第29話『罠』
「くそっ! 生き抜いてやる」
リムルと離れ離れになっただけでなく、見覚えのある者たちに襲撃されるという有様だ。
一体なんだっていうのだ。
訳がわからない惨状の中、ひたすら短剣をふるって、毒蛇を放ち必死に倒していく。
――つい先ほど。
思わず石碑の前にある円柱の柱を一本だけ押し込んだ。
たったそれだけの行為で、罠なのか元からの転移装置なのか俺とリムルは互いに抱きしめながら光に包まれて、再びどこかに転移してしまった。
ついた先は、俺しかおらずダンジョンでいう階層主が現れそうな巨大な洞窟内の空間に放り込まれた感覚だ。
あたりは、ダンジョンと同じく光石でできているのか、壁がぼんやりと光るため視界は確保できている。
だだっ広い空間の天井までの高さは、貴族の3階建ての屋敷より少し高いぐらいでこの場所に数百人いても余裕なぐらいの敷地が広がる。
一体なんだ……。
見知った顔ぶれが殺気を遠慮なく放ち、こちらにゆっくりとやってくる。
ひんやりとした空間のはずなのに、余計な汗が噴き出してくる。
なぜなら、いないはずの者が妙にリアルな存在感でやってくる。
死んだはずのトレイシーやバルザック。
さらに、ギルマスやアリッサまでもいる。
どう考えても幻覚だろうと思っても、あまりにもリアルすぎるため、生きている者たちの場合は、操られているのではないかとすら思えてくる。
どう考えてもいるはずがないのに、死んでしまった二人は、本当に存在しているかのようにも見える……。
勢いをつけて駆けてくるのは、毒蛇を喰らったはずのトレイシーが斬馬刀を抱えて攻めてくる。
しかも動きが早くなっているだけなく、剣の捌き方も巧みだ。
俺に届く手前で毒蛇の口蓋に挟まれ飲み込まれてしまうあたり、物理的に存在しているようにすら見える。
どうやら、実体として対処しないと危険な様子だ。
何が起きているのかさっぱりわからない。
唯一はっきりした違いは、町中にいた黒目と同じ目をしていることだ。
次々と現れてくるどころか、同一人物が複数人も地面から湧き出てくると言った方が正確かもしれない。
つまりキリがないのだ。
いくら耐久するとはいっても動けば相応に疲れるし、腹も減る。
そういう意味で俺はもう、なんとか動けているだけのヘトヘト状態で腹が減りすぎて倒れそうだ。
首筋に短剣を突き刺して倒す。
いくら倒したのか終わりが見えない。
何体目なのか数えていないほど、目の前にいるゴウリ王国のギルドマスターを刺し続けている。
おかしい……。
魔法で高名な人と聞く。
ところが”斧”を持ってせめてくる。
つまり、俺の記憶や意識をなんらかしらの方法で引き出して作り出している可能性が高い。
ならば当然、俺の知る範囲でしか行動できないし、俺の知らない動きは、当然できないだろう。
トレイシーが京也を攻めるべく、地面を何度か跳ねる。
そうして、何体目かのトレイシーを上段回し蹴りで倒した。
その後は、毒蛇が喰らい付き咀嚼をする。
もう百体は超えただろうか、数少ない俺の知る人物たちが果敢に攻めてくる有様を、身をもって体験していた。
闇レベルが上がらないところを見ると、攻めてくるダミーの肉体を作り出している奴がいる。
そいつを倒さない限り、何も変わらないのだろう。
どうにかして本体を探さないと埒が明かない。
偽物だとわかってはいても死んでいる者ならともかく、今でも生きている者たちを倒すのは精神的にかなりきつい。
そればかりか今いる場所は、妙に感覚が敏感になっている気がする。
普段はさほど感じない空腹感が異常に強く、とめどなく汗が額や背中からも構わず全身から吹き出してくる。
別に低血糖というわけでもなく、感覚が妙なのだ。
ようやく敵対する者が現れなくなったと思ったら、今度は感覚に訴える何かを施してきた。
もう食べることしか考えつかなくて、俺自身わけがわからない。
白い肉? のような物があり急ぎ喰らいつく。
なぜか霜降りのやわらかい特上のカルビ肉を喰っているような感覚になり、夢中で両手に掴み喰らいつく。
なんて美味いんだろう。
本来はすぐに気がつくべきだった。
生肉など食うはずもない。
それなのに夢中になっていること自体が相手の術中にはまっているのと同然だった。
美味しさのあまり、目を閉じ咀嚼していると、不意に不安が襲う。
なんだと思い目を開くと、手にもっていたのはアリッサのふくらはぎだった。
「うわー!」
思わず変な声をあげて、座ったまま後退りしてしまう。
「いいのよ? 食べても」
いつの間にか仮面を外して、美しい顔のままで言われる。
一瞬どきりとするものの、目を開ければ黒目なので違いに気がつく。
それでも素顔の美しい顔で言われると、何か心の内側を逆撫でされたかのような、異様な感覚を覚える。
「何を言って……」
「人族は、獲物を仕留めて食うのでしょう?」
やめろと俺は心の底から叫んでいた。
迫るアリッサを突き飛ばし、夢中になって走る。
いつの間にか濃霧の中におり、どこにいるのかよくわからない状態だった。
草原にいるのだろうか、濃く深い霧で周りがよく見えない中で、いつしかその場に膝を抱えてしゃがみ込む。
どのぐらいの時間がたったのだろうか。
ふと気がついたらいつの間にか暗くなっていた。
遠くから足音が聞こえて、ゆっくりと京也に近づいてくるのがわかる。
なぜなら、次第に足音が大きくなっていったからだ。
誰か人の足が目の前に見える。
もう目と鼻の先で見上げた先には、仮面を脱いだアリッサが立っていた。
たったまま腰に手を当て京也に話かけてくる。
先ほどまで黒目だった物がいつもの目に戻っていた。
ただし、ももは俺が食らった時のまま肉が削がれている。
「ねえ。本当はスキルではなくて仲間が欲しいんじゃないの?」
憂を帯びた目は、穏やかな優しい口調で問いかけてくる。
「そんな物は……。すでに、捨てた……」
「――本当に?」
「仲間……なんか持つより、レベル……アップ……。それこそがすべてだ」
「あら、そう……。私がレベルアップしてあげる。そうしたらもう、勇者なんて追うのはやめにしない?」
「なぜだ?」
京也の目線までしゃがみこみ、前から優しく覆いかぶさるように抱きしめられた。
「もうムリしなくていいの。ゆっくり二人で過ごしましょ? 何もかも忘れて」
どこか心が安泰を求めているような気がしてきた。
フローラルのような香りが鼻腔をくすぐり、心の底から安心感が芽生えてくる。
――もう、いいんじゃないかと。
ずっとレベルは上がらず、辛い思いもしてきたんじゃないかと。
今楽になっても、誰にも文句は言われないし、悲しむ者などいない。
なぜか記憶が、走馬灯のように流れては浮かぶ。
たった一人で何も知らない世界で辛かった……。
ようやくありつけた仕事も安い賃金で苦しかった……。
魔力はゼロ、レベルもゼロの無い尽くしで悲しかった……。
「――もう俺は、休んでいいのかな?」
「ええ、いいのよ? ゆっくり二人で休みましょう?」
「そうだな……。そうだよな……。なんだかまた、思い出してきたな……」
どこにいくにも歩いて行かなくてはならず、魔力持ちが羨ましかった……。
魔力がないから、ダンジョンで置き去りにされたのは……悔しかった!
俺を放置した奴らが、今頃楽しんでいると思うと……憎かった!
このまま放置は良くない! 奴らの息の根を止めなければならない!
「えっ? どうしたの? ね、ゆっくりしましょ?」
「そんなこと、できるわけがない!」
俺は谷底に眠る意識が、怒気と共に浮上してきたような気がした。
そうだ、俺は何をしているんだと。
何を弱気になっているんだと。
俺には今、力がある。
ならばやろう、俺の力は勇者を抹殺するためにあるんだと。
勢いよく俺はアリッサの抱擁を弾き飛ばし、立ち上がる。
みるみるうちに、目は黒くなり至近距離から火炎魔法を放ち俺に直撃した。
熱さは感じず、衝撃で数メートルは吹き飛ばされただろう。
俺は体ごと転がり衝撃を逃した後、立ち上がる。
もう迷いはしない。
短剣を構えて毒蛇を放つと、周りの景色ごと毒蛇は飲み込み消滅させる。
すると、先ほどまでギルマスやトレイシーと戦っていた場所だった。
実は戦っていた場所から、一歩も離れていなかったことに今更ながら気づく。
――やられた。
完全に幻覚で落ちていたのかもしれない。
幻覚は耐久できないのだろうか。
すると不意に闇精霊が真横に立った姿で現れた。
「やっと見つけたわ。京也、大丈夫? その様子なら復活したようね?」
「どうしていなかったんだ?」
「なんか幻影の主は、あたしと京也を突き放そうとしていたのよね。だから無理矢理あれを使っちゃった。アハッ!」
「何をだ?」
「これよ?」
すると頭上からかなりの勢いで降り注ぐ豪雨は、黒い雨だ。
「黒い雨?」
一瞬墨汁でも降ってきたのかと思わせる。
「全範囲攻撃のダークレインよ? ちょっと無理矢理力を使ったけどね。同族と妖精には効かないから安心して」
一気に周りの景色が変化していくと同時に、何か大きな音を立てて倒れた音が聞こえた。
「なんだ?」
「ようやく本体のお出ましみたいね。イヒヒヒ」
ダークレインに打たれて全身穴だらけになった食虫植物がいた。
足が左右に2本ずつの4本生えたような化け物は、苦しいのかのたうち回っていた。
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