第4話 脱出ゲーム

   第三章

 

 そこは、殺風景で物の少ない1DKだった。一通り部屋を物色し、私は家主の帰りを待っていた。

「何でいるんですか」

 鍵を回す音がし、扉が開いた。私を視認するなり、彼は顔を思い切りしかめた。シャツとスラックスという制服姿。学校に行っていたんだから当然か。

「ピッキングくらいは基礎教養だからね。ここに住んでるのは後をつけて突き止めた。君もやってたやり方だよ、露日」

 露日はため息をついたが、心からのものではなくポーズだというのは分かりやすかった。

「……次会うときに殺すって言いましたよね。介錯でもしてほしいんですか」

「忘れてないし今すぐ死にたいわけでもないけど。こないだ一方的に個人情報を知られた気がするから、こちらも探らせてもらおうかなと思って」

「なら僕が帰ってくる前にバレないように出ていけばいいのに」

「それでもいいかと思ったけど、警戒させても悪いから出迎えることでネタばらしに替えさせてもらおうかな、と」

 口には出さなかったけれど、会話ができるならもう一度したいという気持ちもあった。デスゲームの場所以外で落ち着いて、自分の素性に大体見当がついているだろう相手とどんな話をすることになるのか興味があった。

 露日は背負っていたリュックを寝室に繋がる扉の前に置いて、洗面所で手を洗ってからキッチンスペースに立った。

「お茶は出しますから飲んだら帰ってください」

 ヤカンに水を入れて火をつける音がした。「お構いなく」と言うと「時間に区切りをつけたいんです」と呆れたように説明された。

「それにしても物が少ないね。ゲーム関連のものとか、どうやって保管してるの」

 食卓と思われる席に座ってキッチンにいる露日に話しかけると、間接的に部屋を見たことを告げたのに咎めることなく答えが返ってきた。

「そもそも僕の持ち物をゲームに使ってるわけじゃないんです。僕と契約関係にある業者のものを使っているので」

「……業者?」

「ん、雇用関係とかお客様とかじゃないですよ。色々取引がありまして、僕のゲームの道具や片付けを担ってもらっている代わりにその業者のクライアントのゲームを代行しているんです」

 ゲームをビジネスとして運用している人たちがいるということか。噂には聞いていたけれど露日がそれに関係しているとは思わなかった。

「死体の処理は流石に一人では難しいですから。この部屋の金も稼がせてもらってます」

「でも、私を殺す用のゲームは業者の利益にならないと思うけど、そういう物の後処理もやってくれるの?」

「はい。ゲームマスターを殺すことはクライアントが別の業者に行かないようにすることにつながるということで。仮に僕が死んだら、その時は生き残った人と取引して僕の代わりにするのでその点も問題ないでしょうね」

 信頼関係などはないただの利害の一致による取引のようだった。自分が死んだ時のことを淡々と口にするのは高校生らしくないと思ったが、自分を殺すと言っている相手の家に忍び込む大学生もどうかと思ったので何も言わないことにした。

 ふわりとミントの香りが漂ってきた。

 露日がティーカップを二つ載せたトレイを持って食卓に来た。ご丁寧にカップは銀でできていた。そんな心配してないのに。

「僕の部屋の話とかはどうでもいいんですよ。それより、あなたのことはなんて呼べばいいんですか」

 向かい側に座った露日は腕を組む。どこか喧嘩腰なような気もしたが、不法侵入した身なので甘んじて受けよう。

「今まで通り葉月さんでも何でも。もちろん私の本名は葉月じゃないけど」

「本名を言う気はないんですか」

「君が言うなら言ってもいいけど」

 話が平行線になると思ったのか、露日は「葉月さん」と口にした。

 一口ミントティーを飲む。ハーブティーはストレートで飲むものかと思っていたけれど、最初から蜂蜜か何かが入っているらしく甘味を感じた。思ったより優しい風味で気分が和らぐ。「美味しい」と感想を言うと、「どうも」と頭を下げられた。できた高校生だ。

「葉月さんは、人のために頑張るのと、自分のために頑張るのではどちらが強いと思いますか」

 露日も少し落ち着いたのだろう。館でのゲームの夜のような柔らかな声音でそう問いかけてきた。急に抽象的な問答をする癖があるのにはもう慣れた。特に突っ込むことはなく考える。

「一般論では自分のための方が健全だって言うよね。強さという点で言っても、自分のための努力は他人のためよりかは報われやすいし、効果が強い頑張りって言えるんじゃない」

「そう、世間で言うにはそうなんですよね。でも僕はどっちも健全さという点では変わらないんじゃないかと思うんです。自分のために頑張っても報われないことは多いし、他人のために頑張れば頑張ったという事実だけで評価されることもある。結局プラマイゼロなんじゃないかなって。ただ、強いのは他人のための頑張りだと思うんですよ」

 ティーカップの取手の持ち方は高校生にしては洗練されていた。そういうのはどこで習ったんだろう。何となく露日の話の先が分かって思考が発散しかけたが、きちんと相槌は打つ。

「他人のための頑張りって、やめどころがないじゃないですか。自分が相手なら適当なところで諦められるけど、献身には明確な終わりがない。やること自体が尊いからやめる理由も見つからない。実際は自己満足に過ぎないのに。ね、そう思いません?」

 肩をすくめる。とても遠回りな問いかけだ。つまり何が言いたいのか先を促す。

「菜柱葉月のために復讐をするというのなら、別に何も言うつもりはありませんでした。でも、あなたは違うでしょう」

 まるっきり違うというわけではないけれど。

「あなたは菜柱葉月の代わりに復讐をしようとしている」

 葉月のため。葉月の代わり。どちらも同じことじゃないかな。そんなの言葉遊びだ。

「あなたがしようとしていることは、菜柱葉月さんの意思によるものや、望むものではない」

 …………。

 今度は私がため息をつく番だった。

「回りくどいね。そう言うからには、葉月についてはきっちり調べたわけだ」

「ええ。大学生が行方不明になるという事件が起きたサークル旅行に参加していたことも、今は転落事故で意識不明重体であることも」

 露日は自分のスマホの画面を差し出した。それは、写真だった。何かノートのような物が写っているのを確認した時点で、私は全てバレているのだと悟った。

「菜柱葉月の日記……そうでしょう? 入院している個室の引き出しに入っていた物です」

「うん。まさか見つけるとはね」

 露日は何か言いたげに唇の端を歪めたが、すぐに優雅な笑みに変えた。

「菜柱葉月は転落事故の日にサークルの会長の家に向かった。そして、その帰り道に事故にあった。けれどもあれが事故なんだとしたら、あなたには復讐する動機がない。それならあれは事故と処理された事件で、あなたしかその事実を知らないと仮定する方が自然でしょう。

「それなら、あなたはなぜ事故が事件だと知っているのか。現場にいたか、事件になるような事情を知っているかの二択なんでしょうけど……現場にいたなら止めることも、救急に電話をかけることもできたのに、それをしなかったということは、事情は把握していて後から何が起きたのか知ったのでしょうね。

「では、その事情というものは何なのか。この日記から読み取るに、それはサークルでの行方不明事件。菜柱葉月は自分が体調を崩していて止められなかったことに罪悪感を持っていました。日記にはそう書かれています。でも新入生が飲み過ぎるのを止めずに体調管理を怠ったのは先輩としてよくないことであったとしても、罪となるような飲酒の強制はなかった。そして、海に行ったのは新入生の責任だ。それを今更掘り起こし『復讐のゲーム』のことを思い、罪を自覚させる理由はどこにあるんでしょう? 新入生の家族なら分かります。しかしながら菜柱葉月がそうする理由が見つからない。

「菜柱が罪を自覚させたいと思う動機。それは二つほど思いつきます。一つは、その新入生が大切な存在だった可能性。そして、もう一つ。まだ隠されている事実、もっと大きな罪があるという可能性。

「ここで重要なのが、菜柱葉月の言葉。『復讐のゲーム』が開かれればいいのに、という発言です。これには主体性がない。自分が裁く側にはいない発言です。もし新入生が大切なのであれば、自分がゲームを開きたいという旨の発言をする方が自然です。ということは、まだ隠された大きな罪があって、菜柱葉月は裁かれる側にいる。つまり、彼女も何かの加害に関わっているということです。

「違いますか?」

 私は肩をすくめることで答えに替えた。口元は笑みを浮かべていても露日の目は相手を追い詰めようとする蛇の目で、苦し紛れに反論したところで意味がないことは明らかだった。それに、彼は私に楽しげに事実を突きつけているわけではなく、推理の喜びを噛み締めているのでもない。瞳の奥に光るのは、怒りなのかもしれなかった。

「その大きな罪とは何か、一番に思いつくのは行方不明事件の真相。酔った新入生が一人で海に行ったという主張が嘘だった。じゃあ、実際は何が起きたのか。あなたも分かっているんでしょう?」

 ずいっと頭が近づけられ、表情を覗き込まれる。顔を背けてもよかったが、歳下相手にやり込まれるのはシャクだった。

「……実際に、飲酒の強制はあった。そしてその新入生は急性アルコール中毒で死んだ。葉月たちは、その死体を海に沈めた。死体は偶然見つからず、事故として処理された。私はそう思っている」

 私から答えるとは思っていなかったのだろう。露日の目から一瞬剣呑な雰囲気が消えた。

「私は葉月に警察に行くことを勧めたけど、彼女は話せばわかると言って聞き入れなかった。多分、葉月は一人で自首するのが怖くて他の人を説得して一緒に行こうと思っていた。でも、サークルの人は反対して、最終的には橋から転落するという結末になった。その間を繋げるものは分かってるよ」

 露日は唇を噛んだ。そして、目の前にカップがあることを思い出したように、中身を全て干した。

「菜柱葉月は正しくない。なのに、あなたはなぜ復讐をするのか。何のために復讐をするのか。それだけが分からなかった。俺はそれが聞きたかった」

 カチャンとカップの置かれる音。露日は目を逸らして俯いた。ちょっと私が答えただけで、まるで自分が攻め込まれたような反応をする。彼の不安定さが私にはよく分からない。悪人を殺すという壮大な理想を口にし、繊細な気遣いで人に寄り添おうともする。今のこれは、私のことを糾弾しようとしているのか、理解しようとしているのか。

「葉月は、私にとっては正義の象徴なんだ。だから、葉月が揺らぐなら私が葉月の代わりに正しい罪を与える。そう決めてる」

 露日がどんなつもりであろうと、答えは変わらない。

「それなら、あなたの目的に終わりはあるんですか」

「それは……」

 葉月の事件の関係者に復讐をした時だ、と答えようとしたが、何かが引っかかって言葉にならなかった。自分が葉月の代わりに正義を体現しようと究極の復讐を探していることに、今まで疑いを持ったことはなかった。しかし、それに終わりがあるということが何故か自分の中で結びつかない。

 それじゃあ、私はいつ復讐を止めるつもりなのだろう?

「俺は……」

 何かを言いかけて、ハッとしたように露日は口を閉じる。人称が変わっていたことに気づき、自分が動揺していたことを自覚したようで、深呼吸をした。何を納得したのか「そっか」と口の中で呟いているのが聞こえた。そして、完全に落ち着いたようでこう言った。

「分かりました。僕に他人のことをとやかく言う権利はなかったです。すみません」

 あの夜、お互いの目的について深く話し合うことはなかった。聞く必要はないと思っていたし、お互い相手が話さない限り自分から話すつもりはなかった。でも、今ならどうだろう。

「私は話したよ。きみは自分のきっかけを話す気はない?」

 それが重要なことではないように軽い調子で切り出し、ティーカップで口元を隠して返答を待つ。

「ああ、どうしようかな……」

 勿体ぶっているのかと思ったが、表情を見るとそうではない。顎に手を当てて真顔で思案している。近いうちに殺す予定の相手に自分の情報をどこまで与えるか、先ほどの答えに応える義務はあるか天秤にかけているのだろう。

「……全部は話しません。あなたも心情やそもそもの親愛の理由は話さなかったんですから。それでいいですか?」

「もちろん」

 私はうなずく。

「僕の目的は悪人を殺すことだというのは、以前お話ししましたね。でも最初からそれが目的ではなかったんです。初めのゲームは、純粋な復讐のためのゲームでした」

 最初のゲームというのは、あの夜語ってくれたあれのことか。

「それで、復讐を達成して僕は気づきました。相手が仇であったとしても、殺したところで一生苦しい気持ちは晴れず、死人に囚われて生きることになるということに。そして、そんな人間を増やすくらいなら、僕が代わりに殺そうと、そう思ったんです」

 露日は、照れくさそうにはにかんでいた。優雅な笑みではなく、高校生らしい青い表情で、それがこんな話の告白に使われるなんてなんてことなんだろうと思った。

「きみは高校生……いや、その時は中学生なのに、何でそんな。そんなのは自己犠牲じゃないか」

 自分より若い人が背負っていい責任じゃない。責任を感じる必要も、それを自分がどうにかしようなんて思う必要もない。そう思う。

「同情はいりません。それに、これはあなたと同じように、僕が選んだ道ですから」

 ピシリと鋭い声だった。「同じ」という言葉にかけられた圧を感じて、もしかすると彼も同じことを私に思ったのではないかと気づく。

 それを、あなたがする必要はないのに。

「……そうだね、ありがとう」

 やっぱり、聞いたところで何かできるわけでもない。どうしようもない。

 それでも、自己満足で背負った物を見せ合うことに意味がないわけではないのかもしれないと思った。自業自得の傷の舐め合いでも、相手を知ることは悪いことではない。それに、私も心が決められた。

「次のゲームは、いつになる?」

 露日は話が変わったことに驚いたようだったが、すぐに不敵に笑った。

「来週には招待状をお送りします。再来週の週末は空けておいてくださいね」

「分かった」

 まるで遊びに行く約束みたいだ、と場違いなことを考えてしまい口元が緩む。

「笑うの、珍しいですね」

 不思議そうに言われてしまい、「そんなに私笑わないかな」と首を傾げる。

「ええ、いつも仏頂面で辛気くさいですよ」

「ははははは」

 何だか愉快になって声を出して笑ってしまった。仏頂面で辛気くさい。確かにそうだ。葉月のこととは関係なく、私はそういう人間だ。

「あの、冗談のつもりなんですけど、どうしたんですか」

 露日が困惑しているのが面白くて、収まりかけた笑いがまた発散する。

 やっぱり最後に話しに来てよかった。そう思えた。


「目隠しを外してください」

 私は、本棚に囲まれた小さな部屋に一人座っていた。招待状の示す場所に行き、書かれていた指示に従って目隠しをすると、誰かにこの部屋まで案内されて椅子に座らされた。そしてしばらく待つよう告げられたのだった。

 そう、ここが露日のゲーム会場だった。

 情報収集は大事だから辺りを見回すも、本当に部屋が小さく、部屋の真ん中のこの椅子を起点にして三メートルほどですぐ壁に行き着く。無論、他の椅子などはなく、この部屋には私以外誰もいなかった。左手側にある扉が別の部屋に繋がっているようだ。扉の下側には空気穴のような細い隙間がいくつかある。

 もしかして、一対一のタイマンなのか……? 怖気付くも、本棚に並んだ本の背表紙に視線を沿わせる。何だか洒落ていて言語がドイツ語なのは分かったけれど、何も意味が分からない。そんな本がずらりと並んでいる。

 目の前にはモニターがあり、そこには白い仮面をつけた人が白い壁を背景にしてたたずんでいる。多分、露日だ。線の細い体格は仮面では隠せない。目隠しを外せという声はボイスチェンジがかけられていて判別できないものの、これも露日がしたのだろう。濃いくすんだ紫色のシャツの胸元にマイクがついている。モニターに写っているのは胸から上で、体の後ろには椅子の背らしき茶色い枠組みが見えた。

「皆さん、『復讐のゲーム』にお集まりいただきありがとうございます。今回は、よりすぐりの『復讐のゲーム』ゲームマスターの方々を招待いたしました。きっと刺激的なゲームになるでしょう。それでは、ルールの説明をいたしましょう。といっても、難しいことはございません。皆さんが自分のいる部屋から出て、この僕のいる部屋にたどり着けば皆さんの勝利。誰一人としてたどり着かなければ僕の勝利です」

 皆さん、というからには他の部屋に参加者がいるんだろう。それに、参加者同士が争うような内容でもないらしい。しかし、部屋にたどり着けば勝ちということは、この部屋の外は迷路のようにでもなっているのか、部屋数が多いのか。それでも手分けすればきっといつかはたどり着くのでは……?

「しかしながら、時間制限がございます」

 プシューッと、何かの気体が漏れ出る音がした。音の出所はここからは分からない。けれど、足元に何かがドライアイスの煙のように溜まっていくのは目で見えた。薄い紫色をした、ガス。

「紫色のガスが見えたでしょうか。これは呼吸器系を侵すガスです。ご覧の通り、空気より重いため今のところは問題ありませんが、次第に部屋に充満していくでしょう」

 ガスの出所はどこなのか。そもそもまだ扉の先も部屋の後ろ側も確認できていない。椅子から身を乗り出し片足に体重をかけて後ろを見ようとすると、ピーピーと椅子から音が鳴った。それと連動するように、ガスの排出音が大きくなる。

「え、何?」

「椅子から立ち上がらないことをお勧めします。規定の手順を踏んで立ち上がらなければ、ペナルティとしてその間のガスの排出量が増加しますので」

 慌てて椅子に座り直す。椅子の音は止まり、ガスの音は元に戻った。

「さて、詳細なルールの証明をいたしましょう。今言ったように、さあ立って探索を始めてください、とは行きません。皆さんは今、一人一つの部屋の中に座っています。それでは、図書室にいる方は、椅子の肘掛の先端にあるボタンを押してみてください」

 私のことだろうと思って肘掛を探った。体を包み込むような座り心地の良いオフィスチェアタイプの椅子だが、足元はキャスターの代わりに床の上の薄い台座に固定されているようで身動きしても動く様子はない。

 ボタンを見つけて押すが、ピッと電子音が一度鳴ったきり、何も起こらない。

「図書室にいる方はこれでペナルティなく立ち上がることができます。逆に、それ以外の方は、今はボタンが押せなくなっていることをお確かめください」

 立ち上がる。椅子の背を見て、再びモニターを見て、「それではお座りください」と言われたので従った。自分の背後にも扉があることが確認できた。この部屋は二つの場所に繋がっているのだろう。

「ボタンは二人までの人が同時に押すことができます。一度押すと、押した人が椅子に戻るまで、もしくは一定時間が経過するまで別の人が押すことはできない仕組みになっています。一人が立ち上がった場合は五分、二人が立ち上がった場合は十五分です。もし破った場合は先ほどのようなペナルティがございます。つまり、このゲームでは皆さんが協力することが不可欠になっています。お分かりいただけましたでしょうか」

 こちらの姿は向こうには届いていないかもしれないが、一応頷く。

「それではルールは以上となりますので、最後に質問を受け付けます。今から皆さんの部屋の音声を通しますので、お気軽に発言してください」

 お互いを窺うような沈黙が数秒続いたが、男の声が質問をした。

「このガスは、このままのスピードであれば、何分くらいで部屋を満たすんでしょうか」

 低く、年齢を感じさせる声音。丁寧な口調だが、物腰柔らかというよりも硬い印象を受ける。

「正確なことは言えませんが、二時間以内なのは確かでしょうね」

 ガスは下から溜まっていく。座っているのか立っているのか、自分の身長によっても致命的になる時間は異なる。けれども二時間が経てば確実に終わる。

 露日の言った通り、参加者は全員ゲームマスターだからこそか、誰も取り乱すことはなかった。私は露日の言っていることがハッタリなどではないことは理解していたものの、まだ自分の命が残り二時間で失われるかもしれないことに実感が湧いていなかった。

「分かりました」

 男は冷静に応答した。

 再び沈黙が訪れる。

「誰も何も言わないなら、最後に一ついいかしら?」

 女の声だ。若くなくしわがれてもいない。ハスキーで、声の落ち着きや抑揚の付け方から自信を感じさせる。

「どうぞ」

「『復讐のゲーム』については分かってるつもりだけど、これは誰に対しての復讐なわけ?」

「あなたたち全員です。悪人を殺すのが僕の務めですので」

 ああ、本当にこれは露日のゲームなんだな。ふざけた調子もおちょくる様子もなく真面目に答えた露日に、女はただ「そう」と返事した。

 沈黙。

「それでは、ゲームを開始してください。こちらからの音声は切らせてもらいます。なお、どなたかが探索中の時は全体の音声も切りますのでご承知ください」

 露日はそう宣言して、背もたれに身を預けた。

「……参加者が何人いるのか把握したいのですが、自分と先ほど質問した女性以外に誰かいるようなら声をあげてもらえますか」

 先ほどの男性が声をあげた。

「います」

「僕が四人目かな」

 私と、別の男性が反応した。四人目を名乗った男の声は、柔らかくどこか聞き覚えがあるような気がした。

「お互いの素性がなんであれ、今は協力しよう。まずは一人ずつ自分のいる部屋とその周りについて探索してみないかい」

「賛成ね。とりあえず、一人五分の時間を使ってみましょう」

 私と、低い声の男性も賛同し、まずは自分の部屋を見ることにした。

 五分ずつの探索を終え、情報交換をする。

「私の部屋はバーのカウンターみたいなところよ。椅子と扉、バーカウンター。バーカウンターの後ろには酒棚があって瓶が置かれていたけれど、全部インテリアの空き瓶だった。扉は鍵がかかっているのか開かなかった」

「僕の部屋にはアフタヌーンティーを飲むような小洒落たティーセットが置かれた小さなテーブルがあった。ご丁寧に壁紙には窓が描かれていてね、その横にテーブルがあった。でもそれだけ。扉は開かなかったよ」

「自分の部屋はオフィスのようでした。椅子を挟んで扉の反対側の壁には机とパソコンが二台ありました。パソコンを調べようとしたのですが、電源がつかず、ケーブルはどこにも繋がっていませんでした。持ち上げると異様に軽かったので、本物のパソコンではなく展示品やハリボテの類だと思います。扉は開きませんでした」

「私の部屋は図書室でした。扉のある壁を除いて三方面が本棚に囲まれていましたが、本の背表紙はどれもドイツ語か英語かフランス語で、取り出してみると箱だけだったり、インテリア用の置き物だったりで、読めるような本はありませんでした。扉は同様に開きませんでした」

 …………。

 要するに、扉は開かず、特に情報になりそうなものも、鍵もなかったということか。ガスは脛のあたりまで溜まっている。扉の下側の隙間からガスが流れ込んでいるようだ。

「二人ずつボタンを押せば扉が開くのかもしれません。やってみませんか」

 私が提案すると、女性が「そうね」と頷いた。

「それじゃ、私とあなたがまずは押してみましょうか。それでいいかしら」

 誰も反対しなかった。

「じゃあ、せーので押すわよ。せーの」

 ボタンを押し込む。するとモニターに動きがあった。

 仮面をつけた露日ではなく、映像が流れ始めた。画面のテロップをボイスチェンジャーの声が読み上げる。

「これから流れる動画は、一分間、皆さんのうち誰かが行ったゲームの内容を紹介するものです。もしご本人様が自分のゲームだと認めた時のみ、ガスが三分だけ止まります」

「動画が一分なら観た方が結果的に特になるんでしょう。観てから探索に行かれたらどうですか」

「そうですね、観ましょう」

 私も女性も席からは動かず、黙ってモニターを見つめた。

『目的:友人に関する復讐

 方法:個人情報を開示を伴うカードゲーム。最も高得点の者が勝利となるが、高得点のカードを使うためは重要な秘密を暴露する必要がある

 結果:参加者四人のうちゲーム終了直後時点で四人とも生存』

 モニターの暗い背景に白い文字が表示され、消えた。背景は、私があの時ゲーム会場に用いた場所の写真だった。

「……これは、私のゲームです」

 黙秘しても得はないと思って肯定した。

「一名から回答を確認しました。ガスの放出が三分停止します。それでは探索をどうぞ」

 淡々とアナウンスが流れた。自分のゲームの話が知らない人に無防備に公開されるのにあまり良い気分はしない。でも露日の嫌がらせではないだろうし、なんらかの目論見があるはずだ。参加者にお互いの凶悪性を認識させることで、結束力や協力姿勢を削ぐことが狙いなのかもしれない。といっても、私のゲーム内容はそこまでインパクトがないと思うが。

「じゃあ、行きましょ」

 女性の声に「はい」と返事し、立ち上がる。背後の扉は開かなかったものの、左手の扉は抵抗なく開いた。隣の部屋に、進む。


 −足元から十センチ−

 扉の先は、今までいた部屋とは全く異なっていた。甘いワックスの匂いさえ感じる木の床。それを埋め尽くす机と椅子。そして、目の前には黒板。

「教室?」

「教室ね、性格が悪いわ。あのゲームマスター、悪人を殺すなんて本気で言ってるのかしら」

 黒板の横にある扉から女性が現れた。ウェーブのかかった黒髪と真っ赤な唇。じろじろと顔を見ることはしなかったが、童顔ではないものの綺麗な化粧を施された顔からは年齢が読み取れない。しかし服から覗く首元にはうっすらとシワがあり、もしかすると自分の親くらいの年なのではと想像してしまった。

「本気だとは思います」

 答えてから知らないふりをして受け流せばよかったと後悔した。

「そう」

 だから、興味なさそうに一言で終わって安心した。

「それよりまずは、部屋の探索よね。あれ、どういうことだと思う?」

 女性……心の中で魔女とでも呼ばせてもらおう。魔女は赤いネイルを塗った人差し指で黒板を示した。その指先を追う過程で、彼女の右手には親指と人差し指と薬指しかないことに気づく。声をあげそうになったが堪えた。彼女のゲームはどのようなものだったんだろう。

 黒板には『投票』と白いチョークででかでかと書かれている。私は黒板の前に歩み寄り、教卓の上にある銀色の箱に目をやった。『投票箱』と書かれていて、選挙なんかで使うものと変わらないが、用紙を入れる部分は閉まっていた。フタのつまみを持ち上げようとしたが上がらない。

「フタに変な窪みがあります。この教室からそこにはまる何かを探せということかもしれません」

「なるほどね。フタを開いて『投票』を行うことで、この扉が開くかもしれないわ」

 魔女は黒板を正面に見て左側にある扉をガチャガチャと引いて、開かないことをアピールした。この部屋には私の部屋と魔女の部屋に繋がる二つの扉と、もう一つどこかに続く扉があるようだ。

 魔女もこちらに来てフタをいじりまわし、四角いチロルチョコ大の窪み五つを確かめることでこれはなんらかの仕掛けなのだと納得した。

 教室には黒板を正面にして前、左、後ろに扉があり、黒板のすぐ前には投票箱の乗った教卓があり、机と椅子が五行六列の三十組並べられている。机の中に窪みにはめるピースが隠されているのかもしれない。

「とりあえず手分けして探しましょうか」

 魔女がそう言い終えたところで、先ほどまで止まっていたガスの噴出が再開した。どうやらガスはこの部屋から出ていたようで、床に近い位置の壁から管が生え、紫のガスが流れ出て床に溜まっている。扉の床下側の隙間からそれぞれの個室に流れる仕組みだ。

 十五分のうち三分が経過して、残り十二分か。無言で一番端の机からさくさく探索をしようと思っていたら、魔女は手を動かしながらも話しかけてきた。

「それで、なんであのゲームマスターが本気だと思うわけ?」

 口を滑らせて逃げ切れたと思っていた発言を掘り返された。

「彼とは別のゲームで一緒になって話を聞いたことがあるんです。人を殺す悪人は自分も含めて死ぬべきだって、本当にそう思っているんです」

 魔女は鼻で笑い飛ばすんじゃないかと思ったが、彼女は一言「可哀想ね」と言った。

 可哀想という言葉は久しぶりに聞いた気がした。害を加える側への同情なんて間違ってもあり得ないと思っていたし、自分がこうなるにあたっての過程を可哀想なんて言われたくなかったから、無意識に自分の語彙から消していたのかもしれなかった。

「復讐って、過去との決別のためのものなのに、それじゃああの人は永遠に救われないし終わらないってことよね。彼自身の人生はいつまで経っても肯定されないんじゃないかしら」

「救うとか肯定とか、誰かができる可能性もあったんですかね」

「……さあね。どちらにせよ私やあなたみたいな不幸ったらしくて頑張り屋じゃない人間じゃ無理よ。こういうのはポジティブで努力家な主人公の仕事だもの。分かるでしょ?」

 不幸ったらしくて頑張り屋じゃない人間。ひどい決めつけだと怒ることもできたが、そんな気は沸かなかった。分かってしまった。一つの過去に拘って前に進む代わりにいろんなものを道連れにしようとする不幸に染まった考え方。見返すために自分が変わるのではなく他者の悪意を裁こうとする態度。とてもじゃないが、否定できなかった。

「ピースひとつ目、見つけました」

 代わりに進捗が生まれたことを告げると、彼女は私が逃げたことが分かったのか小さく笑った。でもそれは馬鹿にするのではなく、同じ境遇の者への同情に満ちていた。

「こっちはもう二つ見つけてる。残りはもう二つね」

 口と手を同時に動かせるタイプの人らしい。うらやましい。

 手につかんだピースを見ると、小さな写真が貼り付けられていた。証明写真のような大きさ。いや違う。このカラフルさは……プリクラだ。

 嫌な予感がした。

 誰が写っているのか確認する。そこには見覚えのある顔があった。

 葉月。制服を着ている高校生の葉月と、私も知っている彼女の友達が三人ほど写っていた。

 何でこれがここにある。いや、彼女の病床のどこかから取ってきたとか、色々考えられるけれど。

 何のためにここにある。

 まさか、私が一度も葉月とプリクラを撮ったことがないのを露日は知っているのか。知っていて、この写真をピースに貼ったのか。お前の一方的な思いに何の意味があるとでも、仄かしている?

 ……いや、こんなの被害妄想だ。自分が気にしていることを勝手に掘り起こしただけ。

 深呼吸。

「……あなたは何のために復讐をしてるんですか」

 話題を変える。現段階では私のことが一方的に知られているだけだから、知っておきたいという気持ちがあった。露日がどんな人間を集めたのかも知りたいし。

「一言で言うなら、学生時代のいじめっ子への復讐ね。悪いけど理由は言わないわ」

 シンプルな理由だ。でも、ひとつ引っかかる。彼女は若くても四十代に見えるが、学生時代というのは大学を含めても二十代まで。つまり、少なくとも二十年の間があることになる。二十年近く経ってから復讐を決意してから今に至るのか、昔の復讐で今呼び出されたのか、どちらだろう。

「随分前のことにこだわるんだなと思うでしょう。でも現在進行形で復讐は続いている。警察にバレないように、一年に一人か二人というペースだけれど」

 なるほど前者なのか。いじめであれなんであれ、傷つけた側は忘れても、傷つけられた側は一生覚えているなんてことはザラにあるから、こだわるのは当然だと思うけれど。

「ゲームというのはいろんな種類があるけれど、私は一対一でやるものが好きなの。一方的に上の立場に立ったらあの人たちと同じだから、お互い同じだけのリスクを背負いたいのよね。そういう意味ではこのゲームマスターの姿勢も嫌いじゃないわ」

 やはりそれぞれにゲームの美学のようなものがあるのか。自分としては復讐という行為自体一方的ではあるから、そこを気にしてもしょうがないように思えるが、口に出すことはしない。

「あなたは人を殺さない主義なんですってね。人なんか、殺さないほうがいいわよ」

 人は殺さないほうがいい。それはそうなのだが。殺したことがある人が言うとなると重みがまた違ったものになる。

「一度殺すと癖になるの。関係ない人まで殺さなくちゃいけないような気がして、止まらなくなる」

 思わず、魔女の方を見てしまった。魔女は机の中を見つめて真剣にピース探しを続けているように見える。

「あれから三十年。最初は首謀者を対象にしていたんだけれど、どんどんあの時の全員が許せなくなっちゃって、もう六十人殺してしまったわ」

 あ、四枚目のピースを見つけたわよ。特に誇る様子もない魔女の声に、私はこの人は本当に魔女なのだと思ってしまった。何かを剥がしそのまま千切る音がしたが、何となく察しがついてそちらは見ないようにした。

 その後すぐに五枚目を私が見つけた。箱にピースをはめるとフタが開き、どこからかひらりと紙が落ちてきた。

「投票用紙ね。この部屋にいる二名のうち、今まで殺した人数が多い人の名前を書けという指示が書いてある」

 紙をキャッチした魔女が読み上げてから私に見せる。

「筆記用具がないけれど……」

「チョークでいいんじゃないですか。この青色で」

 チョークを渡すと、魔女は自分の名前を私からは見えないように書き込んで、紙を折りたたんで投票箱に入れた。

 カチャリ、と錠の回る音がした。今まで開かなかった扉のノブをひねると、抵抗なく開いた。

「思ったより簡単な仕掛けでしたね」

「ピースを集めるのはただの時間稼ぎで、本題は最後の投票だったんでしょうね。あなたと一緒で運が良かったわ」

 その意味はよく分かる。今まで何人殺したのかわからない人間同士がもしこの部屋に入ったのなら、この問題で積む可能性は高い。もし間違えたらどうなっていたんだろう。アナウンスでは特に触れられていないが。

「天井に細い筒があるの分かる? あれ、たぶん銃口よ」

 そうなっていたのか。私は小さくため息をついた。

 扉の外。そこは通路になっていた。上から見れば真ん中を抜かれた四角形になっているはずで、少し進むと道が右に直角に折れ、外側の四辺にはそれぞれ扉がついている。そして内側の四辺の一つにはまた別に扉があった。この扉にだけはダイヤル式の錠がついていた。四桁の数字を入れられるようになっている。また、この扉だけは下部に隙間はなかった。

「残り一分で行動時間は終了です」

 教室に戻ってきたところで、アナウンスがあった。

「そういえば、あのピースに書かれた数字には何の意味があったんですかね」

 実はあのピースには写真を剥がした下に小さな数字が刻まれていた。はめる時に順番が関係するのかと思ったが、そんなこともなかった。

「ミスリードかしらね。それにしても人のトラウマを刺激する意地の悪い部屋だったわ」

 腑に落ちないが、今は元の部屋に戻るほうが優先だ、ということで私たちは部屋に戻ることにした。とはいえ、自分が探索をしない時間に考えてみようと思って、ピースを懐に入れて私は教室を出た。

 再び椅子に座ろうとしたところで気づく。教室へと続く扉、そしてもう一つの扉。二つとも小さく表札のように文字が刻まれている。教室につながる扉は『28の部屋』、もう一つは『31の部屋』。最初に扉を見た時は急いでいて見落としていた。

 順調に進んでいるのか、何も分かっていないのか、判断はできなかった。


−足元から二十センチ-

 ガスはすねの高さまで到達していた。思ったより進みが早い。

 部屋には何らかのギミックがあるかもしれないことを説明し、情報共有は早々に切り上げて今度は男性二人が探索に行くことになった。

 二人がボタンを押すと、また動画が流れた。

『目的:秘書として、自分を救った社長の成功を邪魔する者を排除する。

方法:拳銃を用いたロシアンルーレット。弾の当たる確率は六分の五だが、毒薬を一つ飲むごとに六分の一ずつ下げられる。

結果:参加者五人のうちゲーム終了時に一人生存』

「これは、自分です」

 低く硬い声の男が認めた。運任せのようでいて努力次第で確率を操れるような気にさせる意地の悪さを感じる。もしかするとこの男も狡猾なのか……と思ったところで、やはりこれが露日の策なんだと納得する。お互いの素性が分からない段階でゲームという情報を提示することで狡猾さや残虐さに目を向けさせる。まさにゲームマスター殺しだ。

 他の人のことはあまり考えないでおこう。今のところは協力すればどうにかなることだし。

 気を取り直して、『28の部屋』こと教室から持ち帰ったピースをしげしげと眺めた。一辺三センチの正方形で、小さく数字が刻まれている。それぞれの数字は、12、17、10、18、27となっている。部屋番号である31とこれらの数字に何か関係があるんだろうなと予想できるが、一見して分かる法則があるわけでもない。

 モニターに映っている露日に視線を移す。歪んだ正義を執行しようとする彼はどのくらいフェアなゲームを作るんだろう。つるりとした白い面の輪郭を目でなぞっていると、「もう数時間で死ぬかもしれないのに冷静ですね」と声がした。それはまさしく露日の声だった。

「……話しかけていいの?」

「他の部屋への通信は切ってありますし、仮面があるので話していてもバレませんよ」

 そういう意味ではなく、特定のプレイヤーに肩入れするのは良くないのでは、という意味だったのだが。

「死ぬ実感は確かに沸いてないね。君が慈悲深いとも思わないけど」

 強がりではなくそう言うと、露日は「まあ、まだそんなもんですよね」と笑った。

「僕にとってはいつもの悪人狩りですし、あなたにとっては道半ばなわけで、お互い憎い相手や宿敵でもないんですから。熱くならなくても無理はない、か」

 それと、一度死を間近に感じても喉元過ぎれば熱さを忘れる、みたいなところがある。

「じゃあこう言ったらどうです? 菜柱葉月も悪人ですよね、と」

 それは否定できない真実。そして宣戦布告に他ならなかった。

「殺すつもり?」

「さあ、でも僕が勝ったらいつかはゲームに招待しますよ」

 駄目だ。葉月を、葉月の周りを正すのは私だ。

 正しかった葉月を苦しめた人に復讐し、葉月を正しい存在に戻すのは私だ。

 そして、私にとっての一番の復讐は……殺さずに一生苦しめること。

「……うん、負けられないね」

「あなたがどんな表情でその言葉を口にしたのか、見られないのが残念です。それではそろそろ戻ってこられるので失礼します。しょうもないところで死なないでくださいね」

 そう言って通信は切られた。そして入れ替わるように柔らかい声の男の音声がつながった。

「扉を一つ開けたけど、通路に出るのみで特に発見はなかったよ。あと、もう一人の男は仕掛けによって死んだ」

 死んだ。躊躇なく重要なことではないように伝えられた。魔女は何も聞かず、私も何も言わなかった。教室でも間違えたら死にいたる投票があったのだから、他の部屋にもそれに近い仕掛けはあっておかしくない。

「次はどの二人がボタンを押すかを考えたほうが良さそうだ。今までの二回は運が良かっただけなんだよ」

 柔らかい声が言う。彼曰く、私たちの個室は四角形の頂点にあり、二人で探索した教室のような部屋は四角形の辺に位置する。つまり、二人で探索する部屋も四辺に四つあるが、行ける組み合わせは限られるということだ。隣り合う二点を指定すれば、その二点によって構成される辺に位置する部屋に入ることができる。しかし、対角線上にある二点を選べば、どこにも行けず時間のロスだ。

 自分たちの位置を説明することで、時計回りに自分、魔女、硬い声の男、柔らかい声の男という配置であることが分かった。

「じゃあ、次は私と四番目さんが探索に行きませんか」

 動きたくなったので提案すると、「いいよ」と言われたのでボタンを押した。

 また、動画が流れ出す。

<目的:親に認識される

方法:館を用いた殺し合い。適当に連れてきた参加者を殺す側と殺される側に分ける。

結果:参加者七人のうちゲーム終了時に四人生存>

「僕だね」

 身に覚えのあるゲームだった。それに声が合わさり、確信に変わる。

 この人は猫村翠だ。

 気持ちの整理も記憶の振り返りもする暇はなく、『28の部屋』の扉を開ける。

 そこには、綺麗な長い金髪を持つ男が立っていた。


−足元から四十センチ−

「久しぶり、菜柱さん」

「……本物ですか?」

 猫村は肩を竦め、金髪がさらりと揺れた。

「どっちにしろ僕は『本物だ』としか答えられないよ」

 危険なゲームに本人が赴くのはリスクが大きすぎるが、意地やプライドもあるだろうから判断しかねた。きっと本物だと思うことにする。

「ここは子供部屋のようですね」

 今度の部屋はパステルカラーの壁紙が貼られ、柔らかいマットが敷かれていた。カラフルなおもちゃがボックスいっぱいに詰まり、壁に置かれた低い本棚には絵本や図鑑の背表紙が並んでいる。扉は自分たちが出てきたものを含めて、やはり三つあった。

「最初に探索した部屋は教室でしたし、自分のいた部屋は図書室のようでした。どうしてこうもバラバラなんでしょう」

「僕はそれぞれの参加者に縁があるものを選んでいるという気がしたけどね。考えすぎかもしれないけど」

 教室にトラウマがある魔女。教室で出会った友人を引きずる私。

 大学生と図書室。秘書とオフィス。金持ちとティールーム。魔女とバーカウンター。

「納得しました。過去の記憶を刺激するようなものも置かれていましたし、そういうゲーム作りなんですね」

 猫村は乾いた笑いで肯定を示した。

「僕ともう一人の男性が探索した部屋は防音室で真ん中にリボルバー式の銃しか置かれていなくてね。六分の一の確率で弾が出るようになっていた。それぞれ一回ずつ自分に銃を向けて撃てば部屋に戻る扉を含めた三方向の扉が開くというルールに従ったんだけど、これって男性が行っていたゲームを基にしたものだろう。結局それで男性は当たりを引いて倒れたよ」

 自分のゲームにやられるなんて最悪だよね、と猫村は眉根をもんだ。

 私は、猫村の「倒れた」という言葉から嫌な想像をしてしまった。先ほどは「死んだ」と言ったのに今は「倒れた」と口にしたことに、深い意味があるわけはない。しかし、考えてしまう。男は倒れたもののまだ生きているのだとしたら。どの道ガスを吸い死ぬのだし助けることもできないから、「死んだ」と説明したのだとしたら。

 もしそうだったとしても、何もいうことはできない。「助けましょう」とデスゲームのお人好しな主人公のようなことを言うほど、私は善人ではないし考えなしでもないのだ。

「人となりをきちんと調べて相手が嫌がることをする。……全く僕とは正反対だ」

 猫村はそう言って部屋の中央にポツンと置かれたボックスに歩み寄った。私もボックスの中を覗き込んだ。

「おもちゃ、なんですかね?」

 質問系になったのはボックス内が雑多だったからだ。

 布で作られた心臓の模型、フレームに入った写真、ドールハウス、透明でキラキラとかがやくハートのオブジェ、そして、純金。おもちゃとしてはカテゴリがバラバラかつ、おもちゃと言えるか微妙なものもある。純金がおもちゃなんて、金持ちだとしても子供がどう育つか不安になるじゃないか。

「『××が重いものから順にしまいましょう』だって」

 ボックスを部屋の隅にあった学習デスクの上に置いて中に入っていたものを全て出すと、ボックスの底に文字が書かれていた。これがこの部屋の課題らしい。××には何か文字が入るのだろうが……。念のため三つ目の扉は開かないことを確認し、一つ一つのものを確認する。

 心臓の模型はフェルト生地でできていて、中に綿が入ってふっくらとしていた。表面にHeartという文字とよく分からない数字1714102729の刺繍がされている。

 フレームに入っているのは家族写真だ。着飾った美しい女性と威厳のある顔つきでこちらを見つめる男性。そして、その間にいるのはサスペンダーをつけた行儀の良さそうな少年。男性の顔には見覚えがあった。

「これは、僕の写真だね。僕が五歳の時に両親と撮った写真だ」

 猫村は苦々しげに言い、フレームのガラス部分にべたりと指紋をつけるように持つとフレームに書かれた文字を読み上げた。

「Pictureと彫られている。後、数字も。25181229302714だって。製造番号かな」

 ドールハウスは、価値が分からないものの立派であり、屋根の部分にHouseという文字とこちらも製造番号とも取れる数字1724302814と刻まれていた。

 ハートのオブジェはガラスか水晶でできているようで、Soulという文字と28243021という数字の刻印があった。

 純金。一般的な積立に使われる純金がどういうものかはっきりとは知らないけれど、本物っぽい。ご丁寧にGoldとシリアルナンバーのような数字が16242113と印字されている。

「要するに考えなきゃいけないのは、これらをどうやって重い順に並べるかと、全部に書かれている数字は何なのかということですね」

 猫村はうなずく。ガスの噴射が再開したが、ガスはまだ彼の腰元くらいで、まだお互い気持ちに余裕があった。

「重いという言葉はいろんな尺度で使われる。例えば重量、価値は思いついただろうけど、どちらのことを示すのかは××からは分からない。そして、どの尺度で使われるものを想定しているのか分かったところで、それを順番に並べられるとは限らない」

 それもそうだ。私は一つ一つ手にとって確かめる。純金が一番重いのは分かる。布製の心臓が一番軽いのも分かる。けれど、それ以外のものははっきりとどちらが重いと断言できる気がしない。価値の尺度であっても、自分自身のものかゲームマスターの気持ちを慮るべきか、解は無数だ。

「きっとはっきり断言できる尺度が存在して、それを探せばいいんでしょうけど…」

 私は本棚の前に行って、何か手がかりはないかと全てを引き出してみた。

 一冊、二冊、三冊、どれもハリボテ。しかし一冊だけ本物の本があった。勉強する意欲がある小学生向けの簡単な化学のムック本。

 私はハッと閃き、化学の本になら必ずあるはずのページを探す。

 元素周期表。

 それは巻末にあった。

 見れば分かるのにあえておもちゃにそれが何かを英語で記していたということは、露日はおもちゃを記された呼び方で認識してほしかったんだと推測できる。アルファベット、重さ……もしかすると、これらのおもちゃの最初の一文字か二文字を元素記号に当てはめて、その重さを比べればいいんじゃないかと思ったのだ。

 私はそれを猫村に説明した。

「純金はそのまま金でAu、オブジェは水晶だから化学式SiO2を使えます。布製の心臓は最初の二文字がHeでヘリウム。ドールハウスは最初の二文字がHoでホルニウム。写真は最初の一文字がPでリン。これらの1原子量や分子量を比較すればいいんじゃないですか」

 猫村は唇を結んで微妙そうな表情をした。モデルのような顔にそうされると罪悪感が湧く。

「それ、こじつけって言うんじゃない? 最初の何文字を取るかも定まってないし、金や水晶はその物質自体で比べてその他は文字基準というのはエレガントな答えじゃないよね」

 ……確かに、それはそうだった。

「そうだ、値段ではどうだろう」

 猫村は人差し指をピンとあげた。

「それぞれの店頭価格を比べればわかりやすいんじゃないかな。残念ながら僕はドールハウスの値段は知らないんだけれど、菜柱さんは女性だから」

「いや、知らないですね。そもそも材質でこういうのはピンキリだと思いますよ。チェーンの玩具屋で売っているかオーダーメードや手作り品か、なんかでだいぶ変わると思います」

「……じゃあだめだね」

 部屋の中を調べ尽くし、休憩しようとしゃがみかけて慌てて立ち上がる。膝をついた状態でガスは顔の高さまである。安易に姿勢を低くはできない。代わりに壁にもたれかかる。

「念のため聞くけど、定原露日ならこれらにどう価値をつけるか分かったりする?」

 猫村の問いに、考える前に反射的に首を横に振った。振ってから考えようとしてみたが、金も心臓も魂も帰る場所も思い出も、露日と結びつけることはできなかった。彼はとっくに全てを捨てている気がした。

 猫村は私の反応を見て「そうだろうね」と苦笑いを浮かべた。

「僕も彼も終わりのない道を進んでいるけれど、僕ならきっと思い出を取るし彼は何も取らないんだろうとは思うよ。あの短い時間のやりとりでもそのくらいなら分かる」

 私は自分なら何を一番にするだろうと考える。葉月との思い出だと思ったが、何か違う気がした。

 いや、こんなことを考えていても仕方ない。

「あの数字に意味があるんでしょうか。あれを重さとみなして並べてみます?」

「最後の手段ではあるね。残り一分になるまで考えてだめならそうしよう」

 これは露日のゲーム。アンフェアや絶対に解けない問題は出さないはずだ。もしかするとこの部屋以外にもヒントがあったのかもしれない。

「他の部屋を見てきます」

「僕もついていくよ。ヒントを探すんだろう? 今見られる全ての部屋を一通り見よう」

 扉を出て私の部屋を通り抜け教室へ行こうとしたが、教室への扉は開かなかった。戸惑いつつも逆に猫村の部屋を通ってロシアンルーレット部屋に行こうとしたが、そちらも開かない。

「ヒントがあるにせよ、自分たちが最初にいた部屋に限られるってことなのかもしれないね」

 最初の部屋には特に何も意味のあるものはなかったはずだ。記憶を振り返っても、椅子から立ち上がろうとしたらペナルティのガスが出て驚いたこと、本棚にはハリボテしかなくて首を傾げたこと、そのくらいしか思い出せない。

 いや、もしかするとその中に何か手がかりがなかったか?

〝ガスの出所はどこなのか。そもそもまだ扉の先も確認できていない。椅子から身を乗り出し片足に体重をかけて後ろを見ようとすると、ピーピーと椅子から音が鳴った。それと連動するように、ガスの排出音が大きくなる〟

〝椅子から立ち上がらないことをお勧めします。規定の手順を踏んで立ち上がらなければ、ペナルティとしてその間のガスの排出量が増加しますので〟

 参加者の行動を観察してペナルティを与えることの説明だ。その場では特に気になる文言ではなかったが、どこか矛盾しているような気がする。

〝あなたがどんな表情でその言葉を口にしたのか、見られないのが残念です〟

 これは露日と会話したときに聞いた台詞。何でこれを今思い出したんだろう。

 …………。

 露日は私の表情が見えなかった。それは間違いない。それはカメラの位置が後ろ側だったからだろうか?

 でも、カメラがあったのだとしたら、何故最初の行動はペナルティ扱いになったのか。私は立ち上がったわけではなく、あくまで椅子に半身を預けたまま後ろを向いただけだ。

 もしかして、カメラ自体がなかった? じゃあ、何で行動を感知した?

〝椅子から身を乗り出し片足に体重をかけて後ろを見ようとすると、ピーピーと椅子から音が鳴った〟

 ……体重?

「猫村さん、この椅子、重量センサーで私たちが立ち上がらないか感知しているんじゃないでしょうか」

 猫村はそれだけで何が言いたいか理解したようで、目を丸くしてから嬉しそうに唇を吊り上げた。

「なるほど。それなら話が早い」

 そう言って、息を吸い込んでから床にしゃがみ椅子が連結された台座を探る。ややあって立ち上がってから、「台座の側面を見てごらん」と指をさす。私もガスを吸わないようにしゃがみ、紫の空気の中薄目を開けて側面を手で触ると、遠くから見ても分からないが触ると分かる薄い溝を見つけた。その溝は四角形の形をしていて力を込めるとスライドしたので、その部分だけがフタとして機能し何かを覆っていたことが分かった。

 その下にあったのは、小さなパネル。画面は「0kg」と表示していた。

「この台座は、重量計だったんですね」

 ガスは吸わなかったはずだが息苦しい。きっと目の粘膜から取り込まれたのだと思って怖くなったが、深呼吸するとマシになった。

「そうと分かれば、重量を測ってしまおう」

 こうして、私たちは五つのおもちゃの重さを計り、それらを順に箱に片付けた。

 すると、カチャリという音と共に「残り一分で行動時間は終了です」のアナウンスがなった。

「……よかった」

 ほっと一息と言いたいところだったが、時間が迫っているので扉の先が通路であることを確認して戻ることにした。

「結局、四桁の数字の手がかりは未だ見つからずですね」

「ああ……」

 猫村は他のことを考えていたようで中途半端な返事を返してきた。その手には純金と水晶、そして全てを片付けた後に天井から降ってきた五つのチロルチョコ大のピースを持っている。教室にあったものと形は同じで数字はバラバラだった。

 私が部屋に戻ろうと後ろを向くと、猫村は呼び止めるように言った。

「君は自分が死ぬのが怖くはない?」

「え……」

 怖くないとは言えない。さっき呼吸が苦しくなっただけで怖くなったから。

「こんなことをしていたらいつか自分も裁かれるなんてことはもう分かっているだろうけど。今からやめても遅くないと言ったら、やめないのかい?」

 何についての話か説明はなかったが、はっきりと分かる。

 私と彼の間で伝わるのはその話だけだ。

「やめないですね。それはもちろんやるべきことがあるからですけど、でもそれだけではないんでしょう。……こんなこと人の前で言えたことじゃないですが、多分私は楽しかったんです」

 誰かの影を追わず、自分で自分の為すべきことを考えるのが。

 自分の理想を実現しようと努力するのが。

 対等に同じ立場で罪を共有できる人間がいたことが。

 どれもこんなやり方で満たすべきものじゃないのは分かっている。でも、こんなやり方でしか辿りつかなかった。

 もしかすると、私の目的は……。

「そうか。そうだな、自分にできないことを他人に尋ねるべきではなかった」

 でも、と猫村は続けた。

「明確な目的は忘れてはだめだよ。さもないと、抜け出せなくなるからね」


 椅子に腰掛けると、ガスはもう鎖骨のあたりにまで達していた。

 立っているうちは問題がなくともこのまま座っていれば致命的になりかねない。次の部屋を早く探索してもらわなければ。

 硬い声の男は戻らなかったから、露日は魔女の手元のボタンのみで、魔女と男の間の部屋の探索を認めた。

 最後のビデオは魔女のもので、それは彼女自身から聞いたものと何も変わらなかった。

 そして、長い十五分が始まった。

 さっきの部屋で使われなかった数字、ピースの役割、部屋番号の意味をつらつらと考えているうちに「残り一分で行動時間は終了です」のアナウンスがなった。

 28の部屋には10、12、17、18、27のピースがあり、31の部屋には13、14、23、2730のピースがあった。それに加えてGoldには16242113、Heartには1714102729、Soulには28243021、Pictureには25181229302714、Houseには1724302814と記されていた。

 ピースには部屋番号以上の数字が含まれないこと。

 文字列と数字の長さは比例していて、おそらく英字一つが数字二つ分であること。

 そのくらいの共通点は分かったものの、それ以上先には進めなかった。

「行動時間終了です。席にお戻りください」

 再度アナウンスがあるとともに、ガスの噴射音が強くなった。まだ魔女は席に座っておらずペナルティが発動したらしい。もうガスは私の首元まで来ている。

「行動時間終了です。席にお戻りください」

 もう一分くらい経ったところで再アナウンスがあった。ガスの勢いは衰えない。

 そして、ドンッと鈍い爆破音がした。聞き覚えがある。……これは、銃声だ。

「何が起きてる?」

 露日から返答がないかと思って口に出したが、何も返ってこなかった。

 このまま座っていたら死ぬ。魔女は探索に手こずっているのか、何か仕掛けに引っ掛かったのか、どうしたんだろう。

 いや、違う。

 魔女は戻れないんじゃなくて、戻らないんじゃないか。探索は最大でも二人ずつしかできない。魔女が戻れば誰かと探索を交代することになり、残った一人は椅子に座り迫るガスの危険を浴びることとなる。それならば、ペナルティを犯してでも戻らずに一人で探索を続けた方が自分の安全は確保できる。

 これは協力のゲームではない。立って探索する者と座って待つ者のリスクの差に向き合った瞬間裏切りが始まるゲームだ……。

 さて、ここからどうする。座っているわけにはいかないが、四桁の数字が分からない以上脱出の鍵は揃っていない。あの銃声が魔女のものだとしたらうかつに出くわすとこちらが撃たれる可能性さえある。

 …………。

「菜柱さん、椅子の裏を見て」

「……猫村さん、なんで」

 31の扉が開き、猫村が現れた。

「いいから、早く」

 どうしてここに来たのか、なぜ椅子の下なのか。分からないことだらけだったが、猫村の必死な表情に従った。確かに、椅子の裏は見ていなかったのだ。

 紫のガスを透かして、椅子の裏に何かが貼り付けられているのが見えた。

 仮面のようなものと白い紙が、養生テープで落ちないように支えられていた。それらを引き剥がして顔を上げる。仮面のようなものはガスマスクで、掌大の紙には大きく0が書かれていた。

「これは……」

 どの椅子の下にも実はガスマスクがついていたのか、と思って猫村を見るも、彼の手にも顔にもマスクはなかった。

「それは君がつけるといい。君の方が身長は低いから。まあ、僕が危険になったら奪わせてもらうけど」

「……ありがとうございます」

 立っていればガスはまだ胸元あたりではあるものの、私の身長は猫村よりも二十センチは低いように思われた。遠慮してもしょうがないと思って好意に甘えた。

「さあ、行くよ。説明は歩きながらで」

 猫村は28の扉に向かっていく。私はその後を追いかけた。私が立ち上がったことでガスの噴出音が更に強まっていることに気づいた。

「早口で悪いけど簡単に説明するとね、あの子供部屋こと31の部屋のおもちゃに書かれた数字は謎じゃなくてヒントだったんだ。分かっているとは思うけど、数字二つが英字一つに対応していて、おもちゃ全体についてどの二桁の数字が英字と対応するかは固定されていた。例えば17はH、10はAというように。

「ある程度この手のゲームに精通していれば分かるだろう? nn進法だ。

「そこまでいけばあとは簡単だ。部屋の番号、31は31進法を表す。それを用いてピースに書かれた数字を英字に変換すればいい。

「31の部屋にあったピースの数字、13、14、23、27、30はd、e、n、r、uとなるわけだ。

「そして、君から共有された28の部屋のピースの数字10、12、17、18、27はa、c、h、i、rとなる。

「ここまで言えば分かるだろう?

「並び替えればunderとchair。だから椅子の下にヒントがあると思って自分の椅子を見たら、白い紙に数字が一つ書かれたものが貼り付けられていた。

「参加者は四人、鍵は四桁。全ての必要な数字は最初の部屋にあったんだよ」

 猫村は言い切って魔女の部屋に入った。私はしゃがんで椅子の裏を探ると、やはりそこにも白い紙があった。数字は2だった。

「ガスマスクはないんだね。これも争わせるためのマクガフィンだったのかな」

 独り言のように呟いて、咳き込んだ。

 もうガスは立っている私の口元に近い。

「一応自分の椅子には純金と水晶を置いて立ってもペナルティにならないように調整したんだけど、二つがペナルティ扱いされている時点でもう猶予はほぼなさそうだ」

 猫村の額には汗が浮き、金髪が顔に張り付いていた。落ち着いた口調は崩れないものの焦りと息苦しさは感じているに違いない。謎を解いてもらい、ガスマスクを譲られ、やってもらってばかりだ。何か自分にもできることはないかと思うも、早く先の部屋に行くことくらいしか思いつかなかった。

「椅子の上に立っていてください。これで少しは時間を稼げますし、体重感知でペナルティが弱まるかも……」

 言葉の途中で、私が近づきかけていた扉が向こう側から開いた。

「……よ、…よこしな……さい」

 そこにいたのは魔女だった。私と同じくらいの身長だからもう呼吸困難になりかけているのだろう。息苦しそうに体を折り曲げ持ち上げを繰り返し、私の顔のガスマスクと手に握られた紙に気づいた瞬間、飛びかかってきた。

 身構えられなかった私は勢いに押されて床に倒れた。

 頭を両腕でガードするも、ひっかかれる。痛みで顔が歪んだが、魔女は相当弱っているから耐えられないほどではない。魔女は私の腹の上にのしかかっているため下半身は自由に動かせる。背中に膝蹴りをするも、うまく力を込められない。諦めて反対側の腕を解放して、魔女の鼻目がけて殴った。人を殴ったことなんてない。怖気付いてしまって拳で押すようなものだった。魔女はその動きでヒートアップし、空いた側からガスマスクを外そうと手を伸ばす。

「お前が逃げなければ、お前が……」

 魔女はぶつぶつと呟いている。再度殴る。今度は頬に当たった。

「お前が逃げなければ、私は虐められなかったのにっ」

 殴る。鼻に当たった。衝撃で魔女はぐらりと後ろに揺らいだ。

 そして、そのまま倒れて動かなくなった。

 私が殺したのだろうか。いや、ガスを吸いすぎて呼吸ができなくなっただけで、私が直接の原因ではない。でも……。

「もう、相手が菜柱さんだとも認識できていなかった。どっちにしろ限界だったんだろうね」

 冷静な口調で猫村が言い捨てた。彼の手には紙が複数握られていて、私たちが争っているうちに私や魔女が落とした紙を拾っていたことに気づいた。終わらなければ私たちを置いて行ったのかもしれないと思ったが、何も聞かなかった。

 立ち上がると、ガスはもう私の頭を超えていた。視界が紫色に染まっている。

「四枚集まったよ。行こう」

 猫村はそう言うと、紙を渡して扉を指した。私はそこに書かれた四つの数字、0、2、8、9を確認すると扉を開き通路に出た。

 たった一つ開かなかった扉の前で、四桁の数字を入れ込む。錠はあっけなく開いた。その時、頭にぐっと上から力がかかった。

 頭が動かないから限界まで目を動かして猫村を見る。無表情だった。

「ガスマスク、ですか」

 ふっと圧が消えた。猫村の体が傾いで、壁にもたれかかって止まった。

「うん。でも、やっぱりいいや」

「そんな……」

 ガスマスクを返す、とは言えない、やっぱりそんな聖人じゃないし生き残りたい。でも、猫村が生を諦めようとしているのに戸惑った。

「生き残っても、どうしようもないなって」

 猫村の口元が柔らかくゆるんだ。

「ずっと止めてほしかった。でもやめどきがもう見つからなかった。多分、君からマスクを奪ってもそのまま変われないから」

 才能はあったけど、愛情はもらえなかったからしょうがないよね、と猫村は囁くように言った。そのままずるずると床にくずおれる。

「君は、目的を果たして幸せになってね」

 そして、目を閉じた。

 私は猫村の体を揺する。呼びかける。でも、その口も鼻も、もう呼吸はしていなかった。


 立ち上がった私は、扉を押し開く。その扉に銃弾と同じ大きさの穴があることに、その時は気がつかなかった。

「やあ、よく来ましたね。来るならあなただと思っていましたよ」

 露日は仮面をつけたまま軽く手をあげた。この部屋は気密性が高いらしく紫色のガスはまだ足元に少し溜まっている程度だったので私はガスマスクを外した。椅子に座り、モニターが並ぶ隙間から露日が顔を覗かせている。

「私の勝ちということでいいのかな」

 私の問いかけに露日はうなずく。

「ええ。じゃあ僕はここで死んで見せましょう……」

「それはいらない」

 私の言葉に、露日は軽く眉を持ち上げた。

「君の業者との取引を私もしようと思う。私は私のやり方で、君のやりたいことを手伝うよ」

「何を急に。僕に同情ですか? それとも僕のことが好きだとでも?」

「いや、そうじゃない。私は葉月に関係しない悪人に興味はないし、君に対して何かできるとも思わないよ。でも分かったことがある。私は私のために自分の信じる正義の実在を証明したい。それはきっと、葉月の代わりでも葉月のためでもないんだ」

 露日は嫌味っぽく微笑んだ。

「考える前に行動するタイプの方なんですね。ようやく考えが追いついたということでしょうか。でも、それなら菜柱葉月に正義を与えて終わりでいいじゃないですか」

「うん、そうなんだけど。多分、私にはゲームマスターが嫌いじゃないんだと思う」

「ふふ、ははは、あははははは!」

 露日が爆笑し、そのままの勢いで咳き込んだ。

「人も殺したことがないのに、恨みをむけられたこともないのに、好き嫌いだなんて……」

 再びゲホゲホと咳き込み息を吐いた。

「素敵な申し出はありがたいですが、残念ながら勝者から敗者の命令とは言え、それは却下です」

「なぜ」

 露日は片手で手招きをした。私が近寄ってきたことを確認すると、露日は自分のシャツをめくった。

「……露日、これ」

 露日の腹部には穴が開いていた。そこから血が流れ、血を透かして黄色い脂肪が見えていた。シャツは濃い色をしているものの水分を含んでぐっしょりとしているのが分かった。

「銃声、聞こえました? 一発目で扉を撃って、扉の穴から銃口を入れてもう一発。モニターの隙間から腹に大当たりです」

 露日は仮面を外すも、その手は震えて脂汗が滲んでいた。手が口元を拭う。そこにも血がついていた。

「この位置じゃ腸が傷ついています。この出血量ですし、きっとこのまま死にますよ」

 何ともないように露日は言って、いつものように優雅な笑みを浮かべた。

「だから、僕の目的にあなたが協力することはできません」

「そんな、そんな終わり方って」

「何を言っているんですか。人が傷つくのも死ぬのも、いつだって唐突だったじゃないですか」

 露日が咳き込むと唇に血の泡が浮いた。

「まあでも、命令としてこんなことやめろと言われるよりは良かったかな。言われてやめられるものじゃないのはお互い様ですから。何を考えてもそのことに行き着くんですから」

 それについては何も言い返せない。忘れられないなら憎むしかなく、常に憎むならそれを無視せず自分の中に取り込むしかない。

 忘れて放置する選択もあったが、それができなかった者の末路だ。

 でも、でも、もっと良い未来はなかったのか。大義が報われることはなくとも、些細な幸せの一つや二つあっても良かったんじゃないか。なんて、そんな権利はないのか。

「……そうだな、最後にひとつ聞きたいことができたんですけど、いいですか?」

 私はうなずく。

「なぜここの鍵が一発で分かったんです?」

 四つの数字、0、2、8、9の順番のヒントはなかったのに私は一回で開いた。それが気になっていたのだろう。

 私は記憶を振り返る。

 露日の部屋に侵入した日。部屋を物色していた時のこと。ほとんど物のない彼の自室にあったのは必要最低限の家具と服と勉強道具。そして、机の上に伏せて置かれた埃をかぶった写真立てと中身がほんの少し残った小さな香水瓶だけだった。

 その写真立てに入っていたのは、幼い彼が家族と共に誕生日ケーキを囲んで映っているもので、写真の右下にはきちんと撮った日が記されていた。

 それが、九月二十八日だった。

「あれを見たんですね。写真の中の僕は笑ってましたか?」

「うん。今とは違う表情で」

 露日はふっと笑いとも自嘲ともとれる息をついた。

「何だか寒くなってきました。……一思いに殺してほしい。そう思うのも僕にとっては贅沢ですかね」

 私はひどい顔をしていたのだろう。露日は面白そうに笑みを深くした。

「止血して、病院に行けば、まだ」

「どうやって説明するつもりですか。銃創ですよ。僕もあなたも犯罪者なんです」

 明らかに彼はリアリストで、考えなしの子供ではなかった。

「そうだ。あなたが僕を殺すのはどうです? 一度経験しておくと後が楽になりますよ」

 露日はそう言って、体を折り曲げてどこからかナイフを取り出した。どこにでもありそうな果物ナイフだった。それを彼は自分の頸動脈のあたりに当てた。

「なんてね、冗談ですよ。人殺しは戻れなくなりますからね。僕は一人でやりますから、葉月さんはこの部屋を出て……ちょっと、何するんですか!?」

 私は、露日がナイフを持っている手を自分の右手で握り込んだ。

「……何のつもりです」

 露日は私がナイフを剥がそうとするわけでもなくただ緩く握っているだけなのに気付き、本気で不思議そうな顔をした。

 ずっと究極の『復讐のゲーム』を探していた。大好きな葉月の代わりに正義を貫こうと思っていた。

 でも、本当は少し違ったのだ。私にとって、究極を探すこと自体が楽しかった。葉月に正義がないのであれば、自分が正義でありたいと思った。

「戻らないよ。私の復讐は私のためだし、これからも最高の復讐を探すためにゲームを続けるんだから。揺るがないものがあるって私が私に証明するんだから」

 露日は呆気に取られたように私を見つめていたが、唐突に破顔した。あの写真の笑顔みたいだった。

「それがあなたにとっても究極なんですね。……嬉しいです」

 露日は私の右手にさらに自分の左手を重ね、両手をゆっくりと動かした。

「地獄で応援しています」

 温かな血が私の右手を濡らし、私は左手でそれをこぼさないように掴んだ。

 それは綺麗な赤色だった。


 死んだ人間が安らかな顔になるのなら、やはり人を殺して復讐をするなんて勿体無い。生きたまま、一生不安に過ごさせることで、一生呪われた自分とやっと痛み分けができる。

「そう思いませんか?」

 そう問いかけると、新しく業者に雇われたらしい新人は「さあ、自分にはちょっと」と渋い反応をしてきた。

「そっか」

 私はそれ以上何も言わず、手をハンカチで拭いながら尋ねた。

「じゃあ、次の悪人は誰か教えてくれる?」

 私は究極の『復讐のゲーム』を作る。

 そのために最高の復讐の形を探している。

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復讐のゲーム 神浦七床 @7yuka

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