第86話 驚き桃の木 やる気の木?
孫が働きに出た。我が家の嬉しい大きなニュースである。ニュースが大きいという割には小さな額の初サラリーだったが、そこはサラリ~と受け流してやろうと思う。自力でゲームを買う為にと、先ずは目標額を一万円としたのには大笑いしてしまったけれど、そこもサラリ~と流しておいた。中学卒業間近から六年もの間、殆ど家に籠って他人との接触を避けて来た子供である。その期間に二十歳を迎えて大人にはなったが、中身が全く追いつかない「子供よりの大人」の孫である。
その子がある日いきなり働きに行くと聞いて母親と祖母は驚き喜び、そしてあれやこれやと世話を焼き初出勤へと送り出した。第84話に書いたように我々の心配に反して、意外にも上手くやれていたようで私達は嬉しかった。たかだか二時間の労働とはいえ、長い間家の中で過ごしていた身には、沢山の重い段ボール箱を運ぶ作業は大変だったようだが、そつなくこなせたと何だか誇らしげであった。
何回かの出勤でこれなら続けられそうだと母と祖母が喜んでいると、何を思ったか社会へ出ても恥ずかしくないように箸の持ち方を練習したいと言う。そこで、ものを摘まむコツらしきことを教えて練習をさせた後、豆摘まみ競争が始まって近況ノートにある写真の結果となった。舐めてもらっては困るなぁ、加齢による影響など全くないこの華麗なる箸さばきを見よ、とばかりに得意になる祖母に悔しがる孫との大騒ぎしたひと時だった。こんな細やかな戯れにも幸せを感じて、胸がいっぱいになる母と祖母だった。
その次の日に孫は散髪に出かけた。こざっぱりさせて張り切って仕事に臨むつもりで出かけた筈だったが、散髪した女性の接客態度と左右の髪の長さが違う不満足な仕上がりとに、やる気が削がれてもう仕事には行きたくないと泣きが入った。昔人間の祖母にとっては、そんな些細な事でと呆れて文句の一つも言いたいところだが、グッと堪えてサラリ~と慰めてやった。
「子供よりの大人」の孫にも、やっと驚き桃の木山椒の木、ならぬやる気の木らしき木の芽が出て来たようで、豆摘まみ競争をしながらこれからの目標を聞かされて、私達はとても感激してしまった。それなのに昨日のあの喜びは何処かへ消えて、母と祖母の膨らんだ幸せ気分はすっかり萎んでしまったのだった。これでは元の木阿弥である。何とかせねばと我ら二人は真剣に考えた。
こうなっては仕方ない、ゲーム代は払ってやるから仕事には行ってくれと頼もうか、いやいやそれでは何の解決にもならない、などと二人であれこれ悩んでいたが翌朝にはいつものように出かけて行ったので、やる気の木は少し成長し出したようだとホッとした。
初サラリーの中から細やかでもいいから、母親に何か買ってあげたらと言ってみたら「無理ぃ、それはなしぃ~」と予想通りの返事が返って来た。まあそれもいいだろう、急にお利口さんになられてはかえって不気味である。しかし欲張りな孫はこのエッセイの出演料のことは忘れてはいないので、約束通り二千円也とそこに割増料金をサラリ~と加えて、計三千五百円を支払ってやった。
この割増料千五百円は約束の「個人情報切り売り代」で、その話題はこうである。
孫には引き籠っていた長い間に、SNSでゲームを通じて何人かの友人が出来た。顔も名前も何も分からない相手と繋がる危険性が問題になって久しいが、母も祖母もそれにはずいぶん心配してずっと気を配って来ていた。けれど長い間付き合っているうちに、お互いに気心も少し知るようになると皆で会おうということになった。
心配した私達だったが孫は中学の友人達に付きあってもらい何人かで会うことにし、その後もまた会ったりもしているうちに良い友達になれたようだ。そのうちの一人が大学生になって今年の春に地方から出て来ると、偶然にも割と近くに住むことが分かった。
その薬剤師志望の彼もバイトを始めたが、自分の小遣いを賄う為のバイトなのだそうだ。ゲーム仲間で当時は小学生だった子も今では高校生になっている。今更ではあるが孫は彼らの努力や考えに感化されたのか、高校進学のことやその先の一人暮らしなども考えるようになったらしく、どうやらその手始めとして働くことを思い立ったらしい。やっと芽生えたやる気の木らしきもののその急な進歩?に、正直なところ戸惑ってもいる母と祖母である。
そして母と祖母が更に驚かされたことには、ゲーム仲間のうちには同年齢の女子もいて、その子とデートすることになったという。こんな出来の悪い孫が相手で良いのかと、母と祖母はその子をちょっと気の毒がったりしたが、それも祖母にとっては割増し料を支払ってでも載せたいネタとなったのでありがたかった。そのデートの場所が博物館だと聞いた母と祖母は「博物館はおバカさんには不似合いだよ」とか「知識の無さでボロが出るから止せ」等と、まるで合唱のように声を合わせて言うと、恐竜を見に行くというので納得した。
孫は二万円を少し超える人生初のバイト料と、そこに少しばかりの色を付けてやった祖父母からの小遣いと出演料やらを持って、晴れやかな気分で出かけて行った。こんなことは多くの人にとっては平凡で些細な出来事かも知れないが、引き籠りの息子を長年見守って来た母親にとっては、やっとここまで来れたという特別な日の出来事となるのだろう。
孫は一か月の雇用使用期間が終わって本採用になり、バイト料も上ると喜んでいる。やる気の木がこの調子でこれからも順調に育っていけますように、そして孫にとってこれからの日々が、嬉しいネタをたくさん提供出来るような日々でありますように、と心から願ってやまないローバなのであります。
***孫と豆摘まみ競争をしました。(近況ノート)
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