


 けれど、争いとは縁遠い現代世界に身を置いたからだろうか。

 今、俺の中で眠っていた義憤が蘇ろうとしている。

 たぶんその火をつけてくれたのは、間違いなく黒騎士だろう。


「クロノ? どうしたの?」


「いや……。なんでもないよ、ミィミ」


 あの黒騎士とはまた会いそうな気がする。これは予感ではなく、確信だ。

 ほんの一瞬だったが、ミストルティンの光に呑まれる前に、黒騎士の気配が消えた感覚があった。忽然と消えたのだ。

 どうやってあそこから回避したのか、今は検討も付かないが、たぶん黒騎士とは再戦することになるだろう。


「お待たせしました、クロノ殿」


「ロン村に帰ろう」


 最後の村にエルフを送り届けたメイシーさんとアリエラが合流する。

 そして俺たちはロン村に凱旋した。





「メイシー! アリエラ!!」


 まず出迎えたのは、村長のラブスさんだった。

 やはり娘のことが心配だったらしい。

 村の入口でウロウロしているのが、最初に見えた。

 2人の娘の姿を見つけると、ラブスさんは走り出し、がっしりと抱きしめた。


「よかった! よかった! 生きて帰ってきてくれて」


 ラブスさんは涙を流しながら喜ぶ。


「お父様、申し訳ありません」


「何も言うな! 精霊士として、責任あるものとして追い詰めたのは私の責任でもある。……だが、メイシー。お前は私の娘だ。お前がいなくなったら、私は――――」


「お、お父さん! 痛いよ。もう」


 アリエラも唇を尖らせたが、表情は嬉々としていた。

 2人ともラブスさんの反応に戸惑いながら、父親の抱擁を受けている。

 感動的な親子の再会というわけだ。

 まあ、期間は短かったけどな。


「あらあら。熱いわねぇ、あなたたち」


 遅れてやってきたのは、ハニーミルさんだ。

 滂沱と涙を流すラブスさんと違って、ニコニコと笑顔を浮かべる。


「お母様」


「お母さん」


 ラブスさんの抱擁から抜け出し、娘2人はハニーミルさんに鞍替えする。

 大きな娘たちの頭を撫でながら、ハニーミルさんは落ち着いていた。


「はいはい。相変わらず甘えん坊さんたちね、あなたたちは」


「おいおい、ハニー。もう少し娘の帰還を喜んだらどうだ? メイシーなんて、メイ……め……」


 ラブスさんはまた泣き始めた。

 どうやら、メイシーさんが村と家族を捨ててダギア辺境伯の下へと向かったことを思い出したようである。

 あの時はどちらかというと気丈に振る舞っていたようだ。

 娘が戻ってきたことで、感情が溢れたのだろう。


 そういう点では、元精霊士のハニーミルさんは落ち着いている。

 いざとなれば自分が助けにいけばいい。

 なんて思っていたのかもしれない。


「相変わらず泣き虫ね、あなたは」


「精霊士であったお母様と、村の泣き虫と呼ばれたお父様……。どうして結ばれたのでしょうか?」


「ロン村の七不思議の1つ……」


 ひどい言われようだな。

 少しラブスさんが可哀想に思えてきた。

 とはいえ、家族が元に戻ってよかった。


 もう俺には2度と訪れない光景だしな。


「何を考えてるのよ、クロノ」


「痛って!」


 突如、ミィミは俺の脛を蹴る。


「あんたには、あたしがいて、ミルグもいるでしょ」


 胸にそっと手を添え、ミィミは睨んだ。


 口調は乱暴だったが、少し身体が軽くなったような気がした。


「そうだな。ありがとな、ミィミ、ミルグ」


 俺はミィミの赤髪を撫でる。

 珍しく今日は反抗しなかった。いつもならすごく怒るのだが。


「クロノ殿」


 ミィミと戯れていると、突然ラブス村長から声をかけられる。


 振り返ると、ロン村のエルフが膝を突いて、俺に向かって頭を下げていた。


「この度は我々エルフをお救い下さりありがとうございます」


「いや……。そこまで感謝されるようなことは。それに今回の功労者は間違いなくメイシーとアリエラだよ。労うなら、2人にしてやってくれ」


「いえ。そうもいきません」


「どういうことだ?」


「今、あなたが持っている剣です」


「ミストルティンか?」


「剣神様は言いました。『ふさわしい遣い手が現れれば、剣は再びエルフに力を貸してくれる』と。剣神様の剣はあなた様を選びました。あなたこそ今代の剣神であり、本物の精霊士です」


「俺が精霊士か……」


 今一度、鞘に収めたミストルティンに問いかけるように見つめる。


「うん。やっぱそうだよな」


 俺は口にすると、ミストルティンを少々乱暴に放り投げた。

 慌てて受け止めたのは、アリエラだ。

 がっしりと両手で受け止め、鞘に納まったままのミストルティンを見つめる。


「クロノ殿?」


 半ば立ち上がりながら、ラブス村長は目を白黒させる。


「悪いけど、俺は剣神と違って、剣の扱いが荒いんだ。だから俺には分不相応な剣だよ。それに剣神も俺が使ったんじゃ喜ばないと思うんだよな」


 剣神アドゥラは俺のライバルだ。

 その剣であるミストルティンは、俺を守ってくれた。

 でも、俺からすればアドゥラの叱咤のように見える。


『こんなところで何を諦めているんだよ』


 黒騎士の奔流を受け止めるミストルティンを見つめながら、そんなアドゥラの声が聞こえたような気がした。


 それに自分が使っていた剣を、ライバルの俺が振るっても、あいつはきっと喜ばない。むしろ楽しそうに剣を振るっている俺を見て、草葉の陰から化けて出てきそうだ。


「だから、ミストルティンはエルフが振るうのがふさわしい。アリエラがまだふさわしくないと思うなら、メイシーさんに渡してくれ。そうやって、これからもエルフの間で引き継いでやってくれないか。おそらくアドゥラも喜ぶと思う」


「……まるで剣神様に出会ったことがあるみたい」


 ミストルティンを受け取ったアリエラが鋭いところを突く。


「あ。いや、その……」


 言えない。

 本人と会ったことがあって、喧嘩友達だったなんて。


「わかりました。そういうことであれば、承服いたしましょう。しかし、あなたが命の恩人であることには代わりはありません。どうか村を上げて、労わせてください。勿論ミィミ殿も」


 それでもやっぱり感謝はされるのか。

 でも、お腹は空いてることは事実だし、ミィミも爆発寸前でさっきからお腹の音が鳴り止まない。ここはご相伴にあずかろう。


「そういうことであれば」


 こうして再び宴が始まるのだった。

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